幕末の動乱期、勤王佐幕で時世が沸騰する最中の九州日向にある伍代藩(七万石)が舞台となる作品だ。「この君なくば一日もあらじ」という章句が本書のテーマである。この言葉は、竹林の中に建てられた茅葺の家、此君堂(しくんどう)と称された家に住む民間国学者・檜垣鉄斎の娘・栞が生涯胸中に抱き続けた言葉なのだ。栞は和歌の才能を顕し、晩年の鉄斎の自慢の種であった。その栞の秘めた思いの相手が楠瀬謙、本書の中心人物の一人でもある。
本書は、楠瀬譲が此君堂で、鉄斎亡き後、栞から月に一度和歌の添削を受けるために訪ねて行くところから始まる。
軽格の武士の家に生まれた楠瀬譲は、鉄斎の講義を此君堂の庭で立ち聞きすることを願い出て許され学問の道に入る。1年通い続けた頃、鉄斎から日頃心がけていることは何か、と訊かれ「稚心を去るということでしょうか」と答える。そして、正式の門人として講義を聞くことを許されるようになり、鉄斎の門人としてその薫陶を受ける。「稚心を去る」という譲の言葉に、譲の人生を大きく左右する背景があったことがいずれ明らかになる。
譲は17歳の時に志を立て大坂に向かい適塾で蘭学を学ぶ。帰国後蘭方医として召し出されるが、後に殖産方となる。藩主伍代忠継の信認厚い人物となっていく。このことが、楠瀬謙の人生を大きく動かしていき、藩主並びに小藩である伍代藩の命運を左右していく立場に置かれていくことになる。つまり楠瀬謙を軸として、幕末期の状況の転変が描写され展開されていく。勤王佐幕に揺れる幕末期のありようを描くということが、著者のテーマの一つでもあったのだろう。
譲は藩主のお声懸かりで、馬廻り役二百石の杉浦家の三女由利を妻に迎えることになる。その由利が夏風邪をこじらせ、三歳になる愛娘の志穂を残してあっけなく亡くなる。譲にとって月に一度、此君堂で栞から和歌の添削を受けることは密かな楽しみでもあり、勤めから心が開放される機会でもある。栞に対し譲も言葉に出さぬ思いを秘めている。著者がライフワークにしているのだろうと私は思うのだが、「忍ぶ恋」というテーマが本書にも、作品の基盤にある。
藩主忠継は進取の気性を持ち、洋学への好奇心旺盛な開国派である。この藩主の命により、譲は開国反対の尊皇攘夷派が天誅騒ぎを起こしている京に、公家衆に会うために出かけることになる。時世の情勢をつかむためである。譲は貿易により小藩を豊かにしていこうと考える立場をとる。文久2年(1862)9月に京に出立する。本書は文久2年の少し前から明治5年(1872)1月までの10年余の期間を扱っている。幕末動乱・明治揺籃という時代模様を主に九州から眺めた状況としてイメージできる作品でもある。
藩主忠継は楠瀬譲に藩政の一翼を担わせていこうという意図を持つ。楠瀬譲を支持する立場として終始一貫して背景に居る。その忠継は、由利亡き後、譲が由利の妹・五十鈴との縁組により杉浦家の継承者となり、藩政において重責を担わせていきやすくしたいという意図を示す。五十鈴自身も譲との縁組に対し積極的な意思を持つ形で登場してくる。
ここで、栞と五十鈴の微妙な関係が生じてくることになる。「この君なくば」の思いを軸に、女心の揺らめきと一途な思いでの関わり合いがテーマとなっていく。譲が京に出た後の日向に留まる女性たちの関わりあい、こころの綾が描かれていく。栞と五十鈴が顔を合わせる歌会で相互に認め合う関係、譲の留守宅・楠瀬家の志穂及び譲の母・弥生と栞の交流、栞の思いを推し量りつつ時には助言しまたその生き様を見つづける母・房と栞との関わりなどが描き込まれていく。
