*大昔の記事です。画像を除いてそのまま再度掲げることにしました。
その方が、逆に、ごまかしがきかないし、フェアーだと思ったから。
そして、わたしの主張や認識にそう変化がないからです。
皆様が平成の御代の思い出を紡ぐよすがにでもなれば嬉しいです。
加之、本記事中の各国の選挙制度とか投票率、得票率に関する数字の、
この数年間での変遷などを――朝日新聞には嘘がてんこ盛り、鴨ですから――
ネットなどで調べて整理してみるのは、コロナくんステイホームの中、
お子さまの、小学校の夏休みの自由研究のわりと良いテーマになる、鴨。
西村大臣さん↖人間やめろ❗とは言わないけれど、即刻、議員辞職していただきたい、鴨。
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0d46b3b74336b9dc500ad1265f7ef9d6
宇野重規・「民主主義とは何か?」(講談社現代新書)↖スカスカのParisグルメ案内❎
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/5f407c897dadf9e5aacf43d88fa4bd91
終身名誉1推しの某アイドルさん、鴨。
2014-12-29 14:34:00
憲法と選挙制度
米英には 「政争は水際まで:Politics should end at the water's edge.」(野党が与党を与党が野党を攻撃するのは当然であるが、国と国との境の海岸線から先の事柄、つまり、外交・安全保障・食料安保・エネルギー安保等々の分野は与野党を超えて協働してことに当たらなければならない)という箴言があります。而して、--オバマの拙劣な政権運営は悪しき例として--この<マナー>が順守される限り、多党化そのものは悪い話ではない。そして、所謂「ねじれ国会」も。より多くの有権者国民の意見を政治に反映できるというものでしょうから。
所謂「ねじれ国会」(twisted Diet/twisted Parliament)という事態は憲法が両院制を採用していることの必然的結果の一類型であり、それ自体が現行憲法の不備の証左とまでは言えないと思います。けれども、先日まで僅かの中断期間を除けば6年程続いた「ねじれ国会」には、憲法典と憲法慣習の二重の意味での現行憲法体系の不具合が露呈していたの、鴨。要は、日本は一般的な「ねじれ国会」の構図に悩まされたのではなく、日本特有の「ねじれ国会」の内実に呻吟してきたの、鴨。すなわち、
(ⅰ)相対的に、弱すぎる第1院と強すぎる第2院の組み合わせ(憲法典の不備)
(ⅱ)民主党が政権交代前に繰り返した、例えば、予算関連法案の否決、国会同意人事の不同意に象徴される、おそらく、憲法典が予想していなかった憲法運用(憲法慣習の逸脱)
蓋し、議院構成にせよ選挙制度にせよ、時空を問わずいつでもどこでも最適な制度なるものは存在しないでしょう。しかし、個別現下の日本社会においては、これら憲法典と憲法慣習の不備、更には、国民代表を選ぶ選挙制度に関する不備といった三層の重層的な不備の是正が不可避ではないか。と、そう私は考えます。
すなわち、(Ⅰ)憲法改正によって、衆参両院の跛行性にメリハリをつけること、(Ⅱ)国会の現場での審議と協議に関する憲法の運用のあり方を憲法慣習の再確認を通して是正すること(それができなければ立法もしくは憲法の改正を行うこと)、更には、(Ⅲ)選挙制度も、例えば、衆議院の選挙制度を全国500選挙区の完全小選挙区制に移行し、他方、参議院は3年毎に、各都道府県から1名の合計47名、および、全国10ブロックから都合80名を選出する比例代表制(但し、得票率10%~20%程度の所謂「足切り条項:阻止条項」(election threshold)を課す比例代表制)も導入する等の改革が望ましいのではないかと思います。
ちなみに、諸外国では--それも、①国民の意志を可能な限り正確に反映することと、②国の意志を単一に統合することという二律背反的の目的を課されている選挙制度の一つである以上--比例代表制には「適切な足切り数値=得票率」が組み込まれるのが一般的。その意味では(政党助成制度は不完全ながらもこの観点を織り込んだ制度設計になっているのに対して)、現行の日本の比例代表制度は、民意の正確な反映という選挙制度の目的の半分に過度に配慮した歪なものと言わざるを得ないのです。
而して、諸外国では、単一政党での選挙へのエントリーの場合にも5%前後の足切り規定が<相場>であり、トルコの10%やロシアの7%など<相場>を超える国も少なくない。まして、複数の政党が選挙の際に一つの<チーム>としてエントリーする場合には15%~20%が「足切りの得票率」としては<相場>と言える、鴨。
ならば、(政党を渡り歩く不埒で姑息な国会議員の見苦しい生態は置いておくとしても)政党の離合集散の弊害を体験した現下の日本においては単一エントリーも複数エントリーもなく一律10%~20%の得票率を組み込んだシンプルな「足切り条項:阻止条項」(election threshold)を国会議員の選挙制度に導入することは満更理由がないことではない。と、そう私は考えます。
尚、「ねじれ国会」を巡る私の基本的認識については--悪夢の民主党政権下で書いたものですけれども--下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
・「ねじれ国会」の憲法論と政治論
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/893fcd63af5ca96e82cde306845c66ab
・政党政治が機能するための共通の前提
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/dcd70ed7badf1e83cb693e6f64fae67a
