ダークツーリズムとは、「戦争や災害といった人類の負の足跡をたどりつつ、死者に悼みを捧げるとともに、地域の悲しみを共有しようとする観光の新しい考え方」(p53)だとう。この言葉の定義を知らない時点で、たまたまテレビ番組で一度だけ、チェルノブイリのツアー映像を見たことがあった。そのため、この本のタイトルとカバー写真を見て、さっそく読んでみることにした。2013年7月に出版されていたのだった。
勿論、ダークツーリズムとして概念化されたものが最近始まったということではない。例えば、原爆ドーム・広島平和資料記念館(広島市)、長崎原爆資料館(長崎市)、水俣資料館・水俣病情報センター(水俣市)、田川市石炭・歴史博物館、大牟田市石炭産業科学館、野島断層保存館(淡路市)、人と防災未来センター(神戸市)などは日本国内の事例であり、ザクセンハウゼン強制収容所、ベルリンユダヤ博物館、サンダカンの日本人墓地、バンダアチェ(インドネシア、津波災害)などが海外にある事例の一端である。
本書は、冒頭の「旅のはじめに」に触れられているが、「福島第一原発観光地化計画」プロジェクトを推進する著者たちが、チェルノブイリをダークツーリズムの視点で訪れた実体験をまとめたものである。
「あの事故の記憶を風化させずにいることそのものが難しい」(p109)という立場から、それを如何に風化させずに、学び体験、思索の機会にするかなのだ。そこから「観光化」が生まれている。フクシマと対比されるのが、チェルノブイリ。そこで、本書の主題はチェルノブイリの観光化が主題となっていて、その実態がありのままにまとめられている。 チェルノブイリの観光において、現地案内する地元の関係者のインタビューにおける率直な話も報告されていて、「観光」という手垢のついた日本語そのものを再考させる書にもなっている。チェルノブイリでのダークツーリズムが「ガイドがどう説明するかによって、参加者との対話の質が決まる」(p110)という率直な意見が現地を案内する人の意見として明確に記録されている。
表紙を開くと、チェルノブイリの石棺へと続く「金の廊下」の写真、見開きページに、東京電力福島第一原子力発電所とチェルノブイリ原発の両事故の比較図、「旅のはじめに」、「チェルノブイリ原子力発電所事故概要」と写真数葉が載せられた後に、目次がでてくる。
本書はいわば、2.5部構成になっている。
第1部「観光する」、第2部「取材する」及び補遺として「読解する」という形である。 第1部「観光する」はまさに、ダークツーリズム体験記を写真と行程記録でまとめたもの。NPOプリピャチ・ドット・コム代表のアレクサンドル・シロタ氏の現地案内によるツアーきである。もっとも良質の現地ツアーの一つの記録と言えそうである。現地取材の限界までちゃんと明記された具体的な記録となっていて、ダークツーリズムの概念実践版として興味深く読める部分である。本書を読み、ネット検索で得られる現地写真や現地情報を併せていくと、「一見」できない者には大変参考になる。疑似体験から学ぶものが多くある。
ツアー参加者の一人、開沼氏はこう記している。「ゾーンの中で働く人々、チェルノブイリツアーに関わろうとする人々は、・・・淡淡とそこでの生活を続けていた。・・・も皆、そこに原発があり、かつて事故があったことをあえてエモーショナルに意識することもなく、かといって忘れているわけでもなく当然なく、日常のこととして捉えて生活しているように見えた」(p132)
第1部には、ダークツーリズムを敷衍していく情報として、「チェルノブイリから世界へ」(井出明氏)として、国内・海外の観光地が解説されている。