図式的にこの作品の構造を見れば、譲・栞・五十鈴の三者関係、開国派藩主と国学・蘭学・和歌を学んだ楠瀬譲に対する小藩内に蠢く尊王攘夷派の存在、楠瀬譲と尊皇攘夷の信念を表明し行動に出る小姓組佐倉健吾との関係、江戸幕府と尊皇攘夷派との対立抗争がある。また、国学者檜垣鉄斎と藩儒羽賀道世との学者同士の論争が藩内での意見対立もめごとの淵源になるという図式が背景にある。道世が「天下は天朝の天下にして、ひとりの天下なり」としたのに対し、鉄斎は「天下はひとりの天下に非ず、天下の天下なり」と反論した。さらに、九州・中国地方諸藩の立場・状況と伍代藩との関わり、楠瀬譲と久留米藩の今井栄との関係などが、多面的に関わり絡まり合いながらストーリーが展開していく。
視点を変えて眺めると、それぞれの立場でそれぞれの人が「この君なくば」という思いで突き動かされていた時代として、その生き方を本書タイトルに重ねあわせているとも読めそうである。
『晋書』王徽之伝に、竹を愛でた言葉として、「何ぞ一日も此の君無かるべけんや」という章句があるという。此君堂はここからとられた。<此君>は竹の異称である。檜垣鉄斎が「この君なくば一日もあらじ」を口癖にしていたのだ。その言葉が栞の思いと生き方を表明する言葉にもなる。裏返せば、それは譲の心情にも通底していく言葉である。
五十鈴の生き様は、爽やかな印象を残すものとなっていて、気持ちが良い。
真木和泉、大久保一蔵、西郷隆盛、高杉晋作、榎本武揚などがストーリー展開の中で点描されていて興味深い。
最後に、本書のテーマとも絡むが、印象深い文をいくつか引用しておこう。
*自らすぐれたところを恥じることはございませんよ。あなたを常ならぬと申したのは、鉄斎殿が常ならぬ方だったからです。鉄斎殿の血を引くあなたが、間違った道を歩むはずはありません。世間を恐れているわたしの方が間違っていた、と気づいたのです。 p70
*譲を心底思っているのであれば、その苦しみをともに分かち、生きる支えとなれるはずだと叔父は告げたかったに違いない。五十鈴から強く言われただけで身を退くことを考え、身を退くことばかり考えて、譲を支えるということに思いが至っていなかったのではないか。 p75
*さらされていた村山たかに、運命を翻弄されながらも、おのれの信ずるものに殉ずる美しさを覚えました。いまの世はいずれの地にいようと、荒れ狂う時の流れを避けて通ることなど許されないと覚悟いたすしかないのではありますまいか。 p98
*世の動きと自らの生き方は、おのずと違いましょう。世の流れに自らの生き方を合わせては、自身の大本を見失うかと存じます。 p115
*されど、権勢というものは、それを得たいとあがく者が結局のところは握ります。われらの如く仕事をしたいだけの者は権勢とは無縁ゆえ、痛い目を見るかもしれぬと諦めにも似た心持がいたしましてな。 p122
*風を受けるからこそ、たがいにかばい合う心持ちが強くなっているのだ。 p176
*「寄る辺ないころに見たものが美しかったとは、不思議なことだな」
「待つという想いが込もればこそ、すべてがいとおしく見えていたのだと思います」
p184
*飄風は朝を終えず、驟雨は日を終えず p210
ご一読ありがとうございます。
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本書に出てくる語句でネット検索してみたものをリストにまとめておきたい。
久留米藩 :「江戸三百藩HTML便覧」
今井栄 :「kurumenmon.com」
真木和泉 ← 真木保臣 :ウィキペディア
久留米藩士「真木和泉」 :「高杉晋作と徒然なる旅を」
村山たか :ウィキペディア
久坂玄瑞 :「吉田松陰.com」
榎本武揚 :ウィキペディア
榎本武揚 :「近代日本人の肖像」
大鳥圭介 :ウィキペディア
大鳥圭介 :「近代日本人の肖像」
