2015年11月16日
完版:保守派のための海馬之玄関ブログ<自家製・近代史年表>みたいなもの--
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◆「第三次産業革命」の思い出-現在完了進行形的断想
おそらく、実は、多分、「コロンブスの玉子」だったらしい。でも、商売も研究も、恋愛も(?)「やったもんの勝ちやで」ですからね、これまた多分。そんな、その「玉子のコロンブス」のMS-DOS(1981)が理屈の上では、指し示していた方向や風景を。そんな理屈の上の変化じゃなく、Windows 95(1995)は、実際にバッサリと <世界の風景>を変えました。今さがながらも、そうですよね、これ。はい、私達もその証人の1人です。
1985年頃、出張先のアメリカで、幾つかの大学の研究室かなんかで「いんたーねっと」なんぞというものを初めて見せられたときのこと。そのときには--ミネソタとサンフランシスコで何度か見せていただいたディスプレーモニターには、画像はなくて、文字ばかりで、もちろん、音声もなくて、くどいですが、動画は金輪際なくて・・・--、正直、「テレックス」や「ワープロ」との違いがわからなかったものね、わたしたち(笑)。
それから数年の後には、しかし、わたしたちのような私立文系(はい、うちら早稲田と同志社ですが、それが何か?)出身者にも、「いんたーねっと」というものが「The Internet」(と、定冠詞をつけて大文字で書かれねばならないほど、これまでになかった、しかし他から明確に区別される、そう、確としてクリアカットな存在であることは--「one and only」であること、そして、多分、それは「事物」というよりは「事象」。「もの」ではなく「こと」なんだろうなあということは--、それから2~3年でわかるようになりました。
と、それから月日はまた流れ・・・。日本では「1995年のクリスマス商戦」が--Windows 95搭載のウィンドーズ系機種(←懐かしい~!)、および、それとの互換性はまだ乏しいかったものの操作性というか「使う楽しさ」に優れているマッキントッシュの格安機種(確か「パフォーマー」←懐かしい~♪ うちも2台買ったよこれ!)が、文字通り爆発的に売れた。--、IT産業規模の時代的な分水嶺になるらしい。実際、日本ではパソコン屋さんやソフト屋さんはもちろん、ゲームソフトベンチャーやコンピューター教室屋さんとかとか、いろんなIT関連の業界人が「日本のIT革命元年は1995-1996」と言っているものね。
ことほどさように、それくらいの頃、(←おいおい、もう、それさえ、20年も前だぜ!)韓国・台湾・インドに、率直、まだ遅れていたけれど(怒)、日本も<IT革命>の洗礼を受けた。でもね、まー、世界の200近い国の中の--正直、競争参加資格保有国(?)を100として--ならせば世界に5~6年遅れただけのこと、多分(悔)。とにかく、その「1995年のクリスマス商戦」でもって、そいやー! そうそう、日本も<IT革命>の洗礼を受け、なんとか先頭集団に入れたと思う。
ヽ(^o^)丿ヽ(^o^)丿
と、素人がこれ以上一般論書いてもしかたがないよね。なんせ、まして、それから後のことは読者の皆さまにも単なる「history」でしょうからね。而して、実は、ここで書いておきたかったのは、「大惨事」じゃなかった「第三次産業革命」の中の「産業革命」自体にかかわること。換言すれば、今までの「産業革命」と今回の違いにつての感想です。
↑ ↑
世間では、なんか「第4次産業革命」とかも起こっていると騒いでいるらしい。
けれど、ここでは「4」の方には触れません。だって、真面目に「3」だけでも、
「ほんとうはこわいグリム童話」なんかより、こわいくらいの奥行きあると思うから。
* * * * * *
本線に戻ります。蓋し、第一次・第二次のような、--その各々の時代としては--その<技術>の導入には、それ相当の気合いというか覚悟というか、つまり、かなりの資金と人材、度胸と人格崩壊リスク、あるいは、政府による支援やほっとしたら戦争さえもが必要な「革命s」と「IT革命」は違うんじゃないか。前の「革命-1」「革命-2」とは違い、今度の「革命-3」は、文字通り、個人でも比較的容易に参加できる、あるいは、容易に痛い目にあいかねないもの。それは、かなり、敷居の低い間口の広い<革命>さんだと思う。だから、その影響と浸透の速さと規模と細やかさは、二つの先達、第一次と第二次とは全然違う。そうではありますまいか、ありますまいか。そう、
>蒸気機関車! 紡績機械!
