小学校からの英語は必要か。これは、英語教育に少しでも関わった経験のある方なら誰もが一家言持っているテーマでしょう。しかも、「総論はそう難しくないけれど、各論の段になると俄然難しくなる」ということも英語教育業界では常識と言っていいかもしれません。まあ、将棋に喩えれば「相矢倉戦」、野球のバッティングでいえば内角高目のストレートへの対応、そして、サッカーで言えば中盤の選手がオバーラップして繰り出すクロスボールを巡る攻防かな。頻繁に問題になる上に英語教育の理念や目的にダイレクトにリンクする。つまり、定番なんだけれど奥が深いテーマということ。けれども、「小学校からの英語は必要か」の総論は比較的簡単。例えば、私は大体次のように考えています。
・できるだけ早くから英語を子供達に教えることは望ましい
・現在の所、義務教育段階で「自分のいいたいことを英語で言える。そのために相手の言い分も英語で聞き取れる。そんな英語の運用能力」、つまり、将来ビジネスに使える英語力(営利事業だけでなく広く「他人と競争したり協力して社会において自己や自己の組織の目的の実現を目指す活動」を行うために、英語を読み・書き・聞き・話し、仕事の用を足せる英語でのコミュニケーション能力)の基礎習得を目標とした場合(どんなに成功したとしても、)4分の1以上の子供達が目標を達成することは難しい
・現在の所、ビジネスを英語で遂行できる英語の運用能力が(どんなに多めに見たとしても、)日本の全労働人口の4分の1以上に必要とは考えられない。誤差と誤解を恐れず換言すれば、TOEICで800点以上の英語力が全労働人口の4分の1以上に必要とは考えられないし、また、TOEIC800点をマークできる英語力の獲得を目標とした場合(よほどの例外を除けば、)学校を終えて社会に出てからでも3~4年一生懸命努力すれば、それはほとんどの人が達成可能な目標である。つまり、全労働人口の4分の3以上の日本人には小学校からの英語教育は必須ではない
・よって、どんなに多くとも各学齢のせいぜい4分の1程度しか英語でのコミュニケーション能力を獲得をしようという動機が(少なくとも、)社会からは与えられない(もちろん、これはここ1~2ディケードで激変するかもしれないけれども)
・ゆえに、義務教育段階で将来ビジネスにも使える英語力の基礎を獲得することが期待できるのは(そのために要求される労力や家庭が負担するコストの大きさを想起すれば、どんなに成功したとしても)、各学齢の「4分の1」~「16分の1」以下(∵4分の1~4分の1×4分の1)の子供達に限られるだろう
・ならば、どんなに成功したとしても、4分の1~16分の1の子供達しか達成できないだろうような、将来ビジネスにも使える英語力の基礎を義務教育段階の到達目標に設定することは適当ではない
・ところで、ビジネスを英語でできる英語でのコミュニケーション能力とは、実は、英語プロパーの運用能力に収まるものではなく、少なくとも、論理的思考能力および効果的な言語と非言語双方の表現力、ならびに、当該ビジネスに固有の知識の複合体である(そう、TOEICで930点取ってもインターナショナルビジネスの現場で(英語での意思疎通に限っても)全く使い物にならない日本人はまれではないのだから)
・そして、論理的思考能力や効果的な表現力の基礎は国語力であり数学=算数の力である
・つまり、英語でのコミュニケーション能力の養成のためにも、少なくとも英語だけでなく国語および数学=算数の学力を向上させなければならない
・義務教育段階の教育の重要な目的は日本の労働力の強化であり、換言すれば、子供達が 将来自立して生計を立てていけるための能力の基礎開発である。ならば、少なくとも、英語だけでなく国語および数学=算数の学力の開発に目配りがなされるべきであろう
・義務教育段階では、英語でのコミュニケーション能力の養成のためにも、有限なる資源を(予算・施設、ならびに、教職員という人的資源のみならずカリキュラムや子供達の使える時間を、)英語だけでなく、少なくとも国語と数学=算数との三者の間で合理的に配分しなければならない
・英語のネーティブスピーカーのレッスンを、週5回、各1時間(45分~60分)受けたとしても、英語への恐怖感を払拭し英語学習の動機を強化することを超えて(英語の先生が嫌い⇒英語が嫌い、という逆効果も冗談抜きに何割かの確率で生起するでしょうが)、それは子供達の英語力の大幅な向上には貢献しない
・結局、事情が許せば小学校から英語を教えることは望ましいが、さりとて、貴重な予算や子供達の学校での履修時間を大幅に割いてまでも小学校で英語のネーティブスピーカーが務めるALT(言語授業補助者)のレッスンを実施する必要はない
総論は以上です。さて、小学校からの英語は必要かの各論は?