河上彦斎 :ウィキペディア
愛宕通旭 朝日日本歴史人物事典の解説 :「コトバンク」
外山光輔 朝日日本歴史人物事典の解説 :「コトバンク」
二卿事件 :ウィキペディア
長州藩軍艦 庚申丸 :ウィキペディア
癸亥丸 :ウィキペディア
久留米藩軍艦 雄飛丸 :ウィキペディア
江戸幕府 千歳丸 :ウィキペディア
翔鶴丸 :ウィキペディア
開陽丸 :ウィキペディア
咸臨丸 :ウィキペディア
サラキ岬に眠る「咸臨丸」 :「北の大地の始発駅 木古内町」HP
安政の大獄と井伊直弼 :「幕末動乱のコーナー」(歴史倶楽部)
井伊直弼の安政の大獄と尊攘運動・西南雄藩の台頭:「日本史・世界史の事象と人物」
清側義軍
天誅組
生野義挙 ~維新の魁~
生野義挙碑 :「朝来市」HP
文久3年8月18日の政変 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
八月十八日政変関係史料 :「日本史探偵団文庫」
禁門の変 :「はてなキーワード」
船中八策 :ウィキペディア
版籍奉還 :ウィキペディア
廃藩置県 :ウィキペディア
版籍奉還と廃藩置県 :「静岡県総合教育センター」
廢藩置縣ノ詔書 :ウィキソース
開拓使 :ウィキペディア
明治維新と北海道開拓使 :「明治の礎 北海道開拓」
アームストロング砲 :ウィキペディア
ミニエー銃 :ウィキペディア
西山書屋 ← 大楽源太郎の西山書屋跡の石碑(防府市台道上り熊)
池田屋事件をまだ知らず毛利定広が軍事調練を行った場所にきた
:「歴史と地理な日々(新版)」
有終館 熊本藩兵学校
← 熊本藩作事所 鶴崎有終館跡
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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『星火瞬く』 葉室 麟 講談社
『花や散るらん』 葉室 麟 文藝春秋
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版
本書は、楠瀬譲が此君堂で、鉄斎亡き後、栞から月に一度和歌の添削を受けるために訪ねて行くところから始まる。
軽格の武士の家に生まれた楠瀬譲は、鉄斎の講義を此君堂の庭で立ち聞きすることを願い出て許され学問の道に入る。1年通い続けた頃、鉄斎から日頃心がけていることは何か、と訊かれ「稚心を去るということでしょうか」と答える。そして、正式の門人として講義を聞くことを許されるようになり、鉄斎の門人としてその薫陶を受ける。「稚心を去る」という譲の言葉に、譲の人生を大きく左右する背景があったことがいずれ明らかになる。
譲は17歳の時に志を立て大坂に向かい適塾で蘭学を学ぶ。帰国後蘭方医として召し出されるが、後に殖産方となる。藩主伍代忠継の信認厚い人物となっていく。このことが、楠瀬謙の人生を大きく動かしていき、藩主並びに小藩である伍代藩の命運を左右していく立場に置かれていくことになる。つまり楠瀬謙を軸として、幕末期の状況の転変が描写され展開されていく。勤王佐幕に揺れる幕末期のありようを描くということが、著者のテーマの一つでもあったのだろう。
譲は藩主のお声懸かりで、馬廻り役二百石の杉浦家の三女由利を妻に迎えることになる。その由利が夏風邪をこじらせ、三歳になる愛娘の志穂を残してあっけなく亡くなる。譲にとって月に一度、此君堂で栞から和歌の添削を受けることは密かな楽しみでもあり、勤めから心が開放される機会でもある。栞に対し譲も言葉に出さぬ思いを秘めている。著者がライフワークにしているのだろうと私は思うのだが、「忍ぶ恋」というテーマが本書にも、作品の基盤にある。
