本日、2012年3月4日、朝日新聞は全8段の半分をさいて「橋下流教育政策に先行-学校に競争 米改革不評」「学習内容に偏り 教師は疲弊」という記事を掲載していました。要は、子供達の自主性よりも子供達の基礎学力の充実を目指した、ブッシュ政権の所謂「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」(2002-2003)がアメリカでは評判が良くないというもの。蓋し、噴き飯ものの記事だと思います。
なぜならば、(1)同法はその立法趣旨に書かれている如く、「今後12年間ですべての生徒が100%読み書きできるようにすること」を目標としていることに明らかなように、(実質的に、英語の母語話者ではないヒスパニック系の子供達のみならず)多くの子供達が読み書き算盤ができないアメリカ社会で、将来の「人材=労働力」のボトムアップを狙ったものであること。
加之、(2)アメリカでは、合衆国連邦憲法上、連邦政府にそもそもコースト・ツー・コーストの教育内容を定めその教育内容を具現するための人事・予算を采配する権限は与えられておらず、よって、同法のスキームは、(3a)各州に「あらゆるグループの生徒が当該の州の学習標準に順当に毎年前進していることを示すよう義務ずけること」、そのために、(3b)各州が「2005年秋までにすべての教室に良質な教師を配備すること」、(3c)これらの目標を達成するべく学校には補助金(Title I)を配布し、2年連続して目標を達成できなかった学校は補助金の対象から外す。かつ、(3d)この謂わば「落第した学校」の近傍の地域の子供達には他の学校に通う交通費等を支給し、更には、3年~5年連続で「落第した学校」は州政府の管轄下に移し、チャータースクール化、若しくは、バウチャー制度での代替を含め抜本的な改善ステージに移行させる、というもの。
而して、(4)現下のアメリカでの「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」の核心は、(4a)税金の無駄遣いではないか(教育とは、自己責任の原則の下、各家庭がその自己負担で行うべきものではないか)ということであり、毫も、(4b)「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」施行以前の「子供達の自主性」と「現場教師の自由裁量」に回帰すべきだというものなどでは断じてないからです。
寧ろ、(5)アメリカでは、この「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」の施行によって(就中、学力調査とその結果の公表の制度化によって、我が国では石原都知事が教育改革に踏み出す前の、例えば、葛西南高校の如き都立の問題高校の生徒達もかくばかりの)アメリカの子供達の凄まじい学力のあり様が白日の下に曝されることになり、「教育水準の低い家庭のそんな子供達の面倒まで税金で見るのは勘弁」という認識が確定したこと。
よって、(6)我が子の教育を重視する家庭の多くは(それは「the 99%」とは言わないけれど、「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」の廃棄と代替案の主張をフォローする限り、間違いなくアメリカの有権者国民の過半を超える家庭でしょう!)、「ゆとり教育」的なものではなく、要は、すべての子供を平等にではなく、その家庭に教育力のある、かつ、意欲と資質のある子供達にきちんとした基礎学力を身につけさせる教育制度を、すなわち、「橋下流教育政策」的な教育を希求しているとさえ言えるのですから。
いずれにせよ、多くの子供達が、文字通り、「読み書き算盤」ができないアメリカの事例を橋下氏が論じている教育改革と同一に論じるのは、故意とすれば詐欺であり、過失とすれば、日米の比較教育論のイロハの知識さえ欠いた杜撰な主張である。そう言う他はない。と、そう私は考えます。
換言すれば、朝日新聞のこの記事は、それが「ゆとり教育」的ものからの脱却を目指した「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」が現下のアメリカの社会で厳しく批判されていることを正しく報じているものの、その批判の核心が実際には「ゆとり教育」的ものや「国家が子供達の学力に責任を持つという社会主義的な立法目的」に対する、自己責任の原則を奉じる保守主義からの批判である点を故意か過失か看過していること。加之、(そのアメリカ社会ではほとんど全く影響力のない、「子供達の自主性」と「教員の自由裁量」を金科玉条といまだに考えるリベラル左派のコメントを紹介して)、あたかも、「落ちこぼれゼロ法:No Child Left Behind Act」への批判が「ゆとり教育」的ものへの回帰の萌芽でもあるかのように報じている点で噴き飯ものの記事にすぎない。
と、そう私は考えます。畢竟、この朝日新聞の杜撰な記事の如く、左翼・リベラル派からの橋下流教育政策への批判は今後も繰り返されることでしょう。他方、民主党政権による教育破壊政策は現在進行形の事態でもある。而して、おそらく、(国民から評判の悪い「ゆとり教育」という名称は流石に用いないでしょうが、基本的には、そう、「饅頭のあんこ」の部分としては)彼等、左翼・リベラル派がその政策の復活を狙っているであろうあの「ゆとり教育」を今反芻しておくことは満更意味がないことではないの、鴨。よって、この反芻に関しては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいと思います。
と言っても、御用とお急ぎの方も少なくない、鴨。而して、下記拙稿の結論を先に述べておけば、蓋し、ゆとり教育路線の前提には3個の誤算があった。これらの誤算ゆえにゆとり教育は、実は、一部保守改革派も支持する雄大な構想を持ちながらも「砂上の楼閣」に終ったとそう私は考えています。
・砂上楼閣のゆとり教育と総合学習の蹉跌
http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-244.html
・ゆとり教育路線の前提と誤解
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11182604980.html
・学力低下と教育力の偏低迷(上)~(下)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a3279f8638253efa3e952ce242e19cb2
б(≧◇≦)ノ ・・・ 橋下流教育政策、断固支持!
б(≧◇≦)ノ ・・・日本の子供達のために、共に闘わん!
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