各論は俄然難しくなります。特に、「理屈はわかりました。でも文科大臣/知事/市長/教育長/校長先生! うちの子にだけは小学校から英語の授業をして欲しいんです」と考える多くの保護者の熱い要望を考えれば(★)、国の文教政策当局や地方自治体の執行部の具体的な判断は一層難しくなるでしょう。このような保護者の意見を「保護者のエゴ」とか「フリーライダー(=行政サーヴィスへのただ乗り)」だと捉えて、「日本人の子供は日本語をやっとればええねん」といった大胆な主張は(顧客ニーズに応える行政こそが正しいとされる現代の大衆社会では、)まあ、言う人もいないでしょうが(笑)、誰からも相手にもされないと思います。
★註:小学校英語教育に関する保護者の要望
小学校英語、親の71%賛成 教員は54%が反対
小学校の英語教育必修化について保護者の71%が賛成し、教員は54%が反対していることが11日、文部科学省の意識調査で分かった。早期から英語教育を望む保護者と、負担が増える教員との意識のずれが浮き彫りになった。
調査結果は同日開かれた中教審の外国語専門部会で報告された。部会は必修化の是非について3月末までに方向性を示す予定だったが、中山成彬文科相が学習指導要領全体を見直す方針を打ち出したため、結論は秋ごろになる見通し。
意識調査は小4と小6の児童計約1万人、保護者約9600人、教員約2200人を対象に昨年6月に実施した。英語必修化に賛成する理由で最も多かった回答は「早くから英語に親しませておいた方が英語に対する抵抗感がなくなる」で保護者84%、教員75%。反対理由は「小学校ではほかの教科の内容をしっかりと学んでほしい」が保護者67%、教員68%で最も高かった。(共同通信)平成17年3月11日
小学校からの英語は必要か。この問題では、ゲーム理論のタームを使えば「支配戦略」も「ナッシュ均衡」も実際にはなかなか確定できません。というか、ゲーム理論で考える「ゲーム」を記述するための三要素;「プレーヤー」「戦略」「利得」さえ本当はうまく定義できないタイプの問題だというべきかもしれません。
少なくとも、「小学校からの英語」には、文教政策当局・教育現場の執行部やスタッフ・保護者・子供達・将来子供達を労働力として受け入れることになる企業や官公庁等々の利害関係者が登場しますし、各々の行動選択が他のプレーヤーの行動の成果達成の度合いに相互に影響することは間違いない。ですから教科書的な意味では、「小学校からの英語は必要か」の問いはゲーム理論でいう「ゲーム状況」であると言ってもよいと思います。しかし、この問いを実際に解いて妥当な政策や施策を見出すのは(混合戦略型ゲームを想定してもその均衡解を見出すのは、)なかなか容易ではないのです。
小学校からの英語教育に賛成するにしても反対するにしても、その施策がもたらす「利得」や「期待値」の算定さえ大方の関係者が納得するものを現実的に確定するのは難しい。そう、イデオロギー選択の問題がここに横たわっている。うん、たとえば、上の総論で述べた「全労働人口の4分の1」とか「生徒の16分の1」とかは(書いた本人が言うのもなんですが、)何の根拠もない数字です。実際、英語教育の現場を経験した人の中には、「英語でのコミュニケーション能力の基礎を義務教育段階で獲得できる子供は4分の1」というのは、「40分の1」の間違いではないかと思われる方も少なくないでしょう。「4分の1」とか「16分の1」とかはそんな未確定な数字なのです。
ゲーム理論や厚生経済学から考えた英語教育政策論は別の機会に譲りますが、最近、「戦略的経営手法や厚生経済学の知識を使えば英語教育の制度設計の問題なんか簡単に解決できる」と言わんばかりの論説を時々目にします。しかし、現場に密着して英語教育の制度企画をやってきた私は、「そんな簡単や言わはるんなら、自分でやってみなはれ」と叫びたい気持ちになります(彼等への抗議の意味もあって、ゲーム理論についても若干触れたしだいです)。
