エンディングでは、ジ~ンと涙が出てくる作品である。著者が一群の作品の中でテーマとしている「しのぶ恋」がこの作品でも二色に染められて底流に流れている。敬慕の気持ちが「しのぶ恋」の色合いを帯びてのち成就する立場、その一方で「しのぶ恋」がしのぶ思いのままに終わる立場、そのいずれにも「一途」の気持ちが貫かれていく。
また、この作品、
月草の仮なる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ
という和歌が作品のモチーフにもなっているように思う。この和歌が異なる音色の作品を紡ぎ出したのではないか。そう、『この君なくば』で主人公の栞が口ずさんだ和歌である。どちらの作品の構想が著者の想念に先にあったかは知らない。たまたま私は、『この君なくば』を読んでから、この作品を読んだ。
だが、この和歌のバリエーションとして、イマジネーションが飛翔してできた作品がこの作品なのかもしれない。題名からして、本書の方が、和歌を軸にしているとも言える。
鏑木藩領内の南のはずれの山奥にある赤村に住んでいた16歳の菜々が、百五十石取りの風早家に女中奉公に出る。この菜々が夏の日に築地塀のそばの日陰の草取りをしていて、ふと目に止めたのが青い小さな花、露草である。
奥方の佐知が菜々に教える。この露草が万葉集には月草と記してあり、俳諧では螢草と呼ぶそうだと。そしてこの和歌を菜々に教える。蛍草というきれいな呼び名に、菜々は目を輝かせる。佐知は言う。「そうですね。きれいで、それでいて儚げな名です」「螢はひと夏だけ輝いて生を終えます。だからこそ、けなげで美しいのでしょうが、ひとも同じかもしれませんね」(p10)と。
その佐知が労咳を患い、正助ととよという二人の子供を残して、儚くも亡くなってしまう。それが、佐知を姉のようにも感じ、敬慕していた菜々の人生を変えて行くことにもなる。
この和歌、万葉集の巻11、2756番目の歌として収録されている。読み人知らず。
月草(鴨頭草とも記されている)を詠んだ歌は9首載っている。「鴨頭草の移ろう情け(こころ)」と心変わりすることを寄せた歌が多い中で、そうではないこの歌が著者の心を捕らえたのだろう。脇道にそれてしまった。
この作品、奥方・佐知(23歳)への敬慕から主人・市之進(25歳)へのしのぶ恋に発展していく、健気で一途な菜々の生き様を軸にしながら、市之進が追求している藩内での勘定方の不正問題の解明が作品の筋になっている。藩主・鏑木勝重の江戸表での散財と退嬰的な政策がそれに絡んでいる。
一方で、赤村の百姓の娘として育ってきた菜々は、実は藩士・安坂長七郎に嫁した赤村の庄屋の娘・五月が生んだ子であった。長七郎は、菜々が三歳の時、城中で轟平九郎との間で刃傷沙汰を起こして、切腹したのだ。そのため、五月が赤村で菜々を育てる。その五月は、「あなたの父上は穏やかで、仮にも喧嘩沙汰で刀を抜くような思慮のないひとではありませんでした。必ず相当のわけがあったはずです」(p12)と、菜々に言い暮らしていたのだ。佐知は、女中奉公に来た菜々の立ち居振る舞いを見ていて、武家の血筋ではないかと推察する。そして、それとなく人に調べさせておくのだ。
その轟平九郎が江戸詰から領内に戻ってくる。そして、市之進に面談するために、風早家を訪れる。勝重に関わる集団の意を呈して、市之進を脅しに現れたのである。佐知の指示で客に茶を出すために、客間に出向いた菜々が父の敵をここで目にすることになる。
この作品、佐知亡き後、正助・とよの二人の遺児の世話を一途に出がけていく菜々のありかた、市之進の追求する藩内の不正問題、菜々の仇討ち問題が絡み合い、織り上げられていく。そして、そこに、赤村で兄妹のようにして育ってきた菜々の叔父の嫡男・宗太郎の、菜々へのしのぶ恋が関わりを深めていく。
この物語、ユーモラスなタッチでの描写も絡ませられていて、楽しい部分もある。菜々がその生き方で関わりを広げて行く人間関係でのちょっとした聞き間違い、とよの聴き間違いによる思い込みが織りなす綾である。浪人から鏑木藩の剣術指南役に仕官できた壇浦五兵衛がだんご兵衛、金貸しのお舟がおほね、儒学者の椎上節斎先生が死神先生、湧田の権蔵親分が駱駝の親分となる。その由来はなぜか? それは本書を開いて、楽しんでいただきたい。
このあたり普通なら暗く重くあるいは固くなるトーンのところをユーモラスにし仕立てて、読者を楽しませてくれている。今まで読み継いできた作品には見られない、著者の新たな読者サービス、新基軸の組み込みといえるかもしれない。この作品に一種軽みを加えてくれている。楽しくて、思わず笑ってしまったシーンもあった。
泣き笑いのできる作品だ。読後感は爽やかだった。
最後に、印象深い章句のいくつかを書き留めておこう。
*謂われがなくとも、ひとは誰かのことを案ずるものです。 p90
*女子は命を守るのが役目であり、喜びなのです。 p98
*ひとは相手への想いが深くなるにつれて、別れる時の辛さが深くなり、悲しみが増すそうです。ひとは、皆、儚い命を限られて生きているのですから、いまこのひとときを大切に思わねばなりません。 p109
