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<アーカイブdemo修正不要>「沖縄は中国領?」☆さよか、なら、「さよなら沖縄♪」かな?

2015年12月15日 12時36分43秒 | Weblog
2010年09月20日 18時30分02秒 | Weblog

 
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支那の新聞に「沖縄は日本が不法占領」しているもので、元来は、支那の領土であるとする論文が掲載されたそうです。曰く、「かつての琉球王国住民の大部分は福建省、浙江省、台湾付近の出身で、言葉も制度も中国大陸と同じだった」、と。この<論文>は、もちろん、現下の尖閣沖での日支の紛争を巡る、支那側のなんらかの政治的意図を帯びたものでしょうし、なにより、法学と言語学の専門的知見からは馬鹿げた主張なのですが、しかし、いろんな意味で考えさせられる<論文>だと思いました。

蓋し、国際法的に見て、また、言語学的に見ても、あるいは、民俗学的に見て、更には、DNA的に見ても「沖縄は日本の領土」であり、沖縄県民、所謂「ウチナンチュー」と、日本列島本土の住民、所謂「ヤマトンチュー」とが遅くとも2千年以上前から<民族学的な意味での同族>であったことは紛れもない事実です。

それに比べれば、

この同じ2千年間で、少なくとも、五胡十六国、五代十国の2回、(民族浄化どころか)DNA的にはほとんどその社会を構成するメンバーが総入れ替え状態になり、かつ、(大体、支那の最初の王朝、殷や周自体が、それ以前の夏王朝や殷王朝にとっては異民族が侵入して打ち立てた王朝じゃねーか!)隋・唐、元、清と4代3期に亘り、非漢民族の王朝に支配されてきた支那人に「言葉も制度も中国大陸と同じだった」などと、ハッタリを言われる筋合いはねぇー!  
  

なのです。ということで、
支那紙に掲載されたこの戯けた<論文>についての報道紹介。


◎中国紙、「沖縄は日本が不法占領」との論文掲載

19日付の中国紙、環球時報は琉球(沖縄県)は明治政府が19世紀末に清国から奪い取ったもので、日本政府は今も沖縄住民の独立要求を抑え込んでいるとの趣旨の署名入り論文を掲載した。

中国大陸に近い尖閣諸島(中国名・釣魚島)については中国領であることは明白で「日本には中国と話し合う資格もない」と結論付けている。

筆者は在日中国大使館勤務経験がある商務省の研究者、唐淳風氏。

論文ではかつての琉球王国住民の大部分は福建省、浙江省、台湾付近の出身で、言葉も制度も中国大陸と同じだったと断言。

(共同:2010年9月19日)   



実際、

紀元前後の前漢・後漢の支那人のDNAからは、当時の支那人は現在の東欧の人々と縁戚であった、また、中国語の統辞論研究(要は、文法の研究)からは、それが(インド=ヨーロッパ語とは別系統であるにせよ、むしろ)印欧語に近しい、と考えられる。   

これらは誰も否定できないこと。また、

律令制のシステムを継受した国は、日本であれベトナムであれ朝鮮であれ、大なり小なり、支那と「同じ制度」を使用したと言える。それは間違いない。なら、現在、英米法系やドイツ法系の法制を継受している国は、実は、英国やアメリカやドイツの領土なのか? なら、実は、戦前の日本法の影響をかって濃厚に継受していた(そして法域によっては現在も継受している)韓国や支那は日本の領土なのか?    

而して、国際法の話。

沖縄が、かって、日本だけでなく支那にも朝貢していたことが(要は、当時の環東シナ海の国際関係においては、「朝貢=貿易」に他ならない!)沖縄が支那の「固有の領土」である理由になるというのなら、支那は(鮮卑や元の後身たる)モンゴルの領土であり、同様に、現在のイラクもクエートも、シリアもエジプトも、トルコの領土になります。

元来、現在の国際法には、白黒はっきり言えば、「固有の領土」という<固有の概念>は存在しないと言った方が正確。要は、大体において近隣諸国からおおよそ認められた平穏なる実効支配がなされているかどうかが「現在の領土問題解決のαでありω」なのです。歴史的事実や記録などは、この「α=ω」が成立していない場合の、紛争解決のための交渉のそのまた資料という位置づけにすぎない(念のために申し添えておけば、だからこそ、尖閣諸島も竹島も日本の領土なのですけれども)。

