◆戦争被害者個人の賠償請求権
高木さんは、「第一次大戦以前、すでに1907年のハーグ陸戦条約三条は、戦争規制条項に違反した軍隊を持つ国は、被害者個人に対して損害賠償(補償)をしなければならないと定めている。(中略)日本もこのハーグ陸戦条約に、1912年に加入している」(p.212)、「今日において、ハーグ陸戦条約三条は、人道法違反行為に対する損害賠償を請求する個人の権利を保障していると解釈するのが自然なのであり、近年の戦後補償裁判において、条約上に直接の規定がないことを理由に個人の権利を否定するのは、形式論にすぎないと言わざるを得ない」(p.217)と主張する。
確かに、ハーグ陸戦条約(「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」)は、その第3条に「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ」と規定しています。尚、「前記規則ノ条項ニ違反」とは、捕虜の虐待・民間人の殺傷・軍事的必要性を大幅に超える非軍事的施設の破壊等の戦争犯罪のことです。
つまり、同条約3条は「戦争規制条項に違反した軍隊や軍人の責任は当該軍隊が所属する国に帰属する」と定めているのであって、「加害国が被害国の被害者個人に直接損害の賠償をしなければならない」などとは同条約のどこにも書かれていないのです。加之、同条約の成立時から現在に至るまで、国際法における権利義務の主体は、原則、主権国家に限られることは常識でしょう。
而して、ならば、同条約3条は、(被害国に属する諸個人の被害もその「賠償」に算入されるという前提の下に)被害国に対する加害国の賠償責務を規定したものと考えるべきであり、数多の実務の事例もこの解釈の線に沿って取り扱われてきたのです。すなわち、ハーグ陸戦条約3条を巡る高木さんの主張は、高木氏の単なる思い込みか、あるいは、単なる願望、若しくは、その両方であろう。と、そう言う他はないと思います。
◆オランダ人戦後補償請求権事件控訴審判決
具体的な事例を通して前項の考察を検算しておきましょう。例えば、オランダ人戦後補償請求権事件控訴審判決(東京高裁平成13年10月11日判決)はこう述べています。すなわち、「ヘーグ陸戦条約3条は、ヘーグ陸戦規則に違反した加害国の被害国に対する国家の国際責任を明らかにした規定にすぎない」、と。
もし、高木さんが、これに対して「否」と言いたいのならば、被害者個人の請求権を明記した条約なり確立した国際慣習が存在する根拠なりを提出しなければならないでしょう。しかし、『今なぜ戦後補償か』を通読再読しても、この点に関して、(イ)ハーグ条約3条の既存の解釈を覆すような根拠も、また、(ロ)ハーグ条約3条以外の法源も一切提出されてはいないのです。
その代わりということでしょうか、高木さんは、「第二次大戦後は、戦争法違反と個人の権利に関する新たな条約が設けられていないことから、国連決議などは、ハーグ陸戦条約三条が確立した法理に基づいていると考えるべきなのである」(p.218)と述べておられる。けれども、これなども前述の如く単なる個人的な願望の表明であるか、あるいは、どう贔屓目に見ても単なる立法論にすぎず、それは到底、法解釈の理路を構成できるようなものではないと思います(★)。
★補註:私的請求権に基づく対オランダ賠償
本稿の主張に対して、「確かオランダに対しては私的請求権解決のために日本政府は1000万ドル払っています。オランダはサンフランシスコ平和条約を締結し、賠償請求権を放棄しているはずなのに、なぜ日本は(例外的?)オランダ以外の国に対して行っているように「決着済み」とせずに賠償したのでしょうか」「このケースは、他国からの個人補償の可能性を開くものにならないでしょうか」等々の質問が寄せられるかもしれません。
よって、これに関する私の回答を先に記して起きましょう。すなわち、
(i)当該2国間条約は所謂サンフランシスコ平和条約14条が予定する二国間交渉の帰結である。而して、サンフランシスコ平和条約は戦争の終結と戦後処理の枠組みを定めたものであり、オランダを含む9ヵ国に対する戦後保障の内容は個々の2国間条約に任せられることになった。
(ii)当該の1956年のオランダとの2国間条約によって、確かに日本は個人補償を行ったけれども、それは個人に対して補償を行ったものではない。蓋し、同条約は、寧ろ、請求権はオランダ政府にのみあることを認めたものに他ならない。畢竟、個人が被った損害の補償は別に当該条約に限らず広く国際法が認めるものであるが、個人の請求権を国際法は(当該個人が所属する国家や赤十字社を経由する以外)原則認めていない。
(iii)よって、オランダとの2国間条約は私的請求権の根拠ではなく(寧ろ、同条約は私的請求権を否定する根拠であり)、また、同条約はサンフランシスコ平和条約と矛盾するものとも言えない、と。
