フィリップ・フランツ・シーボルトは、1823年(文政6)にオランダ商館の医師として来日し、1829年(文政12)までの6年間、日本に滞在する。帰国に際して、シーボルト事件が起こった。そして、再び日本に来ることを禁じられた。そこまでは知っていたが、そのシーボルトが再び日本に来ていたということを、本書を読んで初めて認識した。どこかで読んでいたかもしれないが、記憶に留めたいほどには意識しなかったのかもしれない。 そのシーボルトが息子のアレクサンダー・シーボルトと一緒に、1859年マルセイユを発ち、長い船旅の末に、再来日する。アレクサンダーが13歳のときだったという。シーボルトが再来日できたのは、1854年に日本が開国し、1858年に日蘭通商条約が結ばれたことにより、シーボルトに対する追放令も解除された結果である。
本書は、シーボルト父子が船旅を経て安政6年(1859)7月6日(西暦では8月)に長崎港に着いた時から、1861年に、父シーボルトが汽船セント・ルイス号で横浜から出港するまでの期間を扱っている。大政奉還が行われるのは1867年(慶応3)である。幕末の尊王攘夷論が吹き荒れ、幕藩体制の基盤が激しく揺れ動いた動乱初期ともいえる時期が本書の背景となる。
父に連れられて初めて異国の地・日本に来た13歳のアレキサンダーの目を通して見た日本と父の思い、行動を、「わたし」を軸にして語っていく。アレクサンダーは単なる黒子の役割で登場するのではない。少年から青年に脱皮していく多感な時期を一外国人として動乱最中の日本・横浜で過ごす。そのプロセスで、自らの人生の方向づけをすることにもなる。本書に登場する主要人物の一人である。アレクサンダーは、日本に留まるという選択をした。「ロシア海軍に行く話を断り、イギリスの通訳官になるつもりだ」と父に告げて。なぜ、この道を選択するのか、そこに作者の視点があるように思う。本書のサブ・テーマの一つだろう。
本書は、幕末動乱期における複数の人間の生き様がテーマであるように思う。それぞれの人生の生き方を選択していく人々、そしてそれらの人々の関わり方が一枚の織地の如くに様々に織りなされて、図柄を生み出し、この作品を彩っていく。各登場人物が己の考え・行動を成し遂げようとするという意味で、それぞれが主人公でもある。自らが主人公でありながら、それぞれの人々と何らかの関わりを持って行くのがアレクサンダーの黒子的役割だと思った。幕末の動乱の時代、それも主に滞在外国人の視点で眺めたこの時代そのものを描くことが、本書のサブ・テーマであるとも言える。
史実を踏まえて、著者の想像力が縦横に点的事象を線として、面として織りなしていく作品だ。学生時代に学ぶ事のほとんどなかった江戸時代末期の具体的な歴史。その時代の胎動をリアルにイメージすることができた。まさにこんな感じだったのか・・・・と。
バクーニンがこの時期、日本に滞在していたなんて、全く知らなかった!
