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派閥擁護論-派閥は政党政治の癌細胞か?

2010年09月16日 08時23分12秒 | 日々感じたこととか

 


民主党代表選も終わり、現在、党役員と閣僚の人事を巡り民主党内部は各<グループ>間の綱引きが激しくなっているとも。また、先日、8月11日に実施された自民党参議院議員会長選挙では、町村・額賀・古賀の三大派閥の支援する候補を「脱派閥」を唱えた中曽根弘文氏が紆余曲折の末に退けたとか。而して、本稿は、「中曽根当選」に象徴される、現在、政界内外で評判の悪い「派閥」の是非について検討するものです。

派閥は日本政治の癌細胞なのか? 派閥は可及的速やかに解体されるべきものなのか? 蓋し、中曽根氏は会長選の当日に所属していた伊吹派に退会届を提出したものの、氏の現在に至る政治力の源泉が中曽根大勲位のご子息である事実、すなわち、「伊吹派の本流=旧中曽根派」の<若旦那の良いご身分>にあることは周知の事実。その中曽根氏が「脱派閥」を唱え当選したことは一種ブラックジョークのようにも感じます。

而して、つい最近の9月14日、菅首相再選に落ち着いた民主党代表選こそ、「田中派 vs 福田派」の構図が火花を散らしていた派閥政治全盛時代の自民党でも、そう、例えば、「大平 vs 福田」の所謂「40日抗争」を含めてもそう幾つも例のない<派閥抗争>そのものだったのではないか。蓋し、日本のマスメディアの世界では、自民党内グループは「派閥」であり否定されるべきだけれど、民主党内のグループは「派閥」ではない。と、そういうことなのでしょうか(笑)。蓋し、「派閥」とは何なのか。


◆派閥の弊害

自民党や民主党だけでなく、(左翼マニアや創価学会ウォッチャーの常識ですけれど)社民党、否、共産党や公明党の内部にも政策や政治手法、そして、人脈の違いに起因する「一定程度固定的な人間集団=党内グループ」は存在します。ことほど左様に、経済小説の類では「副社長派 vs 専務派」の派閥抗争は御馴染みの<ストーリーの舞台装置>でしょう。蓋し、「ある組織内の一定程度固定的な利害と主張を共にする人間集団」という意味での「派閥」の存在は特に政党に限られた現象ではないでしょう。

実際、オックスフォードやケンブリッジの教育と研究の根幹の単位たる個々のcollegeは(各専門領域の教育と研究をcollegeから請け負う「学科=department」とは異なり)、11世紀以来、ほぼ千年に亘って「教授と学生が形成してきた派閥」と捉えれば分かり易いですし、また、(当初は天台密教教義の解釈、そして、共に比叡山延暦寺システムのTopを務めた第三代天台座主円仁と第五代天台座主円珍のどちらの流れを自分が受けているかという法統の差異、その後、荘園等の利権争いに起因する)「比叡山延暦寺=山門」と「園城寺三井寺=寺門」の千年に及んだ抗争もまた典型的な「派閥間闘争」であったと思います。閑話休題。

では、それを批判してきたマスメディア内部にも確実に存在するであろう「派閥」を、政党、就中、自民党の派閥を、マスメディアはなぜかくも執拗に批判してきたのか。また、中曽根氏や中曽根氏をお神輿に担いだ自民党の「派閥横断」の中堅若手の参議院議員達はなぜ「脱派閥」を喧伝したのでしょうか。

派閥の弊害。普通、派閥の弊害としては①「適材適所の人事を妨げる」「政策よりも人間関係優位の党内政治力学の源泉である」が掲げられるようです。更に、②「少数者支配に道を開く」という派閥批判もあります。

畢竟、政権与党、すなわち、これまでの自民党の派閥が党と政府の人事を歪め、政策論議&イデオロギー論議を<不透明化=非争点化>させてきたこと、また、政府と世論を乖離させてきたということは、確かに、55年体制下、就中、「田中派-竹下派」支配の時代の現実でしょう。例えば、橋本龍太郎首相は、「派閥均衡型=年功序列型」でする組閣作業に興味が持てず、さりとて、自己の権力基盤たる派閥システムを否定するわけにも行かず、前後3回に及ぶ橋本内閣の組閣作業をほとんど自民党執行部に丸投げしていたという伝説が残っているくらいなのですから。

派閥はそのメンバーに資金・ポスト・選挙支援を与え、その対価として派閥のメンバーに党内外での派閥の影響力の維持拡大に貢献せしめる「自己組織化&自己目的化したシステム」であり、それは、政策とイデオロギーを中核として、世論を集約統合する<社会の公器=政治政党>の機能を著しく損なう政党政治の癌細胞である、と。では、「少数者支配」とは何か。

話を簡単にするために、定数500の一院制の議会を持つ国を考えましょう。例えば、その国の現在の与野党の議席がそれぞれ260と240とする。そして、与党内には2個の派閥があり、それぞれ、135、125のメンバーを擁しているとします。

而して、この場合、与党の最大派閥は議会の27%の勢力であるにもかかわらず政権を掌中にすることが可能なのです。蛇足ながら、この最大派閥が実は派閥領袖の直参旗本組とそれ以外の外様組に、これまた、70対65で分かれていると仮定すれば、この最大派閥内の主流派は実に議会全体の14%の勢力でこの国の政治を壟断することができるのです。    


