民主党政権が推し進めるらしい「政治主導」なるものに関して、菅直人副総理が、現行憲法には「三権分立という言葉は一言も」書かれていないと述べたと報道されています。
従来の行政のあり方、原理は間違っていた。今までは、政治家は国会で法案や予算を審議してください、行政は私たちに任せてくださいというのが官僚の姿だった。大臣や総理大臣は政治家から出るが、その周りは全部、官僚。
明治憲法下では、天皇が総理や大臣を決め、天皇の官僚がそれをサポートする。今の憲法は、総理大臣を直接、国民は選べない。が、国会で多数の議席を得た政党が自分たちのリーダーを総理大臣にして、自分たちの党が内閣全体に責任を持つ。当然、一元的に政党が内閣の中で活動をする。従来は三権分立で、やっちゃいけないことのように言われたが、日本憲法には三権分立という言葉は一言もない。国民主権だ。
だからアメリカのように大統領制の場合は大統領と国会が同権でもいいが、議員内閣制の場合は議会で多数を得た政党が行政にも責任を持つという、この本来の今の憲法上の仕組みに初めてなったのだ。明治憲法以来123年【ママ】、官僚主導の政権が当たり前だったのが、初めて国民主権の内閣ができた。(以上引用終了)
http://www.j-cast.com/tv/2009/10/16051821.html
この発言が憲法論的な主張なのか、それとも「政治学-社会学-歴史学」的なものか些か不明ではあるけれど、いずれにしても、①「現行憲法には三権分立の原則が規定されていない」、②「国民主権の原理を採用する議院内閣制においては、「一元的に政党が内閣の中で活動をする」こと、すなわち、議会で多数を占める与党が行政権行使についても「政治主導=与党主導」で政策を決定し、政策の実現も指導することが国民主権のあるべき姿だ」、そして、③「旧憲法下においては天皇が総理や大臣を決めていた」というのは間違いです。
最後の点に関しては、歴史上、伊藤博文・山縣有朋・西園寺公望・桂太郎等々の元勲、制度的には枢密顧問が総理大臣や時には主要な国務大臣を決めていたこと、また、憲法論的にも旧憲法56条の規定の法意は(伊藤博文『憲法義解』から美濃部達吉・宮沢俊義の概説書に至るまで)戦前の通説もこの慣行と同様に解していたこと。これらからだけでもその誤謬は明らかでしょう(★)。
また、要旨①「現行憲法には三権分立の原則が規定されていない」に関しては、中学・高校の教科書からも容易に反論できる。実際、この要旨は、高校生に「現行憲法における三権分立」の内容を説明するのにちょうどよい<題材>ではないでしょうか(★)。
けれども、結論的には要旨①の認識は間違いだけれども、例えば、「国民主権と民主主義」「基本的人権と三権分立」「立憲主義と民主主義」そして「国民主権と司法の違憲立法審査権」という社会思想的な考究の平面に置かれたとき、要旨①はそう簡単に否定できるものでもない。まして、「憲法と政治政党」「憲法と官僚制」との関係をも考慮すればこの主張に反論することは実は容易ではない。と、そう私は考えます。
本稿は、社会思想の切り口から菅発言の要旨①②を批判し、もって、民主党が呪文のように唱える「政治主導」なるものの「政治学-社会学」的な危険性と憲法論的な喜劇性を私なりに提示するものです。ただ、要旨①②が孕む問題は複雑。よって、多少マニアックな事項は註で補足することにしました。
★註:天皇大権と旧憲法3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」
議会の召集・開会・閉会・解散、陸海軍の統帥と編制、宣戦の布告および講和締結と諸条約の締結、戒厳布告、爵位・勲章・栄典の授与、大赦・特赦・減刑の決定等々、旧憲法4条~16条に例示的に列挙されている、所謂「天皇大権」とは(1889年制定の旧憲法と同じ憲法圏に属するプロシア憲法(1848年)、ベルギー憲法(1831年)と比較対照すれば明らかなように)、その大権事項毎に旧憲法が定めた輔弼協賛機関の判断に他の機関が容喙できないことのみを意味していたのであって(特に、立法大権を除けば議会から干渉されないことを意味していたのであって)、それら大権事項を決定する権限は「政治学-社会学-歴史学」的のみならず憲法論的にも輔弼各協賛機関にあったことは旧憲法解釈の通説でした。
而して、旧憲法3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とは、その古色蒼然たる言辞の装飾を剥ぎ取る時、例えば、プロシア憲法41条「国王の一身は、侵すことができない」と同様、天皇が法的責任の域外にあること、すなわち、法的責任は実質的にも形式的にも諸大権行使の権限を持つ枢密院・内閣・陸軍参謀本部・海軍軍令部にあることを意味していたのです。
★註:現行憲法には三権分立は書かれていないか?
