英語と書評 de 海馬之玄関

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「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(2)

2010年10月09日 11時08分55秒 | 日々感じたこととか




◆ナショナリズムと国家-論理的考察

カントの「内容なき形式は空虚であり、形式なき内容は盲目である」の言葉通り、歴史的に特殊な社会思想である<ナショナリズム>の意味もまた「歴史的-論理的」に分析されるしかない。この経緯は、正に、百花繚乱、千紫万紅、個々の「国民国家=国家社会」に憑依しているナショナリズムの目も眩まんばかりの多様性についてだけではなく、「ナショナリズム」なるものに対する一般的な考究についても言えることでしょう。

英米流の分析哲学は、語を定義するという言語行為を、大きくは、「辞書的定義」「規約定義」「事実定義=語の経験分析」の三者に区別します(要は、その語彙が世間ではこのような意味で使用されてきたという情報提供、私はこの語彙をこれこれの意味で使用するという宣言、そして、過去の経験に基づきその語彙を巡り人々が連想する事態や事物の範囲や属性、構造や機能に関する陳述の三者を「語の定義」と考えるということ)。而して、「ナショナリズム」という語の経験分析から本稿では<ナショナリズム>を以下の意味で用いることにします。

(a))「ある国民国家のメンバーであることを自己のアイデンティティーとプライドの根拠と感じる心性」、(b)「(a)の心性が<私>だけではなく<我々>に間主観的に共有されており、かつ、その心性が共有されている事態は好ましいという心性もまた間主観的に共有されているという確信」、(c)「(a)の心性と(b)の確信は実定道徳の規範によって国民国家の内部で再生産されるべきであり、そのような実定道徳は<憲法>の一斑でもあるという判断」、そして、(d)「(c)の如き<憲法>秩序を維持し、かつ、当該の国民国家の存立と<我々>たる国民の生存を守護すべく、国家権力は国益の維持向上に最高の政策プライオリティーを置くべきだという主張」の複合体(★)   


尚、ここで言う<憲法>とは、法典としての(壱)「憲法典」に限定されるのではなく、(弐)憲法の概念、(参)憲法の事物の本性、そして、(四)憲法慣習によって編み上げられている、国家社会内部の<物語=最高法規体系>という意味で使用しています。而して、(壱)~(四)とも、「歴史的-論理的」な認識であり最終的には国民の法意識(「何が法であるか」に関する国民の法的確信)が確定するもので、それらは単に個人がその願望を吐露したものではありません。もしそうでなければ、ある個人の願望にすぎないものが他者に対して法的効力を帯びることなどあるはずもないからです。


このように<ナショナリズム>を理解するとき、蓋し、左翼の論者が(「世界革命路線」を放棄して、彼等の心積もりではそれが仮初の「過渡的-戦術的」対応であったとしても)、ある「主権国家=国民国家」の内にその地歩を占め続けようとする場合、上で定義した<ナショナリズム>と、そして、歴史的に特殊なその当該の国家社会に憑依するナショナリズムの内容の多くは彼女や彼に対しても規範的拘束力を帯びる。と、そう私は考えます。

なぜならば、<ナショナリズム>を否定することは当該の国家の社会統合を断念することと同値であり、要は、当該の国家の社会秩序を否定することに帰すから。そして、その論者が左翼であろうとも、ある国民国家に住む者にとって、<ナショナリズム>とは<伝統>に基礎づけられた具体的なナショナリズムの規範と価値の体系を通して理解・感得できるもの以外ではあり得ないからです。

蓋し、例えば、旧ソ連の成立はロマノフ王朝の「家産国家」から脱してロシアが近代の国民国家を形成したとも解釈できること。また、日本の「安保闘争」は、60年安保も70年安保も、要は、「左翼の袢纏を着てした反米ナショナリズムの祝祭」であったとも位置づけられること。これらを鑑みれば「左翼の愛国心の可能性」は否定できない、但し、その愛国心の対象たる<国家>のイメージは我々保守改革派のそれとは些か異なるだろうけれども、と。そう言えるのではないでしょうか。

★註:ナショナリズムの「存在論的-認識論的」基底
フッサールに従い、例えば、乙姫様のいる竜宮城が「神話的世界」に属し、目の見えない方にとってのモナリザの絵は「伝聞の世界」に、そして、私の現前の電子辞書は<私>の「生活世界=生きられてある世界」に属するとしましょう。而して、<ナショナリズム>の定義を構成する(a)~(d)の契機の基盤には、国家がこれら三世界を縦断する重層的な観念表象であるという認識が横たわっています。

すなわち、ある事柄が、(Ⅰ)実証不可能であり、よって、(「その存在を疑うことができる」という意味で)可疑的な「神話的世界」、(Ⅱ)実証可能ではあるが可疑的な「伝聞の世界」、そして、(Ⅲ)実証可能で、かつ、(最早、その存在を疑う動機を<私>が保ち得ないという意味で)不可疑的な「生活世界」の三個の世界に跨がる観念表象として<国家>は<私>に理解されているということです。敷衍すれば、日本の国民国家は、例えば、(Ⅰ)『記紀』の神話の世界と、(Ⅱ)考古学的な知見や所謂『魏志倭人伝』の記述、あるいは、日々マスメディアが報ずる伝聞の世界にその座を占めているのみならず、(Ⅲ)<私>の「生きられてある世界」の中にも存在している。