>紡績女工の細指が実は帝国の生命線にして最終兵器!
>天をも焦がす八幡製鉄所の高炉の炎!
>鉄は国家なり! 電力こそ国家なり!
↑
(脱原発カルトの人はまだそう思っているから必死なの、カナ)
そして、
>油の一滴は血の一滴!
>座して死を待つより真珠湾!
>さあこい、二ミッッ、マッカーサー!
>・・・・
>・・・・
>畢竟、石油を征する者が世界を征す!
↑
(サウジアラビアの人はそうまだ思っていたいの、カナ)
とかとは今回の<革命>は違うと感じる。少なくとも、前の場合、その導入に物心両面でかなり大仰ななにかがどのプレーヤーにも必要だった。その分、革命が生活や世界を変えるのには少し時間がかかった。あくまでも相対的な比較ですけどね。だって、その「ハード」の伝播受領有資格国に対する移転のありさまだけ比べても、
第一次産業革命:1760代年開始→1860年代伝播終了=[110年間]←革命所要時間
第二次産業革命:1860年代開始→1910年代伝播終了=[60年間]←革命所要時間
それが今回はどう見ても、多分、
あくまでも印象ですが・・・。
第三次産業革命:1980代年開始→1990年代伝播終了=[20年間]
φ(。。;)φ(。。;)
敷衍します。蓋し、地方の農村地域からの集団就職の人達とか、工場や港湾で3交代制で働く人々のために、「衣食住」や「安心安全」だけでなく「冠婚葬祭」や「生き甲斐-死に甲斐」をサポートすること。革命推進側の政府・資本家・起業家にはそのタスクが課せられざるをえない。なぜか。そりゃー、そーでしょうよ。人道や人倫、まして、人権などは資本家や国家独占資本、更には、「天賦人権」と「社会契約」が降臨する以前の社会の欲望に赤裸々な領主や王権が、毫も、歯牙にかけることなどはないとしても--それでも、人情と見栄はいかんともしがたいだろうし--、その「タスク」オミットしたら、会社も社会も、国家も家庭も機能しないですよ。反乱・反抗を鎮圧する方が、あるいは、反乱・反抗に備えることの方が間違いなく「タスク」より高コストだから。
だって、産業革命よりも資本主義(産業資本主義)が先に始まった英国で、「資本の原始的蓄積」などからっきしなかった産業資本家ベンチャー達に、運河・道路・子女の教育を含む公共財の整備を負担したのは、資本主義などには関心がないか軽蔑していたジェントリー層だった、要は、文字通り、言葉の正確な意味での「レディー&ジェントルマン」層の心意気であり善意であり、ありていに言えば虚栄心であり見栄だったこと。実際、エジプトのあのピラミッド建設した作業員さん達、冗談ぬきにかなりの好待遇だったらしいとか、また、日本でも「防人の歌」の「防人役」が、実は、地方名家にとっての誉れ、その次男坊以下の若旦那層にとっては憧れの職責でもあったらしいこととか、--「戦後史学」の甘美でわかりやすい、「近代以前の権力の非道な悪行」的理解がむしろ絵空事である経緯が明らかになっている現在。今から思えば『万葉集』のテクストの性格と、その『万葉集』に「防人のせつせつたる望郷歌」が多数収録されていることの整合性をちと考えれば、子供にもわかりそうなことだった、その常識の線を直視してきちんと--想起・反芻するとき、要は、人情と虚栄心とコストに反する施策は誰もとらないこと/長期的視野から見れば、誰もとることなどできないことは明らかだから。
ならば、<生活>と<人生>をサポートするこの「タスク」は、革命推進側にとって不可避であり、当然、そこには--「タスク」をウィズドローするよりは桁違いに低いとしても、それなりの--コストとリスクも不可避。逆に言えば、というか裏から検算すれば、これは、革命に巻き込まれる側にも、懐かしんだ生活習慣、人間関係の慣れ親しんでいる取り結び方などの、--冗談抜きに、「美人」の基準や「美味しい味噌汁」の意味の修正までの一切合切を含む--自分の価値観と行動規範の変容が、それらの「人々」や「人達」にも、そして、その家族メンバーにも不可避ということ。そしてそれは、あるいは、シシリア出身家庭の善男善女が「ゴットファザー」に昇華する基底にある<自己修正>にともなう葛藤とパラレルなもの、鴨。