かっての「田中派-竹下派」支配なるものの実体もこのようなものだったの、鴨。いずれにせよ、政党助成法(1994年)によって政党に公費が投入されるようになった現在、また、自民党が政権与党ではなくなった現在、すなわち、派閥が容喙できるポストが党内のポストに限定されている現在、自民党の派閥の弊害は極小化しており、むしろ、政権与党たる民主党内の派閥の弊害に我々は注目すべきでしょう。






◆派閥の機能

元来、自民党の派閥は(現在の韓国の政党がその支持する候補を大統領にするために存続しており、大統領選挙の度に離合集散を繰り返しているように)、その派閥の領袖を総理総裁に担ぎ上げるための「期間限定の人的紐帯」にすぎませんでした。よって、佐藤栄作首相までの自民党の総理総裁は一旦自分が最高権力者のポジションに就いた段階では(党内の反抗勢力を弱体化させる狙いもあり)、むしろ、「派閥解消-党内党を廃しフラットな自民党組織の実現」を呼びかけてきたし、その派閥領袖が総理総裁を退陣した以降は、少なくない派閥は漸次解体していった。畢竟、派閥があたかもそれ自体が法人格を持つ企業のように、あるいは、国家のみならず陸軍自体をも機能不全に陥らしめた旧陸軍内部の派閥のように自己目的化して行くのは(不本意な首相退陣をバネに再度の首相就任の野望を燃やし続けた)田中角栄氏が田中派の膨張戦略に舵を取って以降のことと言えると思います。

而して、前項で述べたように、自民党の派閥は、()ポストと資金、および、選挙の支援をその構成メンバーに提供する、()「自己組織型-自己目的型」の組織内組織として<8・30=政権交代>を向かえた。けれども、自民党の派閥の弊害は(誰がどの大臣になっても実質何の違いも生起しないという)「予定調和の雰囲気が覆う泰平の世」でのみ成立可能な現象だったのではないでしょうか。蓋し、資金は政党助成金制度によって直接政党がそのメンバー提供するようになった現在、唯一残った派閥の機能としてのポスト配分も、政権交代が常態になった政界の状態では、「適材適所の原則」を大きく歪めることは、自民党であれ民主党であれ最早どの政権与党にとっても不可能であろう。ならば、()の基盤を漸次消失する派閥は()の機能もまた漸次低減させると私は思うのです。

この点、自民党の谷垣禎一総裁の次のコメントは示唆に富んでいると思います。

・今回の参院会長選では、2つに割れたことで党内にしこりが残るのではないでしょうか?
選挙をすればしこりが生じるかもしれないという懸念があって、しなければ昔からの派閥談合であるという疑念が出てくる。・・・

派閥の問題は、要するに「男子3日会わざれば刮目して見よ」と、・・・日々進歩、進化があるわけです。派閥とはよく言われますが、派閥は昔の派閥ならず。常に変転しているのではないのでしょうか。   



他方、派閥には政党政治をサポートする重要な機能がある。よって、派閥を単に「政党政治を歪める癌細胞」とばかりは言えないように私は思うのです。すなわち、

(甲)政党内の議論を活性化させる機能
(乙)政党内の議論を世に告知広報する機能
(丙)個々の議員の専門性を連結させ政党が集約する政策の整合性を高める機能
(丁)政権与党内では擬似政権交代を引き起こす機能   


最後の(丁)は「55年体制下では自民党内で、「リベラル→保守→リベラル・・・」の擬似政権交代が行なわれていた」としばしば人口に膾炙するポイントであり、特に説明の必要はないでしょう。また、(丙)のメリットも、田中角栄氏が田中派を「総合病院」「デパート」と自画自賛していたように、確かに、(行政権が肥大化する大衆民主主義社会では、政権与党は膨大かつ広範な行政領域に責任を負わなければならない以上、そして、一人の議員の専門性には自ずと限界がある以上)これまた否定できないのではないでしょうか。

蓋し、広範な領域の諸政策の統合作業や陳情への対処を200人から400人を超えるある政党の国会議員が、「議員集団全体=母屋となる政党一箇所」で行なうべきだというのは、悪しき直接民主主義の妄想に他ならない。蓋し、「母屋=政党」での意見統合や党としての陳情への対応方針決定の前に、より政策とイデオロギーが近い、気の置けない仲間内で論点整理と意見集約を行なうことは生産的でしょう。

而して、与野党を問わず派閥のメリットとして考えるべきは、(甲)(乙)の「党内民主制」と「政党と世論の連結」であろうと思います。畢竟、政党助成金を受けようが、政党は私的なものでもある点にその値打ちがある。蓋し、国家権力が独裁政党と一体化している社会主義国の硬直性と独善性は、旧ソ連や旧東欧諸国、そして、現在も支那や北朝鮮で観察できること。蓋し、究極的には私的な政治政党が<世論の支持=公権力>の獲得を巡りその政策とイデオロギーを切磋琢磨しあうことこそ政党政治の醍醐であり、派閥はそのような良き政党政治が機能するための欠くべからざるツールなのではないか。そして、党内民主主義の活性化は「最大派閥の少数者支配」をも漸次不可能にするだろう。ならば、自民党はこれからこそ派閥を活性化させるべきである。と、そう私は考えています。

政権交代が常態の時代、
予定調和の時代に惰眠と貪欲を貪った派閥は消えよ!
党内民主主義を活性化させる派閥は生きよ!   


尚、本稿の理論的前提である「政党政治における政治政党の意義」については下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。

・「ねじれ国会」の憲法論と政治論
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5bd50195a09319f7924d8fb125c9aa4b

・政党政治が機能するための共通の前提
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2a72d3c23ffe5df01e494d21460d0114

 







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