第2部は、チェルノブイリにおけるダークツーリズム関係者へのインタビュー記録を軸として、総論的文章「チェルノブイリで考える」(津田大介氏)、鼎談「日常のなかのチェルノブイリ」とさらに、このツアーに参加したメンバーである新津保建秀氏(「チェルノブイリを撮る」写真集)、開沼博氏(「チェルノブイリから『フクシマ』へ」という考察)が掲載されている。
私は6人に対する個別インタビュー記録をまず読んでから、「チェルノブイリで考える」を読むという少し変則的な読み方をした。結果的には、津田氏の文の後半のまとめを読むのに大いに便利であり、逆にプラスαの読み応えがあった。
第2部「ウクライナ人に訊く」から、我々の思索の糧になる発言を引用してみよう。
*法律の中で、「国は人々が原子力発電所や核エネルギー関連施設を訪問できるよう保護する義務を負う」と定められています。これにはチェルノブイリや、現在稼働中の原子力発電所を含みます。事故跡地をオープンにする最大の目的は啓蒙です。 p82
*ウクライナは電力の約半分を原発に頼っており、少なくともこれから20年はこの比率を維持しなくてはなりません。 p82
*ウクライナでは単純に放射線量に応じて境界線を引いています。・・・境界線は基本的には年間1-20ミリシーベルトの間にあると考えていいでしょう。ウクライナでは、国民の許容できる被曝量を年間1ミリシーベルトと定めました。 p83-84
*(サマショールの)居住を容認しているのは、強制的に移住して受けるストレスのほうが、ゾーン内で受ける放射線量の健康被害よりも深刻だと考えられるからです。サマショールの大半が住んでいるのは、内部被曝と外部被曝の合計が年間2.5-5ミリシーベルトの区域です。 p84
→ 基準を無視してでも汚染地域に戻りたい住人。大部分が年齢70歳以上。約190名。
*ゾーンには立ち入りに関する時間制限やさまざまな条件があり、許可は国家公務員が担当している。 p86
*チェルノブイリを訪問することの最大の意味は、・・・人間の自己認識の高まりです。
・自国政府への疑問を抱くようになる・・・一方で自国政府への信頼が生まれることもある。
・このような災害は自分の国では決して起こしてはならないと考えるようになる。
・(ゾーンへのスアーの)根底には啓蒙の精神があるべきです。 p86-87
*問題を抱えて毎日を生きているうちに、もうすっかり慣れてしまった。 p87
*放射能にまつわる誤った情報は、驚くほど人間を傷つけます。誤った情報は放射能それ自体よりも危険です。・・・放射能事故では情報面のケアがとても重要になる。 p88
*チェルノブイリと聞いて多くの人々に思い浮かぶのは原子炉の映像でしょう。ところが博物館に来ると、別のシンボルを数多く発見することになる。そして、問題が原子炉の崩壊という枠をはるかに超えて広がっていることに気づくのです。 p95-96
*うちの博物館にはスローガンがあるのです・・・展示室の入口のところに掲げてあります。「悲しみには際限があるが、憂慮には際限がない」これがわたしたちの哲学です。 p96
→小ブリニウス書簡集より。一般に「悲しみには限界があるが恐怖にはない」と訳されるラテン語の章句を宗教的含意に強い言葉に訳し変えたという。
*黄金の中庸を見つけるべきなのです。高度な科学技術と折り合いをつけながらも、自分で自分をだめにしてしまわないようにすること。これがわたしたちの目指すところです。 p97
*「事故の原因はだれにあるとお考えですか」
われわれ全員です。わたしたちは広い意味でみな罪があります。すべてが連鎖している。若い世代へ教育力を入れているのはそれゆえです。・・・・・だれがボタンを押したのかではなく、なぜ彼はこのボタンを押してしまったのか、それを社会学者や哲学者の視点から考えなくてはいけない。 p97