というか、これそんな難しいことじゃない。それは、そう、『蟹工船』なり『キャラメル工場にて』、あるいは、『野麦峠』に--作者達が意図した「資本主義糾弾!」的の狙いとは別に--描かれている、というか、浮き出ているもの。そして、それはおそらく、戦後だって、あの『三丁目の夕日』にもまだその同型の something が投影されていること。教科書風に言えば、それは<都会=異国>の環境に適合するために物心両面でいろんなコストやストレスが--若く貧しいその<異邦人>にだけでなく、実は、受け入れる側にも、共に--マストな事情のことです。
而して、この<障害>があればこそ、日本も--西欧に追いつけ追い越せで「促成栽培」というか「隣の秀才君の答案カンニング」して頑張った日本も(笑)--、「坂の上の雲」を追いかけて「1」+「2」の同時達成には半世紀超の月日を要した。それが引き起こす変化が社会の<文化>を変え一定の均衡点に達するまでに半世紀近くの時間を要したということ。
だって、日本人が<三丁目の夕日>見てたときからももう50年過ぎているんだよ。つまり、革命自体はそう難しくないが<革命>が<日常>になるのはそう簡単ではないということ、カナ。だって、東京は--戦後の焼け野原の風情もまだ残っていた、あの<三丁目の夕日>見てたころの東京は--、さっぱり別の外国の街のような、逆に言えば、世界のどこにあってもそう不自然ではないつまらない街になったけど、<須磨帆>と<羅陰>が普段着のパーツになった今でも、<三丁目の夕日>的の諸葛藤は、地方から東京にでてきた人にとっては現役の問題群だものね。でしょう、違う。そこの、富山県氷見市から上京して代々木の専門学校に今年入学したあなた。違う?
* * * * * *
繰り返します。資本家も労働者も、投資家も起業家も。みんな、その変化が心身両面における重層的なものであれ、少しずつ、そう、あたかも氷河の流れのような<風景の変化>に対応すればよかった。前の二つの革命のときにはね。それらも、もちろん大変な作業と経験。だって、今でも、例えば、『おしん』が読者の心を打つのだから、なるほどそれらも過酷で不条理な凄い変化だったのだろう。
けれど、しかし、革命に関わる誰もが、政府も国民も、企業も消費者も、くどいですが、成金旦那も製糸工場の女工さんも、薄給の陸軍の軍人さんも赤線のお姉さんも、--ここでは、その国籍は「日本」であったにせよ、まあ、ほんものの外国人たる<異邦人>、例えば、慶州北道から一族の期待を一身に背負って東京の「専門学校=早稲田大学」とか帝大に進んできた秀才君や、済州島からほとんど口減らしのために日本に連れてこられ川崎のホテルで仲居さんしている、でも、根は快活な彼女のこととかは触れません。別の問題がそこには介在するだろうし、逆に、今論じている点に関しては自説を補強する「かなり都合の良いサンプル」になると思うから。それに字数もあるし(笑)、ということでみんな--昨日やったことを今日は少しずつ変えればそうそう不便はなかっただろうということ。そう私は考えています。でもね、今度は違う、と。あくまでもあくまでも「相対的」にですけれど、多分違うよね、と。そう感じています。なぜか、実例一つ。
もうかなり前のこと、
80を超えた郷里の父から、
あるとき電話があって、
>こんどくさ、こんぴゅーたばしたかったい。
>でくんなら、いんたーねっと、ちゅーもんも、
>やってむーごたっ、たい
(A PC has interested me now. And then, if possible,
I would like to learn a little of the so-called "The Internet.")