畢竟、「沖縄が支那の領土」などということはあり得ない。   


これらの事実を踏まえるならば、「言葉も制度も中国大陸と同じだった」などとはよく言ったものだなぁー、と。流石、その厚顔無恥の見事さは、到底、皇室を中心に<大家族類似共同体>として2670年間暮らしてきた我々日本人が真似のできることではないよなぁー、と。この報道に接して皮肉ではなく感心してしまいました。

尚、支那の「世界観-宇宙論」たる「中華主義」、および、土台、<漢民族>という実体が存在していないこと、また、比較言語学的な日本語の歴史に関しては下記拙稿をご参照ください。


・<中国>という現象☆中華主義とナショナリズム(上)(下)
  
http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11153763008.html
 
・日本語と韓国語の距離☆保守主義と生態学的社会構造の連関性
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/790c8bbded92bf52c9c06f913ac6ae2c
 
 
 
 
けれども、しかし、私は思うのです。

もちろん、沖縄は間違いなく日本の領土であり、沖縄県民も間違いなく日本人である。けれど、もし、沖縄県民がその総意として希望されるのならば、沖縄が独立しようが、支那に併合されようがそれはそれでかまわない、と。

畢竟、公共施設に掲げられた日の丸を焼き、皇室に火炎瓶を投げた沖縄。普天間基地問題で、やらずぼったくりを繰り返しながらいまだにごね続けてている沖縄。そして、現下においても沖縄で繰り広げられている、自衛隊の隊員諸氏、そして、同盟国であるアメリカの米軍将兵に対する、<沖縄人>の無礼千万&失礼千万な振る舞い・・・。

これらをを見るにつけ、私はそう感じるのです。

否、自衛官の親族としては、本音では、「沖縄なんか、支那に熨斗つけてくれてやりたい!」くらいですけどね。実際の所、このブログを立ち上げて以降の5年間に限っても、沖縄に関しては堪忍袋の緒が三回くらい切れてますから、独立しようが、支那に併合されようが、お好きにどうぞ、と。而して、その方向性を沖縄県民が決められるまでは、少なくとも沖縄関連の予算は全面凍結でいいのじゃないでしょうかね。
   
すなわち、

戦後生まれの本土の人間にとって「鉄の暴風雨」とやらがいかほど激しかったにせよ、それは、現在、沖縄が特別扱いされる理由には全くならないということ。大体、国民が等しくその運命を甘受するしかない戦争状態において、かつ、どの国の国土も、位置的にも地勢的にも歴史的にも非対称である以上、「沖縄は本土の犠牲になった」という表現自体が成立しないのではないでしょうか。「沖縄」は「日本」の一部ではないのか、と。

なら、沖縄戦に向け戦艦特攻を敢行し撃沈した大和の乗組員遺族や、沖縄戦後、その占領された沖縄を出撃&補給拠点としたアメリカの攻撃に終戦の9月2日までさらされた本土の被害と恐怖を沖縄県民が償ってくれるとでもいうのだろうか、と。<沖縄>以外の日本人は誰もそんなこと思いつきもしないでしょうけれどもね。 
    
と、ことほど左様に、

もし、<沖縄人>が<日本人>としての誇りもアイデンティティも失っているのならば、たとえ、<沖縄人>がDNA的や言語学的や民俗学的には間違いなく<日本人>であろうが、また、国際法的には間違いなく沖縄が日本の領土であろうが、もう、いいよ、と。日本から出て行ってくれ、と。別に、日本にいてくれなくてもいいよ、と。    

そう、私は<沖縄>に言いたい。而して、<沖縄>にそう言いたい気持ちを自分が抱いていることを、この支那の専門的には戯けた<論文>を俎上に載せた報道に接してくっきりと確認できました。

ということで、

「さよなら沖縄」も合理的な選択肢なの、鴨。


ならば、この支那の戯けた<論文>は、案外と、
我が邦の八百万の神々の深謀遠慮のなせる業なの、鴨。

と、そう私は考えています。





尚、沖縄に対しての戦後責任など法的にも思想的にも成立する余地のないこと、また、コミュニティーに自生する<伝統>に価値を置く保守主義の立場からも、<日本である沖縄>が<日本>から独立しようとも、それは、少なくとも思想的には特に問題はないという経緯に関しては下記拙稿をご参照ください。
 
 
・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 
http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65226757.html
 
・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87aa6b70f00b7bded5b801f2facda5e3

さよなら沖縄?

再見 or 不再見-沖縄?





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