藩主忠継は進取の気性を持ち、洋学への好奇心旺盛な開国派である。この藩主の命により、譲は開国反対の尊皇攘夷派が天誅騒ぎを起こしている京に、公家衆に会うために出かけることになる。時世の情勢をつかむためである。譲は貿易により小藩を豊かにしていこうと考える立場をとる。文久2年(1862)9月に京に出立する。本書は文久2年の少し前から明治5年(1872)1月までの10年余の期間を扱っている。幕末動乱・明治揺籃という時代模様を主に九州から眺めた状況としてイメージできる作品でもある。
藩主忠継は楠瀬譲に藩政の一翼を担わせていこうという意図を持つ。楠瀬譲を支持する立場として終始一貫して背景に居る。その忠継は、由利亡き後、譲が由利の妹・五十鈴との縁組により杉浦家の継承者となり、藩政において重責を担わせていきやすくしたいという意図を示す。五十鈴自身も譲との縁組に対し積極的な意思を持つ形で登場してくる。
ここで、栞と五十鈴の微妙な関係が生じてくることになる。「この君なくば」の思いを軸に、女心の揺らめきと一途な思いでの関わり合いがテーマとなっていく。譲が京に出た後の日向に留まる女性たちの関わりあい、こころの綾が描かれていく。栞と五十鈴が顔を合わせる歌会で相互に認め合う関係、譲の留守宅・楠瀬家の志穂及び譲の母・弥生と栞の交流、栞の思いを推し量りつつ時には助言しまたその生き様を見つづける母・房と栞との関わりなどが描き込まれていく。
図式的にこの作品の構造を見れば、譲・栞・五十鈴の三者関係、開国派藩主と国学・蘭学・和歌を学んだ楠瀬譲に対する小藩内に蠢く尊王攘夷派の存在、楠瀬譲と尊皇攘夷の信念を表明し行動に出る小姓組佐倉健吾との関係、江戸幕府と尊皇攘夷派との対立抗争がある。また、国学者檜垣鉄斎と藩儒羽賀道世との学者同士の論争が藩内での意見対立もめごとの淵源になるという図式が背景にある。道世が「天下は天朝の天下にして、ひとりの天下なり」としたのに対し、鉄斎は「天下はひとりの天下に非ず、天下の天下なり」と反論した。さらに、九州・中国地方諸藩の立場・状況と伍代藩との関わり、楠瀬譲と久留米藩の今井栄との関係などが、多面的に関わり絡まり合いながらストーリーが展開していく。
視点を変えて眺めると、それぞれの立場でそれぞれの人が「この君なくば」という思いで突き動かされていた時代として、その生き方を本書タイトルに重ねあわせているとも読めそうである。
『晋書』王徽之伝に、竹を愛でた言葉として、「何ぞ一日も此の君無かるべけんや」という章句があるという。此君堂はここからとられた。<此君>は竹の異称である。檜垣鉄斎が「この君なくば一日もあらじ」を口癖にしていたのだ。その言葉が栞の思いと生き方を表明する言葉にもなる。裏返せば、それは譲の心情にも通底していく言葉である。
五十鈴の生き様は、爽やかな印象を残すものとなっていて、気持ちが良い。
真木和泉、大久保一蔵、西郷隆盛、高杉晋作、榎本武揚などがストーリー展開の中で点描されていて興味深い。
最後に、本書のテーマとも絡むが、印象深い文をいくつか引用しておこう。
*自らすぐれたところを恥じることはございませんよ。あなたを常ならぬと申したのは、鉄斎殿が常ならぬ方だったからです。鉄斎殿の血を引くあなたが、間違った道を歩むはずはありません。世間を恐れているわたしの方が間違っていた、と気づいたのです。 p70
*譲を心底思っているのであれば、その苦しみをともに分かち、生きる支えとなれるはずだと叔父は告げたかったに違いない。五十鈴から強く言われただけで身を退くことを考え、身を退くことばかり考えて、譲を支えるということに思いが至っていなかったのではないか。 p75