*過去の記憶は人とともに死んでいきます。ウクライナではチェルノブイリが忘れられている。・・・このような悲惨な事故は、子どもの心に傷を与えるので記憶に残すべきではないという意見すらあった。けれども、子どもの腫瘍性疾患の問題はいまも続いているし、本当はなにも解決していないのです。 p99
*ぼくならば、問題設定を「原子力を脱することができるか」ではなく、「原発の操業をいかに脱するか」と置き換えます。稼働を停止して、完全に操業を脱した原発が世界にどれだけあるでしょう。膨大な数の核施設が存在する中で、稼働を停止した後の処理は今後大変深刻な問題になっていくはずです。チェルノブイリ原発でも20年以上も廃炉にするための作業が続けられていて、いまだに終わっていない。 p104
鼎談「日常のなかのチェルノブイリ」で、執筆者の一人、開沼博氏が末尾で語る言葉が印象的である。
「終わらない現状をどうやって変えていくかというところに、ギアチェンジをしていきたいと思います。」(p112)
補遺に掲載の「空想のなかのチェルノブイリ」(速水健朗氏)は、芸術や大衆文化の観点から、チェルノブイリの関わり、位置づけを論じている。宮崎駿、ハリウッド映画『ダイ・ハード』、世界中で大ヒットしたというPCゲームなどを取り上げて論じている。
第2部でのインタビューでも触れられているが、チェルノブイリ原発周辺を舞台にしたFSP『S.T.A.L.K.E.R.Shadow of Chernobyl』の制作されたプロセスにも論及している。
このFSPの出現が、チェルノブイリの観光化に結果的に寄与している側面があるようだ。富士山の登り口がいくつもあるように、チェルノブイリの現地に到る動機も様々あるようだ。
しかし、現地に行き、そこで体験して、真に学び考えることの機会になるならば、つまり、単なる物見遊山に堕さなければ、ダークツーリズムの主旨が結実するということだろう。
「いかなる熱い論点も必ずいずれ冷却されていく。そして必ず戻ってくる日常の中で忘却への圧が高まっていく」(p133)。それに抵抗して、原点を今の時点で改めて我々に再考させ、感じ、未来を思索させるのが、ダークツーリズムの核なのだろう。広島の原爆ドーム、平和記念資料館然りである。
本書は、直接被害にあった被災者の情念を考慮しながらも、フクシマについて、「忘却」への対抗と今後どうあるべきかを考える上で、チェルノブイリの現状を鏡として、問題提起を投げかける書である。「百聞は一見に如かず」だけれど、やはり簡単にはチェルノブイリに行けないので、本書を通じて、考えて見ることをぜひやってみてはいかがだろうか。
ご一読ありがとうございます。
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本書を読み、関心事項を検索してみた。一覧にしておきたい。
【インタビュー】 :「genron 株式会社ゲンロン」(広報ブログ)
24歳の編集者がチェルノブイリ原発見学ツアーに参加してみた。
<前編>
<後編>
【チェルノブイリ取材】ウクライナ国立チェルノブイリ博物館に行ってみた / 日本関連の展示物もあり :「ROCKET NEWS 24」
ウクライナ国立チェルノブイリ博物館 :ウィキペディア
ウクライナ国立チェルノブイリ博物館 英語版公式サイト
NPO「プリピャチ・ドット・コム」 ホームページ
ロシア語を知らない私には文が読めない。だが、チェルノブイリの写真は事実を語りかける。
たとえば、このページ
英語版のページも発見!