*商売がうまくいくやり方はわからないけど、どうやったらしくじるかはわかるようになったよ。・・・・続けないからだよ。うまくいかないからって、すぐあきらめてしまうのさ。 そうとは限らないよ。いくら続けてもうまくいかない商売なんてざらにあるからね。だけど、続けないことには話にならないのさ。物を売るってのはお客との真剣勝負だと思うね。勝負するには、まずお客に信用してもらわなきゃいけない。あいつは、雨の日だろうが、風の日だろうが、いつもそこにいるってね。 p201-202
*ひとの心を癒すのは言葉をかけることも大事だが、要は心持ちだ。何も言わず、ただ行うだけの者の心は尊いものぞ。 p241
*山犬に出会った時に怖がったら、やられてしまう。だから恐れないで睨み返してやるんだ。 p285
*ひとにとって、大切なものは様々にあるが、ただひとつをあげよと言うならば心であろう。心なき者は、いかに書を読み、武術を鍛えようとも、おのれの欲望のままに生きるだけだ。心ある者は、書を読むこと少なく、武術に長けずとも、ひとを敬い、救うことができよう。 p288
*生きておる限り、この世に終わったと言えることなどないのだぞ。 p308
*自分を大切に思わぬ者は、ひとも大切にできはせぬ。まずは精一杯、自分を大切にすることだ。どんなに苦しかろうと、いま手にしている自分の幸せを決して手放してはいかん。幸せは得難いもので、いったん手放してしまうと、なかなか取り戻せないのだぞ。 p310
ご一読、ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書に出てくる語句に関連して、いくつかネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。
柳生新陰流兵法 公式ホームページ
柳生新陰流 :ウィキペディア
新陰流 :ウィキペディア
愛洲移香斎 → 愛洲 久忠 :ウィキペディア
剣道の祖・愛洲移香斎生誕の地として、偉業を称え功績を広めていきたい『愛洲氏顕彰祭・剣祖祭実行委員会』(ふれあい) :「ゲンキ3.net」
上泉伊勢守 → 上泉信綱 :ウィキペディア
痘瘡 → 天然痘 :ウィキペディア
痘瘡(天然痘)について :「横浜市衛生研究所」
束脩 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『この君なくば』 朝日新聞出版
『星火瞬く』 講談社
『花や散るらん』 文藝春秋
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版
また、この作品、
月草の仮なる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ
という和歌が作品のモチーフにもなっているように思う。この和歌が異なる音色の作品を紡ぎ出したのではないか。そう、『この君なくば』で主人公の栞が口ずさんだ和歌である。どちらの作品の構想が著者の想念に先にあったかは知らない。たまたま私は、『この君なくば』を読んでから、この作品を読んだ。
だが、この和歌のバリエーションとして、イマジネーションが飛翔してできた作品がこの作品なのかもしれない。題名からして、本書の方が、和歌を軸にしているとも言える。
鏑木藩領内の南のはずれの山奥にある赤村に住んでいた16歳の菜々が、百五十石取りの風早家に女中奉公に出る。この菜々が夏の日に築地塀のそばの日陰の草取りをしていて、ふと目に止めたのが青い小さな花、露草である。
奥方の佐知が菜々に教える。この露草が万葉集には月草と記してあり、俳諧では螢草と呼ぶそうだと。そしてこの和歌を菜々に教える。蛍草というきれいな呼び名に、菜々は目を輝かせる。佐知は言う。「そうですね。きれいで、それでいて儚げな名です」「螢はひと夏だけ輝いて生を終えます。だからこそ、けなげで美しいのでしょうが、ひとも同じかもしれませんね」(p10)と。
その佐知が労咳を患い、正助ととよという二人の子供を残して、儚くも亡くなってしまう。それが、佐知を姉のようにも感じ、敬慕していた菜々の人生を変えて行くことにもなる。
この和歌、万葉集の巻11、2756番目の歌として収録されている。読み人知らず。
月草(鴨頭草とも記されている)を詠んだ歌は9首載っている。「鴨頭草の移ろう情け(こころ)」と心変わりすることを寄せた歌が多い中で、そうではないこの歌が著者の心を捕らえたのだろう。脇道にそれてしまった。
この作品、奥方・佐知(23歳)への敬慕から主人・市之進(25歳)へのしのぶ恋に発展していく、健気で一途な菜々の生き様を軸にしながら、市之進が追求している藩内での勘定方の不正問題の解明が作品の筋になっている。藩主・鏑木勝重の江戸表での散財と退嬰的な政策がそれに絡んでいる。