投票率と勝利した政権の正当性
投票率が低かったがゆえに「国民世論の支持の度合いは投票結果ほど大きくはない」「有権者国民から託された政治的な信託の大きさはそう大きくはない」、要は、投票率が低い場合その選挙で勝利した政党や首相の政治的正当性には限界があるというリベラル派の主張は全く意味不明です。つまり、選挙で勝利したとしてもその選挙の投票率が低くかった場合には、その政権与党は、
(α)選挙公約を構成する幾つかの政策は実行できない
(β)選挙公約を構成する幾つかの政策については政策の修正が不可欠
(γ)選挙公約を構成する幾つかの政策の立法化もしくは予算化については、他の政策よりも優先順位を落とす、または、平均的な国会での審議時間よりも多くの時間を割く、あるいは、プライオリティーの繰り下げと慎重審議の両方を行わなければならない
とでも言うのでしょうか。ここで、誰がその「選挙公約を構成する幾つかの政策」を特定する権限があるのか(まさか、朝日新聞やNHK、支那や韓国だとは言いたくても公開の時空間では誰も言わないでしょうが、)という素朴な反論は置いておくとしても、もし、リベラル派の主張が(α)~(γ)のような主張であるならば、それは政治的にも「誰も相手にしない議論」でしょうが、憲法論的には到底なり立たない朝日新聞の立憲主義理解なみの謬論であろうと思います。
そして、彼等の主張が(α)~(γ)のような内容ではないとするならば、それは無内容な単なる<詩的言語>による「いちゃもん/負け惜しみ」にすぎない。この点を巡る憲法論については別稿に譲りますけれども、政治的な反論項目を以下アトランダムに挙げておきます。
①日本では広範な投票ボイコット運動が組織されてはいないこと
②国政選挙は信任投票ではなく、棄権を政権批判者と看做す根拠はないこと
③代表民主制における国民代表を選ぶ選挙では、(自分が立候補でもしない限り、極論すれば、自分が立候補しているとしても!)適当な候補者が見当たらない、適当な政党が見当たらない場合、棄権するという行動、すなわち、「わからないことについては判断しない」という態度は自己の有限さを自覚したマチュア-な行動と態度であり、その行動を他者が消極的にせよ「政権与党を批判する行動や態度」と見ることは根拠がないだけでなく僭越であること
④現在の先進国がほぼ例外なく、グローバル化の昂進著しい現在の大衆社会下の福祉国家における代表民主主義国家である現状を鑑みれば、国家は、膨大な大衆からの多様なニーズに効率よく応えるしかない図体は巨大だけれども主体性に乏しい--カール・シュミット流に言えば「全体国家」--にならざるを得なくなる。
他方、単独政権にせよ連立政権にせよ、政権与党はすべからく、広大かつ膨大な領域で社会と接点を持つ行政サービス全般についての--更には、これまた広大かつ膨大な国際行政分野についても--政策体系を持った、ならびに、右派から左派まで広範な有権者国民から支持される--要は、社会の広範な有権者国民から決定的に嫌われることの少ない、逆に言えば、熱烈な支持者からだけでなく、他の政党よりも「よりマシ」という基準で消去法的にせよ支持されうる--「包括政党」にならざるを得ない。ならば、個別の有権者から見た場合、政権与党の<王座>を狙うほどの政党にはそれほどの差は感じられなくなるは当然であり、よって、昔日の投票率と今般の投票率を比べることにそれほど大きな意味はないこと
⑤諸外国の投票率を見ても、強制投票制の国を除けば、21世紀以降に実施された国政選挙の投票率は(例えば、ドイツ・71%:英国・66%:ロシア・60%:フランス・57%:アメリカ・54%)と日本の国政選挙と大差ないこと
これら①~⑤の事実や事柄を想起すれば、投票率が低かったがゆえに「国民世論の支持の度合いは投票結果ほど大きくはない」「有権者国民から託された政治的な信託の大きさはそう大きくはない」などの主張には、政治的や憲法論的どころか床屋談義的や居酒屋談義的にもそう大した根拠はないのではないでしょうか。
・自民党に入党しませんか--支持政党の選び方に関する覚書
https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11764121326.html
ちなみに、今回の衆議院と参議院選挙の比較的低い投票率の背景は、(a)民主党に政権を取らせてしまい激しく後悔している元民主党支持層の多くが、自主的に謹慎した、(b)自民党の消極的な支持者/自民党のコアの支持者ながら多忙な有権者が、事前の報道を見て、自民党の圧勝を確信して安心して棄権した。これら(a)(b)の複合作用の結果だった。(a)(b)と無関係な公明党と共産党がそこそこ手堅い得票率を達成したのはその傍証と言えるのではありますまいか、ありますまいか。
いずれにせよ、⑤は看過するとしても、①②の条件が変わらない限り、もしくは、③の投票行動の哲学的な評価基準が否定されない限り、更には、④の現代社会と現代政治を巡る認識の構図が否定されない限り、熱狂的で圧倒的多数の有権者国民に積極的に支持される政権与党でなければその政治支配の正当性が低いなどの主張は、かなりピントのずれた途方もなくアウトオブファッションの類の主張であろう。と、そう私は考えます。
・民主主義--「民主主義」の顕教的意味
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a11036903f28f118f30c24f1b1e9f2bf
・民主主義--「民主主義」の密教的意味
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0364792934f8f8608892e7e75e42bc10
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