’I want them to remenber' A letter from a child of Chernobyl
本書に登場するアレクサンドル・シロタ氏が書いたエッセイの英訳
国連の雑誌「DHA NEWS」(国連人道問題局の雑誌)1995年9/10月 No.16に掲載された。
Alexander Sirota :From Wikipedia, the free encyclopedia
エレナ・フィラトワ のウェブサイト (英語版)
女性写真家。『ゴーストタウン』(集英社新書、2011年)の著者。
「チェルノブイリの写真 Elenafilatova和訳」
上記著書の翻訳者による日本語版サイト
『S.T.A.L.K.E.R. SHADOW OF CHERNOBYL』とは :「ニコニコ大百科」
S.T.A.L.K.E.R. 日本公式サイト
S.T.A.L.K.E.R. SHADOW OF CHERNOBYL :ウィキペディア
S.T.A.L.K.E.R Shadow of Chernobyl ゲームプレイ :Youtube
第1回日ウクライナ原発事故後協力合同委員会(概要):「外務省」
ヴォロディミル・ホローシャ 非常事態省立入禁止区域庁長官 2012.7.26 :Youtube
THE BLUE HEARTS / チェルノブイリ :Youtube
ラブミーテンダー / RCサクセション :Youtube
「Tour2 Kiev」(「ゾーン」のツアー 現地民間旅行会社)の公式サイト
チェルノブイリゾーン のホームページ ロシア語(写真は参考! 推測でだが・・・)
アレクサンドル・シロタ氏が定期的に行っているゾーン内「ツアー」はこのサイトを通して開催されているという。
ウクライナ・ウェブの日本のページ
チェルノブイリ被害の全貌~アレクセイ・ヤブロコフ博士講演会 :Youtube
チェルノブイリ2011 :Youtube
26年後のチェルノブイリ :Youtube
その日のあとで ~フクシマとチェルノブイリの今~ :Youtube
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
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(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。
『原発ホワイトアウト』 若杉 洌 講談社 ←付記:小説・フィクション
『原発クライシス』 高嶋哲夫 集英社文庫 ←付記:小説・フィクション
原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新2版)
勿論、ダークツーリズムとして概念化されたものが最近始まったということではない。例えば、原爆ドーム・広島平和資料記念館(広島市)、長崎原爆資料館(長崎市)、水俣資料館・水俣病情報センター(水俣市)、田川市石炭・歴史博物館、大牟田市石炭産業科学館、野島断層保存館(淡路市)、人と防災未来センター(神戸市)などは日本国内の事例であり、ザクセンハウゼン強制収容所、ベルリンユダヤ博物館、サンダカンの日本人墓地、バンダアチェ(インドネシア、津波災害)などが海外にある事例の一端である。
本書は、冒頭の「旅のはじめに」に触れられているが、「福島第一原発観光地化計画」プロジェクトを推進する著者たちが、チェルノブイリをダークツーリズムの視点で訪れた実体験をまとめたものである。
「あの事故の記憶を風化させずにいることそのものが難しい」(p109)という立場から、それを如何に風化させずに、学び体験、思索の機会にするかなのだ。そこから「観光化」が生まれている。フクシマと対比されるのが、チェルノブイリ。そこで、本書の主題はチェルノブイリの観光化が主題となっていて、その実態がありのままにまとめられている。 チェルノブイリの観光において、現地案内する地元の関係者のインタビューにおける率直な話も報告されていて、「観光」という手垢のついた日本語そのものを再考させる書にもなっている。チェルノブイリでのダークツーリズムが「ガイドがどう説明するかによって、参加者との対話の質が決まる」(p110)という率直な意見が現地を案内する人の意見として明確に記録されている。
表紙を開くと、チェルノブイリの石棺へと続く「金の廊下」の写真、見開きページに、東京電力福島第一原子力発電所とチェルノブイリ原発の両事故の比較図、「旅のはじめに」、「チェルノブイリ原子力発電所事故概要」と写真数葉が載せられた後に、目次がでてくる。
本書はいわば、2.5部構成になっている。