父シーボルトは63歳。オランダ貿易会社の顧問という不安定な立場で来日する。望みは開国した日本の役に立ちたいという思いである。日本研究の第一人者としての自負を抱いていても、その知識は古びてきている。人々に提供できる優れた医療技術ももはや持っていない。だが、この激動する日本と諸外国の関係の中で、日本通の自分が果たせる役割があるだろうと模索する。そして、徳川幕府の政治外交顧問という立場で関わりを持っていく。それは、諸外国の関係者からみれば、別の軋轢要素にもなりえる立場なのだ。
アレクサンダーは、その父の考え方・行動を観察しつつ、日本語を学び、日本の状況について時代認識を深めて行く。横浜という居留地で、諸外国からの来日者との交流、父の関係で知り得た日本人との交流から、己の生き方を考え始める。当時、居留地には商館、倉庫が建ち並び、イギリス人、フランス人、アメリカ人、オランダ人が住んでいたという。シーボルト父子はホテル住まいで滞在する。
社会主義革命家バクーニンは、ドレスデン蜂起を指導したが敗れて捕らえられ、身柄をロシア政府に引き渡された後、1857年からシベリア流罪になっていた。だが、そのシベリアで、イルクーツク県知事・イズヴォリスキーを説得してパスポートを入手する。そして、シベリアを脱出して函館経由で、横浜に来ていたのだ。アレクサンダーは、同じホテルに滞在することになる。そしてバクーニンとの関わりが深まっていく。
バクーニンは、日本で情報収集し、革命家となる素質を持つ日本人指導者を育成しようと虎視眈々とねらっている。
バクーニンという人物像、なかなかおもしろい。ちょっと日本には存在しないキャラクターのような気がする。バクーニンの資金源はどこにあったのだろう・・・・気になる側面でもある。革命家活動の中で、バクーニンがある意味で悲劇の側面を甘受したということも初めて知った。
バクーニンが、清河八郎、高杉晋作と面識の機会を持ったという描写は、大変興味深くかつ新鮮だった。
徳川幕府外国奉行の小栗忠順(後に上野介と名のる)が、幕府開国側の主要人物としてこのストーリーでの一つの太い軸になって登場する。当時35歳だったとか。日本はどうあるべきかを、徳川幕府の中枢にあって思考していた異才として描かれている。遣米使節の一員として渡米し、世界を一周し帰国した人物、これも初めて知った。世界を見る目を持っていた、なかなか肚力のある人物だったようだ。一本の螺子(ねじ)を常に持ち歩いていたのだとか。「こいつからこの国が始まるのだ」という発想。幕府にも先見の明を持つ人物がいたのだ。この螺子は著者の想像力なのか、事実なのか・・・。螺子は象徴的だ。
ジョセフ・ヒコは、アメリカ人になった日本人。海難事故での漂流と鎖国政策が生み出した一人物として登場する。横浜で商館を開き、アメリカ領事館での通訳の仕事もする。アメリカ人の目で、動乱の日本を見つめる日本人。自らの生き方の選択に迫られる一人。こういう立場に投げ出された同種の人々が、たぶん当時はかなりいたのだろう。アレクサンダーとの関わりを深めていく。
三瀬周三は、アレクサンダーの日本語家庭教師として登場する。通訳の立場で、居留地横浜に滞在するが、彼を通して日本人のひとつの視点が描き出される。また、清河八郎はバクーニンと面談する人物だが、ある意味で尊王攘夷派の立場の行動シンボルとして描かれている。幕末動乱期の思潮の一側面が浮かびあがる。高杉晋作は一コマ現れるだけだが、まさに一期一会。バクーニンとの一度の面談で、大きな示唆を得た人物として描かれているように思う。勝麟太郎も登場するが、ちょっとこすっからい人物像として描かれているところがおもしろい。この時期の小栗と勝の人物対比もひとつの時代のファクターになるのかもしれない。
マッコーリーはホテルのバーテンダーである。ジャマイカ生まれのイギリス籍で、マッコーリー男爵という綽名の持ち主。アレクサンダーをサポートする黒子役的存在だが、ホテルのバーテンダーという立場から、様々な人物を見つめる視点での語り部にもなっている。彼にも達成したい夢があり、アレクサンダーに語るのだ。
他にも様々な人々が登場する。これらの人々が主に居留地・横浜を介して関わり、時代の流れに巻き込まれ、また動かす役割を担う。様々な関わり方がストーリーを織りなしていく。時代の変換点-それは人間の生き様がストレートに見えるとき、でもあるのだろう。
幕末という時代に対して、事実の年表的羅列でなく、血が通ったものとしてリアル感をもつには、やはりこういう史実を踏まえた作品は入りやすい。
最後に、本書からいくつか引用し覚書としておきたい。