私は、「小学校からの英語は必要か」の問いを難問にしている要因の一つは、義務教育において子供達全員に同じレヴェルの目標を設定していることだと考えています。それは、この問いを難問にしているだけでなく、現行の日本の教育制度を破産させた諸悪の根源でさえあると思っています。しかし、百歩譲って、これからもしばらくは生徒全員に同じ教育を与える現在の潮流は不変として、よって、世間や保護者のニーズを考慮するならば小学校からなんらかの英語教育が不可避だとするならば、小学校での英語教育の核心は「英文法の基礎と簡単な英語を読み聞き書き話す訓練を徹底的にやる」ことだと考えます。
そして、ALT (言語授業補助者)は普段は使わない。なあにALTがいなくとも、今は、CDもビデオもあるじゃないですか。DVDだってある。インターネットも今や音声と画像に溢れている。ならば、ALTの運用は年に2~3回、「英語ウィーク」や「English キャンプ」(仮称)とかのイベントを設定して、そこで外国人というか異文化に触れ合うくらいで充分だと思います(要は、それ以上は、限界効用というか費用対効果の問題でしょう)。
上でも述べたように、ALTのレッスンよりも英語よりも国語教育や算数教育の充実が日本の小学校にとっては焦眉の急だと私は思っています。ならば、限られた予算と時間を鑑みれば(一人ひとりの子供達にとっては時間は「二度と返ってこない時間」です。)、子供達に身につけさせるべき様々な能力と知識の優先順位を考慮した上で、合理的で現実的な傾斜配分を行い、英国数理社体育等々の各教科ごとに適正な予算と履修時間を決定すべきでしょう。
ならば、言語コミュニケーションのスキル習得に限っても(義務教育段階においても)、論理的思考と表現力の養成に限られた資源を投入すべきかもしれず、よって、小学校から英語を教えるにしてもそれは上で述べたようなかなり限定的なものになるべきなんだろうなと思います。これが各論も考慮した私の結論です。本稿は、羊頭狗肉ではないかもしれないが竜頭蛇尾に終わった観はいなめない。そう我ながら思っています。しかし、「小学校からの英語は必要か」の課題を考えるための幾つかの材料は提示できたかもしれないとも。よって、このテーマに関して、このブログの読者の皆様からご意見を聞かせていただければ嬉しいです。
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でも考えてみれば現場では非常に難しいだろうことが徐々にわかってきますね。予算については私は一応不問にするとして、「現職の教師と英語の教師の折り合い方」や「親の思惑(口出し?)」「その教育効果」難問だらけであることがわかります。さらに新しいことを始めればついて回るマスコミなどの無責任な批判も現場のやる気を失わせかねません。
また、日本人の、英語を習得すればなにがしかの者になれる、受験に強い(エリートになれる)という幻想が根っこにあるのもこまりますね。一般の小学校で英語をやる一番の効果は異文化交流であり、またKABU先生のいう戦略として説得力を持つ存在の育成の底辺を広げるということでしょうね。
後者においては国語力と数学の力とタイアップしたカリキュラム(?)が必要であることは小論文に関わる者としてすごく納得できます。
自分を知らない他者に考えを述べるという当たり前のことができない人が多いのが現状です。決してアタマがわるいと思えないレベルの子でもちゃんと意思を伝えられないのです。「なんとなくわかるよね」「うん僕もそんな感じだ」で伝わってしまう日本の風土(適切ではない表現かも)では説得力など育ちようがないとはいえると思います。
やはり無理やりでもいいから対立点を見出して相手と論争をするくらいのコトバの教育をしなければなりませんね。かなり数学に近くはなりますが、私は相手の人間の感情というか気持ちを理解できる力も養うべきだと思います。ま、これは学校教育でなされるものではないのでしょうが。
