英語と書評 de 海馬之玄関

KABU家のブログです
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2月22日は竹島の日 海馬之玄関も「竹島プロジェクト」に協賛します

2011年01月31日 11時32分47秒 | Weblog
恒例になりました。もちろん、「恒例」ではいかんのだけれども、しかし、それが<現実>であるのも事実。而して、今年も参加します。 ◆「固有の領土」の両義性と「竹島の帰属」の一義性 白黒はっきり言えば、現在の国際法には「固有の領土:proper territory」という概念はありません。現状の国境線の尊重がこのイシューを巡る国際法が掲げる唯一の価値だから。 土台、「主権国家」「民族国家 . . . 本文を読む
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転載記事☆中国と日本の「古さ」の錯誤/文明と国家の混同

2011年01月29日 11時17分17秒 | Weblog
ブログ同志のアリス姫の記事です。大変参考になりました。例えば、時代の流れの中で、お使いものが羊羹からバームクーヘンに変わったとて、日本人の間の心の伝え方はそう変わらないということ。と、ということで、姫のご了解をいただけたので全文打ち直しての転載。また、この記事と関連するKABUの過去記事を末尾に紹介させていただきます。アリス姫、今年もよろしくお願いいたします。そして、突然ですが(笑)、fukufu . . . 本文を読む
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<君が代伴奏命令拒否処分>合憲判決☆読売の一記者に負けた朝日新聞

2011年01月29日 10時57分49秒 | 日々感じたこととか
平成23年、2011年1月28日の東京高裁「日の丸・君が代代表訴訟」判決を考える資料として、4年前の2007年3月1日にアップロードした関連記事を自家記事転載することにしました。 表題の最高裁判決(君が代伴奏拒否訴訟最高際判決、2007年(平成19年)2月27日最高裁第三小法廷判決)に関して、この超マイナーブログにも「判例批評の記事書いてくれ」「憲法的には下級審と最高裁判決とどちらを貴殿は評価す . . . 本文を読む
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<再掲>都立高卒業式「君が代」批判☆威力業務妨害事件判決

2011年01月29日 10時52分57秒 | 日々感じたこととか
昨日、平成23年(2011年)1月28日、出張先の神奈川県大磯町JR大磯駅前の喫茶店で嬉しいニュースに接しました。東京高裁が所謂「日の丸・君が代代表訴訟」で一審を覆し、原告全面敗訴の判決を言い渡した、と。すなわち、卒業式等の学校儀式での君が代斉唱の際に地方公務員たる教職員が起立斉唱や伴奏を拒否することは許されない、と。蓋し、当然の判決でしょう。逆に、これらを違憲とする原告の主張を認めた一審判決の . . . 本文を読む
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<改訂版>サッカーとナショナリズム

2011年01月05日 14時05分43秒 | 日々感じたこととか
もう8年前のこと。2002年日韓ワールドカップの最中、サッカーとナショナリズムの関係について朝日新聞は社説でこう書きました。「サッカーはナショナリズムを刺激しがちな競技である半面、「世界共通の言語」であるとも言われる。 それぞれの国にはそれぞれのサッカーを文化としてはぐくむ土壌がある。W杯は、地域で磨かれた最高のサッカーを、ボールを媒介にして表現する場でもある」(2002年6月 1日社説)、と。サ . . . 本文を読む
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日本語と韓国語の距離が照射する保守主義と生態学的社会構造の連関性

2011年01月05日 13時50分09秒 | 言葉はおもしろいかも
公私多忙中にも「忙中閑あり」の日はあるもので、昨日はふと肩の凝らないファンタジーを読んでしまいました。これです、宇田伸夫『百済花苑-大化改新異聞』(近代文芸社刊・1996年)比較言語好きの間では結構有名な<空想科学歴史小説>。「入鹿虐殺の謎を追って/『日本書紀』に隠されていた『古代朝鮮語』と『蘇我百済王朝』の謎」という帯びの宣伝からして鬼面人を驚かす雰囲気が漂ってくる。もちろん、本書は、「万葉集は . . . 本文を読む
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グローバル化の時代の保守主義☆使用価値の<窓>から覗く生態学的社会構造

2011年01月05日 13時36分50秒 | 日々感じたこととか
  グローバル化の昂進の中で日本はどこに漂着しようとしているのか。本稿はこの些か大仰なテーマについて描いたデッサンです。而して、その理路は、グローバル化の時代というものの措定、そして、グローバル化が歴史的に特殊なある社会に影響を及ぼす様相の検討の順に進みます。尚、本稿の基盤である私の社会思想に関しては下記拙稿を併せて参照いただければ嬉しいです。・読まずにすませたい保守派のための<マルク . . . 本文を読む
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書評☆コーヒーが廻り世界史が廻る-近代市民社会の黒い血液

2011年01月03日 09時55分56秒 | 書評のコーナー
  世に「悪魔のように黒く、地獄のように熱い、天使のように清純で、恋のように甘い」と評される珈琲。本書、臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』(中公新書・1992年10月)は、<珈琲>がいかに人類史に登場し、人類史の中で<珈琲>がどのような役割を演じてきたかが骨太な構図の中に描かれた作品です。而して、著者のバックボーンは些か陳腐なマルクス主義経済理論と思われる。しかし、「どこから弾が . . . 本文を読む
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