*幕藩体制は、いわば小国が連合しているだけである。幕府はこれら小国の統率者に過ぎず、一国の政府とは言い難い。そこに開国を迫られ、諸外国との外交を始めた日本のひずみがあった。 p146
*この世界は、わたしが考えているより複雑で、何が正義で何が悪なのかわからないようにできている。 p181
*悲しいってのは、愛おしいってことだよ。ひとの一番きれいな気持ちだ。だから、誰もその気持ちを捨てることはできないんだよ。たとえ命を捨てることになってもな。
p194-195
*わたしにはカツがどんな人間かわかりませんが、聞けば冷笑的なところがあるひとのような気もいたします。 p199
ご一読ありがとうございます。
フィクションに散在する史実を確認するためにネット検索した語句などの一覧をまとめておきたい。
フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト :ウィクペディア
シーボルト事件 :ウィキペディア
シーボルト事件関係者判決文(文政13年):「ようこそ大船庵へ」
シーボルト事件と流出地図 :「ようこそ大船庵へ」
アレクサンダー・フォン・シーボルト :ウィキペディア
小栗忠順 :ウィキペディア
バクーニン :ウィキペディア
ジョセフ・ヒコ → 浜田彦蔵 :ウィキペディア
ラザフォード・オールコック :ウィキペディア
勝麟太郎 → 勝海舟 :ウィキペディア
清河八郎 :ウィキペディア
清河八郎記念館 :「回天の魁士 清河八郎」
高杉晋作 :ウィキペディア
高杉晋作 :「萩市観光ポータルサイト」
スネル兄弟 :ウィキペディア
「資料編 死の商人、ご存知 西のグラバーとご存知ない東のスネル」
天皇と近代日本 :「晴耕雨読」
<上海との関係で決まった幕末> :「よみがえる佐川急便」
高輪東禅寺 ←高輪東禅寺を参拝、高輪大木戸跡を訪ねました:「古寺巡拝」
サスケハナ号 :ウィキペディア
遊覧船 サスケハナ号 伊豆クルーズ
長崎県対馬市 part1 『ロシア軍艦対馬占領事件』 :「素敵な街+α」
対馬の幕末「ポサドニック号」 :「旅する長崎学」
羅紗緬 :ウィキペディア
海外新聞 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『花や散るらん』 葉室 麟 文藝春秋
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版
本書は、シーボルト父子が船旅を経て安政6年(1859)7月6日(西暦では8月)に長崎港に着いた時から、1861年に、父シーボルトが汽船セント・ルイス号で横浜から出港するまでの期間を扱っている。大政奉還が行われるのは1867年(慶応3)である。幕末の尊王攘夷論が吹き荒れ、幕藩体制の基盤が激しく揺れ動いた動乱初期ともいえる時期が本書の背景となる。
父に連れられて初めて異国の地・日本に来た13歳のアレキサンダーの目を通して見た日本と父の思い、行動を、「わたし」を軸にして語っていく。アレクサンダーは単なる黒子の役割で登場するのではない。少年から青年に脱皮していく多感な時期を一外国人として動乱最中の日本・横浜で過ごす。そのプロセスで、自らの人生の方向づけをすることにもなる。本書に登場する主要人物の一人である。アレクサンダーは、日本に留まるという選択をした。「ロシア海軍に行く話を断り、イギリスの通訳官になるつもりだ」と父に告げて。なぜ、この道を選択するのか、そこに作者の視点があるように思う。本書のサブ・テーマの一つだろう。
本書は、幕末動乱期における複数の人間の生き様がテーマであるように思う。それぞれの人生の生き方を選択していく人々、そしてそれらの人々の関わり方が一枚の織地の如くに様々に織りなされて、図柄を生み出し、この作品を彩っていく。各登場人物が己の考え・行動を成し遂げようとするという意味で、それぞれが主人公でもある。自らが主人公でありながら、それぞれの人々と何らかの関わりを持って行くのがアレクサンダーの黒子的役割だと思った。幕末の動乱の時代、それも主に滞在外国人の視点で眺めたこの時代そのものを描くことが、本書のサブ・テーマであるとも言える。
史実を踏まえて、著者の想像力が縦横に点的事象を線として、面として織りなしていく作品だ。学生時代に学ぶ事のほとんどなかった江戸時代末期の具体的な歴史。その時代の胎動をリアルにイメージすることができた。まさにこんな感じだったのか・・・・と。
バクーニンがこの時期、日本に滞在していたなんて、全く知らなかった!