一方で、赤村の百姓の娘として育ってきた菜々は、実は藩士・安坂長七郎に嫁した赤村の庄屋の娘・五月が生んだ子であった。長七郎は、菜々が三歳の時、城中で轟平九郎との間で刃傷沙汰を起こして、切腹したのだ。そのため、五月が赤村で菜々を育てる。その五月は、「あなたの父上は穏やかで、仮にも喧嘩沙汰で刀を抜くような思慮のないひとではありませんでした。必ず相当のわけがあったはずです」(p12)と、菜々に言い暮らしていたのだ。佐知は、女中奉公に来た菜々の立ち居振る舞いを見ていて、武家の血筋ではないかと推察する。そして、それとなく人に調べさせておくのだ。
その轟平九郎が江戸詰から領内に戻ってくる。そして、市之進に面談するために、風早家を訪れる。勝重に関わる集団の意を呈して、市之進を脅しに現れたのである。佐知の指示で客に茶を出すために、客間に出向いた菜々が父の敵をここで目にすることになる。
この作品、佐知亡き後、正助・とよの二人の遺児の世話を一途に出がけていく菜々のありかた、市之進の追求する藩内の不正問題、菜々の仇討ち問題が絡み合い、織り上げられていく。そして、そこに、赤村で兄妹のようにして育ってきた菜々の叔父の嫡男・宗太郎の、菜々へのしのぶ恋が関わりを深めていく。
この物語、ユーモラスなタッチでの描写も絡ませられていて、楽しい部分もある。菜々がその生き方で関わりを広げて行く人間関係でのちょっとした聞き間違い、とよの聴き間違いによる思い込みが織りなす綾である。浪人から鏑木藩の剣術指南役に仕官できた壇浦五兵衛がだんご兵衛、金貸しのお舟がおほね、儒学者の椎上節斎先生が死神先生、湧田の権蔵親分が駱駝の親分となる。その由来はなぜか? それは本書を開いて、楽しんでいただきたい。
このあたり普通なら暗く重くあるいは固くなるトーンのところをユーモラスにし仕立てて、読者を楽しませてくれている。今まで読み継いできた作品には見られない、著者の新たな読者サービス、新基軸の組み込みといえるかもしれない。この作品に一種軽みを加えてくれている。楽しくて、思わず笑ってしまったシーンもあった。
泣き笑いのできる作品だ。読後感は爽やかだった。
最後に、印象深い章句のいくつかを書き留めておこう。
*謂われがなくとも、ひとは誰かのことを案ずるものです。 p90
*女子は命を守るのが役目であり、喜びなのです。 p98
*ひとは相手への想いが深くなるにつれて、別れる時の辛さが深くなり、悲しみが増すそうです。ひとは、皆、儚い命を限られて生きているのですから、いまこのひとときを大切に思わねばなりません。 p109
*商売がうまくいくやり方はわからないけど、どうやったらしくじるかはわかるようになったよ。・・・・続けないからだよ。うまくいかないからって、すぐあきらめてしまうのさ。 そうとは限らないよ。いくら続けてもうまくいかない商売なんてざらにあるからね。だけど、続けないことには話にならないのさ。物を売るってのはお客との真剣勝負だと思うね。勝負するには、まずお客に信用してもらわなきゃいけない。あいつは、雨の日だろうが、風の日だろうが、いつもそこにいるってね。 p201-202
*ひとの心を癒すのは言葉をかけることも大事だが、要は心持ちだ。何も言わず、ただ行うだけの者の心は尊いものぞ。 p241
*山犬に出会った時に怖がったら、やられてしまう。だから恐れないで睨み返してやるんだ。 p285
*ひとにとって、大切なものは様々にあるが、ただひとつをあげよと言うならば心であろう。心なき者は、いかに書を読み、武術を鍛えようとも、おのれの欲望のままに生きるだけだ。心ある者は、書を読むこと少なく、武術に長けずとも、ひとを敬い、救うことができよう。 p288
*生きておる限り、この世に終わったと言えることなどないのだぞ。 p308
*自分を大切に思わぬ者は、ひとも大切にできはせぬ。まずは精一杯、自分を大切にすることだ。どんなに苦しかろうと、いま手にしている自分の幸せを決して手放してはいかん。幸せは得難いもので、いったん手放してしまうと、なかなか取り戻せないのだぞ。 p310
ご一読、ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書に出てくる語句に関連して、いくつかネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。
柳生新陰流兵法 公式ホームページ
柳生新陰流 :ウィキペディア
新陰流 :ウィキペディア
愛洲移香斎 → 愛洲 久忠 :ウィキペディア
剣道の祖・愛洲移香斎生誕の地として、偉業を称え功績を広めていきたい『愛洲氏顕彰祭・剣祖祭実行委員会』(ふれあい) :「ゲンキ3.net」
上泉伊勢守 → 上泉信綱 :ウィキペディア
痘瘡 → 天然痘 :ウィキペディア
痘瘡(天然痘)について :「横浜市衛生研究所」
束脩 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『この君なくば』 朝日新聞出版
『星火瞬く』 講談社
『花や散るらん』 文藝春秋
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新1版