現行憲法は三権分立を規定しています。まず、三権分立を「司法・立法・行政」の各権能を別の機関が担うことと、それらの機関が各自の権能の運用について他の機関から牽制・制約を受けることと定義します(尚、英国の政治の実際を観察した結果、モンテスキューが抽出した「三権分立-権力分立」論はこの定義とは微妙に異なるのですがその説明は割愛します)。
そして、「憲法に書かれている」という言葉の意味を上の三権分立の内容が憲法に書かれていることとします。「三権分立」「憲法に書かれている」という言葉をこう理解することが許されれば間違いなく現行憲法には三権分立は書かれている。条文根拠は例えば次の諸条項。
現行憲法41条後段「国会は、国の唯一の立法機関である」、同65条「行政権は、内閣に属する」、同76条1項「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」。国会による内閣総理大臣の使命(同67条)、衆議院の内閣不信任権(同69条)、内閣の国会解散権(同7条3号および69条)、裁判所の違憲立法審査権(同81条)、最高裁長官および判事ならびに下級裁判所の判事の内閣による任命権(同6条2項および79条1項ならびに80条1項)。蓋し、菅氏は、主権と権力を混同している。と、そう言えるのではないでしょうか。論証終わり。
■主権概念の重層性と主権論の黄昏
人口に膾炙している如く、「主権」という概念は国内的と国際的の、また、政治的と法的との重層的な意味を抱える二重の両義性を孕んだ言辞です。すなわち、「主権」はその領土内における「可死の神」として最高・不可分の政治的権威と権力を意味しており、他方、国際的には国家が他の国家や法王・皇帝からも独立した個々に対等な存在であることを意味しています。
而して、この「国内-国際」の両義性の基盤の上に、「主権」は「誰が国家の政治的意志を最終的に決める権威と権限を持つべきなのか」「国際関係において国家の行動を拘束するルールの根拠と内容はどのようなものであるべきか」という政治哲学的な主張、加えて、それら「国内-国際」の各々の政治哲学的な主張を具現化する形で法制度・法慣習が形成されてきたと言えます(★)。
蓋し、「主権」概念は現前の国内外の「政治的-法的」の社会現象を認識し説明する<道具>にすぎず、「主権」や「国民主権」なるものは概念実在論の如く、(他者の介在ないしに)存在する実体ではありません。要は、「主権」という言辞で現実をより整合的に説明できれば、あるいは、現実の孕む問題解決の施策をその概念を使うことでより整合的・説得的に提示できるのなら「主権」概念は有用であるということです。
而して、一度、最高・不可分の権威と権力を社会の統合軸とする主権国家が成立し、個々の主権国家の対等性と独立性が(建前にせよ)国際法と国際政治のスタンダードと看做されるようになった段階では、まして、「君主主権→国民主権」の移行が終った現在の状況下では、国家権力の国内での最高性と不可分性、対外関係における諸主権国家の対等性・独立性を意味するにすぎない「主権」概念の果たす役割は、最早、そう多くは残っていないのかもしれない。
具体的には、(1)「政治的-国際的」、(2)「政治的-国内的」、(3)「法的-国際的」、(4)「法的-国内的」という主権論を構成する四肢のいずれの部面においても、「主権」概念が新たな政治的要求を補強する根拠になるということは、また、(国際法においても憲法においても)新たな法制度の構築や具体的な紛争の処理に関して「主権」という抽象的な言辞が何らか生産的な機能を果たすとも考えづらいからです。
実際、我が国でも「主権」を巡る憲法論争は、「現行憲法制定の前に主権の移動があったのか」を巡る終戦直後の論争(所謂「八月革命説」に関する「尾高-宮澤」論争)、および、1970年代から1980年代前半にかけての「現行憲法が定める国民主権は、ピープル主権かナシオン主権か」を巡る論争(杉原泰雄・樋口陽一、高橋和之・高見勝利等々の議論)を除けば極めて低調と言わざるを得ないですから。