更に、高木さんは、第一次世界大戦を終結させたヴェルサイユ平和条約(1919年)が「国家の権利と個人の権利とを分離し、賠償と補償(compensation)の区別を明らかにした」(p.199)と語る。その根拠は、国際法で賠償を意味する述語reparationとは別に、compensationをヴェルサイユ平和条約が用いていることらしい。すなわち、reparationとは別にcompensationを同条約が使用したのは、新しい賠償の法的システムを同条約が形成しようとしたからだ、と。そう高木さんは主張されるのです。でもね、でも、これこそ「三百代言的言辞」ではないでしょうか。
この点、上に引用した、オランダ人戦後補償請求権事件控訴審判決はこう述べています。「国際法上、「compensation」という語は、広義には、国家が国際法に違反して他国の法益を侵害した場合に、被害国の被った損害を加害国が補填する行為全般に対するものとして用いられる。また、それは、もっぱら金銭賠償を意味し、特に、戦敗国と戦勝国との間の戦争賠償を意味する用語として「war compensation」という語が使用されることもある。そして、サンフランシスコ平和条約等においても、国家間の戦争賠償を意味する語として「compensate」という語が用いられるのである」、と。而して、事実はその通りなのです。
蓋し、ならば、「高木さん、言葉遊びはもう止めませんか」と、左翼・リベラル派からも<タオル>を投げた方がよろしいのじゃないでしょうかね。
と、そう私はお薦めします。
◆サンフランシスコ平和条約等で放棄された請求権の範囲
大東亜戦争の敗戦後、日本はサンフランシスコ平和条約および多くの2国間条約で戦争賠償問題を解決しました。ちなみに、サンフランシスコ平和条約(1951年)に際しては、東西冷戦構造の深化に代表される国際関係の変容の中、西側の旧連合国は日本への賠償請求権を原則放棄しました。そして、放棄された請求権には被害者個人の請求権も含まれていることに議論の余地はないのです。
注意すべきは、高木さんの立論は、条約等で個人の請求権が放棄されていなければ、戦争被害者が直接、加害国に損害賠償を請求できるというような前提に立っている節も無きにしも非ずということ。けれども、これは明確な間違い。蓋し、それは原則と例外を取り違えた謬論である。
なぜならば、国際法上、条約で放棄されているか否かに関わらず、(加害国と被害国の双方が別様の処理を認めるのでもないない限り)原則、戦争被害者は加害国に損害を請求することはできないからです。畢竟、戦争被害者が損害賠償を請求できる宛先は独り自国政府であり、要は、加害国への請求は自国政府を通してのみ可能なのですから(尚、サンフランシスコ平和条約および日韓基本条約等における「請求権の不存在」に関しては下記拙稿をご参照ください)。
・サンフランシスコ平和条約第11条における「the judgments」の意味(上)(下)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/cf0aef4cbfd18f6fe8fab72b03fb7740
而して、あるいは、最早、蛇足でしょうけれども、韓国の所謂「従軍慰安婦」は、もし、彼女達の<被害>が事実であったとしても、その被害に対する賠償請求は韓国政府に対してのみ行うことができるのですが、その賠償に関して、韓国政府から日本政府に対する求償は日韓基本条約等によって完全に解決済みなのです。
ところが、この点につき本書はこう説いています。「1951年10月から開始された日韓会談で、個人請求権についても議論された。当初韓国は、36年間におよぶ日本の植民地支配の被害に対して謝罪と賠償を要求するとともに、そのもっとも重要な要素として個人請求権も主張していた。しかし、日本政府は、韓国側が明確な証拠を提示できないと知ったうえで、厳格な「証拠主義」で臨み、最終的には賠償金額の上乗せと引き替えに、個人請求権を放棄させたのである」(p.220)、と。しかし、実際の所、日韓会談で、もし個人請求権が放棄されなかったとしても、所謂「従軍慰安婦」を含む韓国国民は日本政府に対して直接、損害の賠償を請求することはできなかったのです。
ゆえに、「繰り返しになるが、個人が補償請求権を持つことは確かである。しかし、戦争終了時に被害者個人が加害国に直接その損害を賠償を請求するのは、実際にはきわめて困難であり手もかかる。そのため、被害者の所属する国の政府が自国民に対する外交保護権を行使して、まとめて賠償請求権を確保するのが望ましい」(p.219)という高木さんの主張は完全な誤りになる。
なぜならば、こちらも繰り返しますが、個人の補償請求権は国際法的には認められてはいないからです。つまり、被害者に代わって(被害者たる自国民に代位して、)被害者の所属する国の政府が加害国に賠償請求することは技術的ではなく法論理的な帰結なのですから。
<続く>
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