父シーボルトは63歳。オランダ貿易会社の顧問という不安定な立場で来日する。望みは開国した日本の役に立ちたいという思いである。日本研究の第一人者としての自負を抱いていても、その知識は古びてきている。人々に提供できる優れた医療技術ももはや持っていない。だが、この激動する日本と諸外国の関係の中で、日本通の自分が果たせる役割があるだろうと模索する。そして、徳川幕府の政治外交顧問という立場で関わりを持っていく。それは、諸外国の関係者からみれば、別の軋轢要素にもなりえる立場なのだ。
アレクサンダーは、その父の考え方・行動を観察しつつ、日本語を学び、日本の状況について時代認識を深めて行く。横浜という居留地で、諸外国からの来日者との交流、父の関係で知り得た日本人との交流から、己の生き方を考え始める。当時、居留地には商館、倉庫が建ち並び、イギリス人、フランス人、アメリカ人、オランダ人が住んでいたという。シーボルト父子はホテル住まいで滞在する。
社会主義革命家バクーニンは、ドレスデン蜂起を指導したが敗れて捕らえられ、身柄をロシア政府に引き渡された後、1857年からシベリア流罪になっていた。だが、そのシベリアで、イルクーツク県知事・イズヴォリスキーを説得してパスポートを入手する。そして、シベリアを脱出して函館経由で、横浜に来ていたのだ。アレクサンダーは、同じホテルに滞在することになる。そしてバクーニンとの関わりが深まっていく。
バクーニンは、日本で情報収集し、革命家となる素質を持つ日本人指導者を育成しようと虎視眈々とねらっている。
バクーニンという人物像、なかなかおもしろい。ちょっと日本には存在しないキャラクターのような気がする。バクーニンの資金源はどこにあったのだろう・・・・気になる側面でもある。革命家活動の中で、バクーニンがある意味で悲劇の側面を甘受したということも初めて知った。
バクーニンが、清河八郎、高杉晋作と面識の機会を持ったという描写は、大変興味深くかつ新鮮だった。
徳川幕府外国奉行の小栗忠順(後に上野介と名のる)が、幕府開国側の主要人物としてこのストーリーでの一つの太い軸になって登場する。当時35歳だったとか。日本はどうあるべきかを、徳川幕府の中枢にあって思考していた異才として描かれている。遣米使節の一員として渡米し、世界を一周し帰国した人物、これも初めて知った。世界を見る目を持っていた、なかなか肚力のある人物だったようだ。一本の螺子(ねじ)を常に持ち歩いていたのだとか。「こいつからこの国が始まるのだ」という発想。幕府にも先見の明を持つ人物がいたのだ。この螺子は著者の想像力なのか、事実なのか・・・。螺子は象徴的だ。
ジョセフ・ヒコは、アメリカ人になった日本人。海難事故での漂流と鎖国政策が生み出した一人物として登場する。横浜で商館を開き、アメリカ領事館での通訳の仕事もする。アメリカ人の目で、動乱の日本を見つめる日本人。自らの生き方の選択に迫られる一人。こういう立場に投げ出された同種の人々が、たぶん当時はかなりいたのだろう。アレクサンダーとの関わりを深めていく。
三瀬周三は、アレクサンダーの日本語家庭教師として登場する。通訳の立場で、居留地横浜に滞在するが、彼を通して日本人のひとつの視点が描き出される。また、清河八郎はバクーニンと面談する人物だが、ある意味で尊王攘夷派の立場の行動シンボルとして描かれている。幕末動乱期の思潮の一側面が浮かびあがる。高杉晋作は一コマ現れるだけだが、まさに一期一会。バクーニンとの一度の面談で、大きな示唆を得た人物として描かれているように思う。勝麟太郎も登場するが、ちょっとこすっからい人物像として描かれているところがおもしろい。この時期の小栗と勝の人物対比もひとつの時代のファクターになるのかもしれない。