畢竟、松井茂記「国民主権原理と憲法学」(岩波書店『講座社会科学の方法Ⅵ』(1993年)所収)の言う如く、民主主義が多様な利益集団が互いに競争・妥協しつつ各自の利益を最大化しようとする体制であるとすれば最高・不可分という「主権」概念は民主主義の支配する社会においては百害あって一利なしのアイデアであろうし、また、長谷部恭男「主権概念を超えて?」(岩波書店『憲法学のフロンティア』(1999年)所収)が喝破している通り「主権-国民主権」の原則から国家権力の正当性・正統性を演繹できるという主張も(「主権」概念が優れて歴史的なものであり現在のグローバル化の昂進著しい世界にあっては)そう根拠のあるものではないと私も考えます。
★註:主権概念の成立
主権のアイデアは、中世後期の欧州でローマ法王と神聖ローマ皇帝の権威と権力が漸次衰退するにともない、他方、近世初頭の絶対主義王制の成立に向けた社会的胎動の中で(具体的には、マキャベリー(1469-1527)、ボダン(1530-1596)、ホッブス(1588-1679)ボシュエ(1627-1704)をその代弁者として)三十年戦争に終止符を打ったウェストファリア条約(1648年)を契機に国際法的に漸次確立され、而して、王権神授説のイデオロギーを掲げた英国のスチュワート朝の専制(1603年-1642年)、あるいは、フランスのルイ14世の専制(在位1643年-1715年)を経過する中で国内法的にも整備されたものとされています。
西欧全体を覆い西欧の社会に秩序をもたらしてきた法王と皇帝の権力と権威の衰退。他方、「我が封臣の封臣は我が封臣にあらず」という多層的な支配構造を国王の一元的支配に整理統合する「政治的-経済的」な社会変動が相まって、「内においては最高の外に対しては独立の主権国家」が登場する中で「主権」概念はその「主権国家」を正当化するイデオロギーとして成立したということ。
これは、本邦で、室町時代後期の戦国時代、(公家・武門・寺社という)権門体制下の身分職能による「重層的-多層的」な支配秩序が一円領主制に収斂していくのと共通の動きと考えられます。しかし、日本においては「本所-領家」(荘園を寄進された権門と現地の開発領主)の重層的な土地と領民支配体制が一円領主制に収斂していく中で「主権論」の如きロジックが主張されたわけではなく、畢竟、「主権」概念はキリスト教神学における「神の属性たる最高性と独立性」のアナロジーを地上の秩序に転用したものと考える通説はこの日欧の比較からも説得力があると考えます。
■主権国家とナショナリズム
再度記しますが、主権論は、「内においては最高・不可分の、外に対しては独立・対等の主権国家」の正当化イデオロギーです。それは、近代西欧の歴史的に特殊な文脈の中で成立したこれまた極めて歴史的に特殊なイデオロギーにすぎません。
けれども、日本を始め(19世紀-20世紀を風靡したもう一つのイデオロギーたる「民族自決=ナショナリズム」の社会思想が興隆するにともない、また、資本主義のグローバルな拡大にともない)現在、190有余の「独立国=主権国家」が成立するに及び、主権論は単なる西欧ローカルなイデオロギーから国境を超える普遍性を帯びたイデオロギーに変容したことも否定できない事実でしょう。
蓋し、近代主権国家は、国家権力と国民の間に介在していた(教会・ギルド等々の)所謂「中間団体」の法的権威と権限を中央権力が粉砕・吸収していく過程で人為的に形成されたもの。畢竟、当該の社会に内在していた(to have been embeded)生態学的社会構造(自然を媒介とした人と人との諸関係の総体とその構造)とは一応無縁に主権はそのような人為的な主権国家の成立を正当化したと言えると思います。
而して、これまた人口に膾炙しているように、「近代主権国家(民族国家:nation state)が成立する以前には<民族>も<国民>も<主権>も存在していなかった」という指摘はこの経緯を裏面から透視した認識ではないかと私は考えています。蓋し、その国家社会がいかに同質性の高いメンバーによって(例えば単一民族によって)形成されていようが、いかに、近代国家成立以前のその当該社会の生態学的社会構造が数千年の伝統の中で自生的に形成されたものであれ、その社会が形成した近代主権国家は人為的な構築物であり、よって、その近代主権国家を正当化するイデオロギーたる<主権>や<国民>や<民族>もまた人為的な造作であることは明らかなのです。
この近代主権国家(民族国家)が主権論とナショナリズムの合作である経緯に関しては、アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』(1983年:以下引用は同書(岩波書店・2000年12月)pp.95-96)の次の認識が参考になると思います。