と聞いたのは、21世紀に入ってまもない、<昭和>からまだ10年すぐの頃のこと
だったと思う。で、購入してあげて、プロバイダーとかも、これは近くにいた兄が
手配してくれて、なんとかネット環境も整えた。
でもね、でも、どうせ「三日坊主」だよね。まあ、帰省したときに自分でも使える
からいいよね。と、思っていた。兄とも話していた。というかそんなことも忘れた。
そして、半年くらいして帰省したら、あのー、
あのー、なんと、
なんと、80過ぎの後期高齢者が、半年で、独学で、
б(≧◇≦)ノ ・・・わたしよりも「Excel」得意になってたんですけど!
б(≧◇≦)ノ ・・・教育系掲示板に--元公立中学の校長の実体験から--
いろいろ書き込んでいるらしいんですけど!
歳月人を待たず。そんなこともあったよな。と、その父も亡くなって数年がたつ。それから更に10年余り経過した現在、しかし、私の父の例は--親自慢の「子馬鹿」の節もなきにしもあらずで、事実としてもかなり特異な例外--「上出来」の方としても、逆に、世の中は更に変わった。そう、限界集落転落秒読みの僻地(泪)でも、高齢者の方でも、よって、限界集落の高齢者の方の手許にも<須磨帆>や<多葡麗人>はある。というか、そんな<弱者>にとっても--/<弱者>にとってこそ、カナ。--ネット端末機器は<普通の文房具>だし、ネットは<日常の風景>になっていますよね。他のコミュニケーションツールやメディアにアクセスする機会が豊富な<都会>と比べれば相対的には、ね。間違いなく。
社会にそんな変化が起きたことを考えれば<須磨帆>や<多葡麗人>が、ほとんど瞬時に、この<1億>すべてにとって「普段着のボタンの一つ=標準装備的持ち物」になったのは不思議でもなんでもない(だからこそ、「ガラ携が全然まだ元気」なのが真面目な話題になるくらいだものね)。でも、いや、いや、もちろん、関係者は必死でしゃかりきだったと思う。PCや携帯、<須磨帆>に<多葡麗人>、もちろん、ソフトや有料コンテンツ。まして、OSやら通信ハードに、そいでもって「上品で賢いネットライフの上手な導入講座」(笑)とかの営業する人や開発する人は頑張ったに違いない、とは思う。けどね、それだけじゃないでしょう。少なくとも、それは、
>エスキモーに氷を売る!
>受注内定まで6次にわたるコンペを勝ち抜き、そいでもって、
内定公表後180日目以降という周知期間明けに実施される、
直近の国政選挙時の国民投票で正式受注を確定する!
あるいは、
>立憲民主党の国会議員や朝日新聞の社員に<日の丸>を売る?
>3年前の「時刻表ソフト」をエリア訪問販売会社の総務部に売る!
・・・・・ほどには難しかったわけじゃないでしょうよ、と。ちなみに、「エスキモー」は「PC:Political Correct」の観点から「イヌイット」と改訂いたします。これ、英語にするときには(笑)。そして、アメリカ人に「PC」と言っても通じませんよ。それ十中八九、「Personal computer」ではなく「Political Correct」の 「略記:abbreviated term」と受け取られるから。ここ要注意です。閑話休題。
而して、閑話ではなく休題でもなく、問題は、じゃ、その変化が「ほんとうはこわい話」でもないけれど、「この社会をほんとうはどう変える」のか、それがまだまだ見えるようで見えないこと。ええーっ、なーんだ、ですか。はい、そうです。本稿は周知の問題の指摘にすぎないもの、です。もちろん、今、世界のどこかに、ひょっとしたら、限界集落で梅こぶ茶飲んでいるあなたのような誰か、そんな<ビルゲイツ>さんの誰かさんにとっては、そのイメージは<玉子>なんでしょうけどね。少し悔しいけど。
ということで、このテーマは、
機会があれば再論する、鴨です。
最後まで読んでいただき
有り難うございました。
<(_ _)> <(_ _)> ←KABUs
[作成:皇紀2675=2015 A.D.]
・ご当地マンホールとな? 福岡県大牟田市の「ジャーボー」マンホールですかね
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/af7b5a8ad582260de462db102a43ac74
Again ❗