マッコーリーはホテルのバーテンダーである。ジャマイカ生まれのイギリス籍で、マッコーリー男爵という綽名の持ち主。アレクサンダーをサポートする黒子役的存在だが、ホテルのバーテンダーという立場から、様々な人物を見つめる視点での語り部にもなっている。彼にも達成したい夢があり、アレクサンダーに語るのだ。
他にも様々な人々が登場する。これらの人々が主に居留地・横浜を介して関わり、時代の流れに巻き込まれ、また動かす役割を担う。様々な関わり方がストーリーを織りなしていく。時代の変換点-それは人間の生き様がストレートに見えるとき、でもあるのだろう。
幕末という時代に対して、事実の年表的羅列でなく、血が通ったものとしてリアル感をもつには、やはりこういう史実を踏まえた作品は入りやすい。
最後に、本書からいくつか引用し覚書としておきたい。
*幕藩体制は、いわば小国が連合しているだけである。幕府はこれら小国の統率者に過ぎず、一国の政府とは言い難い。そこに開国を迫られ、諸外国との外交を始めた日本のひずみがあった。 p146
*この世界は、わたしが考えているより複雑で、何が正義で何が悪なのかわからないようにできている。 p181
*悲しいってのは、愛おしいってことだよ。ひとの一番きれいな気持ちだ。だから、誰もその気持ちを捨てることはできないんだよ。たとえ命を捨てることになってもな。
p194-195
*わたしにはカツがどんな人間かわかりませんが、聞けば冷笑的なところがあるひとのような気もいたします。 p199
ご一読ありがとうございます。
フィクションに散在する史実を確認するためにネット検索した語句などの一覧をまとめておきたい。
フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト :ウィクペディア
シーボルト事件 :ウィキペディア
シーボルト事件関係者判決文(文政13年):「ようこそ大船庵へ」
シーボルト事件と流出地図 :「ようこそ大船庵へ」
アレクサンダー・フォン・シーボルト :ウィキペディア
小栗忠順 :ウィキペディア
バクーニン :ウィキペディア
ジョセフ・ヒコ → 浜田彦蔵 :ウィキペディア
ラザフォード・オールコック :ウィキペディア
勝麟太郎 → 勝海舟 :ウィキペディア
清河八郎 :ウィキペディア
清河八郎記念館 :「回天の魁士 清河八郎」
高杉晋作 :ウィキペディア
高杉晋作 :「萩市観光ポータルサイト」
スネル兄弟 :ウィキペディア
「資料編 死の商人、ご存知 西のグラバーとご存知ない東のスネル」
天皇と近代日本 :「晴耕雨読」
<上海との関係で決まった幕末> :「よみがえる佐川急便」
高輪東禅寺 ←高輪東禅寺を参拝、高輪大木戸跡を訪ねました:「古寺巡拝」
サスケハナ号 :ウィキペディア
遊覧船 サスケハナ号 伊豆クルーズ
長崎県対馬市 part1 『ロシア軍艦対馬占領事件』 :「素敵な街+α」
対馬の幕末「ポサドニック号」 :「旅する長崎学」
羅紗緬 :ウィキペディア
海外新聞 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『花や散るらん』 葉室 麟 文藝春秋
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版