民族を生み出すのはナショナリズムであって、他の仕方を通じてではない。確かに、ナショナリズムは、以前から存在し歴史的に継承されてきた文化あるいは文化財の果実を利用するが、しかし、ナショナリズムはそれらをきわめて選択的に利用し、しかも、多くの場合それらを根本的に変造してしまう。死語が復活され、伝統が捏造され、ほとんど虚構にすぎない大昔の純朴さが復元される。(中略)
ナショナリズムがその保護と復活とを要求する文化は、しばしば、ナショナリズム自らの手による作り物であるか、あるいは、原型を留めないほどに修正されている。それにもかかわらず。ナショナリズムの原理それ自体は、われわれが共有する今日の条件にきわめて深く根ざしている。それは、偶発的なものでは決してないのであって、それ故簡単には拒めないであろう。(以上引用終了)
■主権国家と国民主権
更に繰り返しますが、主権とは「内においては最高・不可分の、外に対しては独立・対等の主権国家の支配と存在を正当化するイデオロギー」である。ならば、この<主権=器>に何を盛りつけようが主権論の機能は基本的に変容することはありません。実際、王権神授説が麗しく謳う「君主主権」であろうがマルクスが夢想した「プロレタリアート独裁」であろうが、はたまた、ルソーが念じた「人民主権:ピープル主権」(直接民主制の中で表示された有権者の一般意思に主権を帰属させる思想)であろうが、そして、現在世界の大方の国の憲法がそれを「中庸」を得たものと考えて採用している「国民主権:ナシオン主権」(国民の総体という観念形象に主権を帰属させる思想)であろうが、「内においては最高・不可分の、外に対しては独立・対等の主権国家の支配と存在を正当化するイデオロギー」としてワークするという点では全く異なる所はなかった。
蓋し、本邦も、明治維新に際して「近代主権国家=民族国家」を構築すべくこの主権概念を継受して現在に至っているのです。ただし、(「誰に国家の最終的な政治的意志を決定する権威と権限が帰属するか」という視点からは)「天皇主権」を採用していた旧憲法とは異なり、現行憲法は「国民主権」の原理を採用している。このことは現行憲法の前文1段「ここに主権が国民に存することを宣言し」、同1条後段「(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」を見れば自明のことでしょう。
現行憲法は「国民主権の原理」を採用している。而して、これは「国の最終的な政治的な意志を決定する権威と権限は国民に帰属するべきだ」という政治哲学的な主張を現行憲法が受容していることに他なりません。尾高朝雄先生の表現を借りれば(尾高朝雄『法哲学概論』(学生社・1953年)pp.272-278)、主権および国民主権という、西欧起源の端的には日本社会の文化伝統および生態学的社会構造とは異質のこれら「法超越的正義」を旧憲法も現行憲法も「法内在的正義」としてその法体系の内部に組み込んだということです。
国民主権の内容とその現行憲法における位置づけをこのように整理するとき、菅発言の要旨②「国民主権の原理を採用する議院内閣制においては、「一元的に政党が内閣の中で活動をする」こと、すなわち、議会で多数を占める与党が行政権行使についても「政治主導=与党主導」で政策を決定し、政策の実現も指導することが国民主権のあるべき姿だ」という主張は、国民主権の原理と現行憲法のかなり恣意的な解釈に依存したものと言えると思います。
蓋し、(甲)国民主権原理は現行憲法に内在している価値であり、国民主権原理に基づき現行憲法が規定している様々な統治機構の制度とその運用のスタイルを新たに提起する場合、それは現行憲法の解釈をスキップしては正当化することはできず、毫も「国民主権」というBig Wordから自動的に演繹されることはないこと。また、(乙)「内においては最高・不可分の、外に対しては独立・対等の主権国家の支配と存在を肯定し、かつ、その主権国家の最終的な政治的な意志を決定する権威と権限は国民に帰属するべきだ」という国民主権の意味内容からは、与党といえども単なる「部分:party=a part of the society」にすぎず、ならば、その意向を「国民の総意」と同一視することは、これは誇張ではなく、国民主権のイデオロギーと正反対のものでさえあるからです。