私も今ちょっとコトバについて考えています。自分と他者との関係ですね。要するに互いに分かりあいたいのに分かりあえない苦しさに人間は如何に悩むか…ということにつきるんですが。ちょっと難しくなりました。
このテーマは本当に奥が深いと思います。入り口は易しいけれど、途中から異次元空間にワープさせられる感覚を覚えます。小学校からの英語教育の目的は何なのさ? がポイントだとは誰でもわかる。そして、なんちゃら特区ではなく全国規模で考える場合、限られた予算と時間と資源をどう投入するかという問題が<問題>だよなというのもわかる(費用対効果の問題)。でもしかし、・・・・。
先生のおっしゃるように、小さい頃から日本語と別の言語に触れ、たどたどしくもその言葉を使う経験は、①日本語力の向上や②論理的思考能力の向上、さらには、③根拠を挙げながら論理的に、かつ、相手の言い分も聞きながら討議を遂行する能力の向上にも役に立つだろう。つまり、英語教育の目的自体がツリー構造ではなくリゾーム構造である・・・。難しい。でも面白い。近々、この記事の続編をアップロードしたいと思っています。
P/S
8787小論文講座! 楽しみにしていますよ♪
KABU先生に刺激されて始めたとも言えるんですが、ずっと考えてきたことを形にできるのはうれしいし、私自身「論理」の勉強がまた楽しみになりました。
どう筆が運ぶか全くわかりません。ただ、ありふれたものにはしたくないな、と思っています。キツイ言葉もやりとりしたいですね。KABU先生、こちらこそ記事を楽しみにしています。
英語掲示板に投稿していたマッカランです。
これはビッグビジネスチャンス到来ということでしょうか?しっかし小学校から英語は(ほとんど)無駄、その前に国語と理科と算数をが信条の私、
その上ガキに英語を教えたことがないときている。うーん。子供英会話術を学び魂売って教えるか?
KABUさんならこのチャンスをどういかしますか? お知恵拝借いたしたく。
小学校でも英語を必修教科に
・現在は中学校から学んでいる英語について、文部科学省は、小学校でも早ければ2年後の
平成19年度から必修とする方針を固め、全国統一の英語教材を作るなど、具体的な整備を
進めることになりました。
英語については、現在は中学1年から始まり、公立では週4時間程度があてられていますが、
国際化が進む中で前倒しして教えるべきだという意見が多く、文部科学省はその是非について
検討を進めてきました。その結果、これまで以上に時間を割いて、小学校でも英語を必修とする
方針を固め、14日開かれる中教審の外国語部会に示すことになりました。実施されるのは、
早ければ2年後の平成19年度からで、小学3年以上が対象となる見通しです。
これに合わせて、文部科学省は全国の小学校で共通に使うテキストを作るほか、小学校で
英語を教えることができる教員の養成を進めることにしています。さらに、実施に向けて、
現在、週3時間以上行われている「総合的な学習の時間」を使うかどうかや年間で何時間を
あてるかなど、具体的な枠組みについては、専門家らによる検討委員会で引き続き調整を
進めていくということです。
小学校からの英語教育をめぐっては、国際的に低いとされる日本人の英語力を上げるには
早期からの実施が必要だとする意見がある一方で、まず日本語教育を徹底させるべきだとする
意見もあって、ここ20年にわたって導入すべきかどうか議論が続いていました。
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/10/13/k20051013000156.html
はい、異存ありません。
KABUさんの英語掲示板を再読してます。
なつかしい、面白い。
小学校のうちから英語教育を、という議論に対して冷静な判断をして欲しいな、と思っていました。
これをきっかけに、正しい情報が広まること、そして安易に賛成される人が減ることを祈っています。
就活enjoyしてくださいね。またBLOGに遊びにいきます。