*さらされていた村山たかに、運命を翻弄されながらも、おのれの信ずるものに殉ずる美しさを覚えました。いまの世はいずれの地にいようと、荒れ狂う時の流れを避けて通ることなど許されないと覚悟いたすしかないのではありますまいか。 p98
*世の動きと自らの生き方は、おのずと違いましょう。世の流れに自らの生き方を合わせては、自身の大本を見失うかと存じます。 p115
*されど、権勢というものは、それを得たいとあがく者が結局のところは握ります。われらの如く仕事をしたいだけの者は権勢とは無縁ゆえ、痛い目を見るかもしれぬと諦めにも似た心持がいたしましてな。 p122
*風を受けるからこそ、たがいにかばい合う心持ちが強くなっているのだ。 p176
*「寄る辺ないころに見たものが美しかったとは、不思議なことだな」
「待つという想いが込もればこそ、すべてがいとおしく見えていたのだと思います」
p184
*飄風は朝を終えず、驟雨は日を終えず p210
ご一読ありがとうございます。
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本書に出てくる語句でネット検索してみたものをリストにまとめておきたい。
久留米藩 :「江戸三百藩HTML便覧」
今井栄 :「kurumenmon.com」
真木和泉 ← 真木保臣 :ウィキペディア
久留米藩士「真木和泉」 :「高杉晋作と徒然なる旅を」
村山たか :ウィキペディア
久坂玄瑞 :「吉田松陰.com」
榎本武揚 :ウィキペディア
榎本武揚 :「近代日本人の肖像」
大鳥圭介 :ウィキペディア
大鳥圭介 :「近代日本人の肖像」
河上彦斎 :ウィキペディア
愛宕通旭 朝日日本歴史人物事典の解説 :「コトバンク」
外山光輔 朝日日本歴史人物事典の解説 :「コトバンク」
二卿事件 :ウィキペディア
長州藩軍艦 庚申丸 :ウィキペディア
癸亥丸 :ウィキペディア
久留米藩軍艦 雄飛丸 :ウィキペディア
江戸幕府 千歳丸 :ウィキペディア
翔鶴丸 :ウィキペディア
開陽丸 :ウィキペディア
咸臨丸 :ウィキペディア
サラキ岬に眠る「咸臨丸」 :「北の大地の始発駅 木古内町」HP
安政の大獄と井伊直弼 :「幕末動乱のコーナー」(歴史倶楽部)
井伊直弼の安政の大獄と尊攘運動・西南雄藩の台頭:「日本史・世界史の事象と人物」
清側義軍
天誅組
生野義挙 ~維新の魁~
生野義挙碑 :「朝来市」HP
文久3年8月18日の政変 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
八月十八日政変関係史料 :「日本史探偵団文庫」
禁門の変 :「はてなキーワード」
船中八策 :ウィキペディア
版籍奉還 :ウィキペディア
廃藩置県 :ウィキペディア
版籍奉還と廃藩置県 :「静岡県総合教育センター」
廢藩置縣ノ詔書 :ウィキソース
開拓使 :ウィキペディア
明治維新と北海道開拓使 :「明治の礎 北海道開拓」
アームストロング砲 :ウィキペディア
ミニエー銃 :ウィキペディア
西山書屋 ← 大楽源太郎の西山書屋跡の石碑(防府市台道上り熊)
池田屋事件をまだ知らず毛利定広が軍事調練を行った場所にきた
:「歴史と地理な日々(新版)」
有終館 熊本藩兵学校
← 熊本藩作事所 鶴崎有終館跡
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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『星火瞬く』 葉室 麟 講談社
『花や散るらん』 葉室 麟 文藝春秋
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版