■民主主義と立憲主義
民主党の「政治主導」なるものは国民主権の原理からダイレクトに演繹されるものではない。加えて、それは(「国民主権」「民族自決」とともに鼎立しつつ)20世紀の社会思想を風靡した「民主主義」の政治哲学からも端的にはサポートされない主張だと思います。
民主主義は、「利害・価値観の決定的対立が存在しない社会において、十分なる情報が与えられた中で自由なる議論を通して、今日の少数派が明日の多数派になる可能性が存在する場合においてのみその政治哲学的な価値を主張しうるイデオロギー」にすぎません。而して、そのような条件下でのみ(衆議院の三分の二を超える巨大与党といえども)国民の部分にすぎない政府与党が「全体:国家&国民」を<僭称>することを「限時法」的に許す体制が民主主義なのではないでしょうか。
ならば、菅発言の要旨②「国民主権の原理を採用する議院内閣制においては、「一元的に政党が内閣の中で活動をする」こと、すなわち、議会で多数を占める与党が行政権行使についても「政治主導=与党主導」で政策を決定し、政策の実現も指導することが国民主権のあるべき姿だ」という主張に端的な民主党の唱える「政治主導」なるものは民主主義の破壊であると同時に現行憲法の破壊でもある。
なぜならば、「部分」にすぎない民主党が(あたかも支那や旧ソ連の「前衛党=共産党」の如く)政府を支配するスタイルは、国民主権と民主主義のオフィシャルな発動回路たる現行憲法の定める「議院内閣制型の三権分立制」という統治機構とその運用スタイルを軽視して(たとえ、次の総選挙までの期間に限定するとしても)「立法・行政 Vs 司法」の二権分立に実質的に移行するものと考えざるを得ないからです。
周知の如く、立憲主義、あるいは、近代的意味の憲法の概念を示したと評されるフランス人権宣言16条は「権利の保障が確保されることなく、権力分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない」(1789年)と語っています。蓋し、同条の主張は(現在で言う所の立憲主義の含意は)、憲法で保障された、あるいは、自然権たる人権は社会の多数派の意向によっても侵害されるべきではないということ。そして、この立憲主義的に再定義された「民主主義的原理にとりあえずは優越する人権の価値」を確保するためには、その憲法の統治機構のデザインにおいて権力の分立の導入が不可欠であるという認識です(★)。
立憲主義の原理は、国民主権の原理とも民主主義とも一応位相を異にする政治哲学的の価値であり、この意味の立憲主義を本邦は旧憲法以来採用してきているのです。ならば、菅発言の要旨①「現行憲法には三権分立の原則が規定されていない」という主張は、(中学生・高校生でも反論できるかもしれない)現行憲法の条項からだけでなく、立憲主義からも完全な間違いと言うべきなのです。
畢竟、三権分立の制度は「部分」を「全体」と限時法的にせよ看做すための憲法に組み込まれた制度でもあり、その根拠は民主主義と立憲主義に収束する。ならば、これら憲法の基本原理に根拠を置く三権分立を軽視して、単なる「部分」にすぎない「与党=民主党」が、現行憲法の定める統治機構の仕組みを軽視して、「前衛党=支那共産党&旧ソ連の共産党」とは異なり「私事領域」にすぎず国民の監視が原理的に届かない民主党内部で国家の政策を決定しその政策の実行もまた政党主導で行なうということは、民主主義と立憲主義に反する、現行憲法と国民主権に対する挑戦に他ならない。そう私は考えています。
★註:民主主義とフランス人権宣言
単なる「大衆の支配の要求」にすぎなかった「民主主義」なるものが、あらゆる政治的価値のチャンピオンに躍り出たのは、第二次世界大戦で連合国が第二次大戦を「民主主義 Vs 全体主義」の戦いと位置づけプロパガンダキャンペーンを繰り広げて以来のことです。而して、民主主義が「衆愚政治」「多数派が少数派の人権を蹂躙しかねない血生臭い危険思想」と欧米においてもほぼ共通に理解されていた19世紀後半以前(実際、そのような狂気の人権蹂躙を行なったロベスピエール率いジャコバン派が政権を奪取した1791年以前)の健全な保守主義がまだいかほどか残っていた状況下でフランス人権宣言は書かれたのです。
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