ならば、「天壌無窮、皇孫統べる豊葦原之瑞穂国」という、日本の国家社会を統合しているイデオロギーは、単なる右翼の願望ではなく論理的と社会学的に認識可能な観念表象と言えるということです。尚、この補注に関しては下記拙稿を併せてご参照いただければ嬉しいです。   


・風景が伝統に分節される構図(及びこの続編)
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87aa6b70f00b7bded5b801f2facda5e3






◆ナショナリズムと国家-歴史的考察

ナショナリズムは近代の歴史的に特殊な社会思想であり、それは、<中世的帝国>が担保していた社会秩序に比べて資本主義とより整合的な生態学的社会構造(自然を媒介として人と人とが取り結ぶ社会的諸関係の総体)と親和的な社会思想であろうと思います。而して、ナショナリズムは近代が産んだロムルスとレムスの双子の兄弟、すなわち、「主権国家=国民国家」と「国民=民族」に憑依した<守護霊>とも言うべき社会思想である。と、そう私は考えています。

狼に育てられたという伝承が示唆する通り、ローマ建国の英雄ロムルスとレムスの生涯は平坦なものではなかった。そして、この経緯は「主権国家=国民国家」と「国民=民族」についても同様でした。敵は内外に溢れていた。否、この獰猛な双子の新参者は内外の敵を容赦なく蹴落とした。

蓋し、①ラファイエットが美辞麗句を書き連ねた『人権宣言』(1789年)の可決から僅か5年後、1794年までの内乱で20万人~90万人が虐殺された(しかも、彼のギロチンで「正式」に処刑された者は4万人程度に過ぎず、他は、有名な「ナントの溺死刑」等、裁判なしの処刑や単なる虐殺の犠牲者としか考えられない)フランス革命の経過。そして、②ソ連成立時の凄まじい粛清と殺戮、ひいては、③我が戊辰戦争や西南戦争での惨状を想起すればこのことは思い半ばに過ぎるのではないでしょうか。   




畢竟、国民国家と「国民=民族」という双子の誕生期。<中世的帝国>の世界観が漂っていた社会では、同胞同士が鬩ぎ合い夥しい血が流されました。何のためにか。新しく成立する国民国家の構成メンバーになるために/構成メンバーからの脱落を阻止するために。ならば、春秋の筆法で記せば、これらの内戦の犠牲者は<ナショナリズム>が地上に降臨するために必要な生贄であったと言うべきなのかもしれません。

国民国家と「国民=民族」の成立期から幾星霜。それら双子の新参者が、最早、極自然な存在と受け取られるようになった20世紀後半以降は、寧ろ、ナショナリズムは諸民族と諸国民をして各々の自国をより完全なる国民国家にすることを促す機能を果たしているの、鴨。ソ連崩壊とともに雪崩を打って自由主義化・資本主義化した東欧諸国のあり様はその実例でしょう。そして、繰り返しになりますが、日本の「安保闘争」という事態もその一例なの、鴨。そう考えれば、西部邁さん香山健一さん等々、両安保闘争を担ったプロミネントフィギュアーがその後「保守派」に転向したとされるのも寧ろ彼等にとっては自然の成り行きであったの、出羽。と、そう私は考えるのです。






マルクスの理路を使いこれまでの考察を<検算>しておきましょう。蓋し、マルクス『ユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学批判序説』(1844年)の地平によれば、国民国家の成立は、

(1)<中世的帝国>を依代とする世界観の下、経済活動を統べるルールが社会的諸関係自体に埋め込まれていたプレ近代の社会が、(2)私的活動に特化する市民社会と、他方、国家権力の行使を専らその機能とする政治的国家に分裂した事態であると描かれる。   

而して、やはり、マルクス主義社会理論の陥穽はそれが国家権力と国家社会の、あるいは、市民社会と国家社会の違いを認識できていないことだと思います。例えば、(もちろん、その後の『ナショナリズムとジェンダー』(1998年)等の著作で著者自ら自説の不十分さを認めてはいるのだけれども)上野千鶴子『家父長制と資本制』(1990年)のような、教条的マルクス主義者と著者自身一線を画しておられるはずの作品でさえ、「市民社会=市場原理が貫徹する世界」という、このマルクス主義の誤謬と桎梏からは自由ではないのですから。

ならば、国民国家の成立はどう理解すべきなのか。蓋し、それは、(1)プレ近代の社会が、(2)市民社会と政治的国家に分裂した事態というマルクスの認識を引き継いだ上で、

(3)市民社会と政治的国家の両者、加えて、<伝統>が生きられてある生活世界たる国家社会の三者が、<ナショナリズム>の契機によって相互に連関づけられ、恒常的に社会統合を担うイデオロギー、すなわち、<政治的神話>がその国家社会内部で自生的かつ自己組織的に再構築されている事態である、と。そう言うべきであろうと思います。    


畢竟、確かに、ナショナリズムは生態学的社会構造に底礎される観念表象が織成す<物語の体系>に他ならないでしょう。而して、マルクス『ドイツ・イデオロギー』『経済学批判序説』(1845年-1846年,1859年)流に言えば、それは社会のイデオロギー的な上部構造ということになる。しかし、ナショナリズムは国家社会の内部で規範的拘束力を保持しており、よって、「国家社会-市民社会」と「国家社会-国家権力」の回路を通してそれは、<伝統>を媒介に自己を恒常的に再構築する社会思想でもある。と、そう私は考えています。

以下、次項では、これらの考察を踏まえて、「帝国と国家の交錯」の切り口からナショナリズムの内容自体について検討を進めていきます。



<続く>





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