第1部「観光する」、第2部「取材する」及び補遺として「読解する」という形である。 第1部「観光する」はまさに、ダークツーリズム体験記を写真と行程記録でまとめたもの。NPOプリピャチ・ドット・コム代表のアレクサンドル・シロタ氏の現地案内によるツアーきである。もっとも良質の現地ツアーの一つの記録と言えそうである。現地取材の限界までちゃんと明記された具体的な記録となっていて、ダークツーリズムの概念実践版として興味深く読める部分である。本書を読み、ネット検索で得られる現地写真や現地情報を併せていくと、「一見」できない者には大変参考になる。疑似体験から学ぶものが多くある。
ツアー参加者の一人、開沼氏はこう記している。「ゾーンの中で働く人々、チェルノブイリツアーに関わろうとする人々は、・・・淡淡とそこでの生活を続けていた。・・・も皆、そこに原発があり、かつて事故があったことをあえてエモーショナルに意識することもなく、かといって忘れているわけでもなく当然なく、日常のこととして捉えて生活しているように見えた」(p132)
第1部には、ダークツーリズムを敷衍していく情報として、「チェルノブイリから世界へ」(井出明氏)として、国内・海外の観光地が解説されている。
第2部は、チェルノブイリにおけるダークツーリズム関係者へのインタビュー記録を軸として、総論的文章「チェルノブイリで考える」(津田大介氏)、鼎談「日常のなかのチェルノブイリ」とさらに、このツアーに参加したメンバーである新津保建秀氏(「チェルノブイリを撮る」写真集)、開沼博氏(「チェルノブイリから『フクシマ』へ」という考察)が掲載されている。
私は6人に対する個別インタビュー記録をまず読んでから、「チェルノブイリで考える」を読むという少し変則的な読み方をした。結果的には、津田氏の文の後半のまとめを読むのに大いに便利であり、逆にプラスαの読み応えがあった。
第2部「ウクライナ人に訊く」から、我々の思索の糧になる発言を引用してみよう。
*法律の中で、「国は人々が原子力発電所や核エネルギー関連施設を訪問できるよう保護する義務を負う」と定められています。これにはチェルノブイリや、現在稼働中の原子力発電所を含みます。事故跡地をオープンにする最大の目的は啓蒙です。 p82
*ウクライナは電力の約半分を原発に頼っており、少なくともこれから20年はこの比率を維持しなくてはなりません。 p82
*ウクライナでは単純に放射線量に応じて境界線を引いています。・・・境界線は基本的には年間1-20ミリシーベルトの間にあると考えていいでしょう。ウクライナでは、国民の許容できる被曝量を年間1ミリシーベルトと定めました。 p83-84
*(サマショールの)居住を容認しているのは、強制的に移住して受けるストレスのほうが、ゾーン内で受ける放射線量の健康被害よりも深刻だと考えられるからです。サマショールの大半が住んでいるのは、内部被曝と外部被曝の合計が年間2.5-5ミリシーベルトの区域です。 p84
→ 基準を無視してでも汚染地域に戻りたい住人。大部分が年齢70歳以上。約190名。
*ゾーンには立ち入りに関する時間制限やさまざまな条件があり、許可は国家公務員が担当している。 p86
*チェルノブイリを訪問することの最大の意味は、・・・人間の自己認識の高まりです。
・自国政府への疑問を抱くようになる・・・一方で自国政府への信頼が生まれることもある。
・このような災害は自分の国では決して起こしてはならないと考えるようになる。
・(ゾーンへのスアーの)根底には啓蒙の精神があるべきです。 p86-87
*問題を抱えて毎日を生きているうちに、もうすっかり慣れてしまった。 p87
*放射能にまつわる誤った情報は、驚くほど人間を傷つけます。誤った情報は放射能それ自体よりも危険です。・・・放射能事故では情報面のケアがとても重要になる。 p88
*チェルノブイリと聞いて多くの人々に思い浮かぶのは原子炉の映像でしょう。ところが博物館に来ると、別のシンボルを数多く発見することになる。そして、問題が原子炉の崩壊という枠をはるかに超えて広がっていることに気づくのです。 p95-96
*うちの博物館にはスローガンがあるのです・・・展示室の入口のところに掲げてあります。「悲しみには際限があるが、憂慮には際限がない」これがわたしたちの哲学です。 p96
→小ブリニウス書簡集より。一般に「悲しみには限界があるが恐怖にはない」と訳されるラテン語の章句を宗教的含意に強い言葉に訳し変えたという。
*黄金の中庸を見つけるべきなのです。高度な科学技術と折り合いをつけながらも、自分で自分をだめにしてしまわないようにすること。これがわたしたちの目指すところです。 p97
*「事故の原因はだれにあるとお考えですか」
われわれ全員です。わたしたちは広い意味でみな罪があります。すべてが連鎖している。若い世代へ教育力を入れているのはそれゆえです。・・・・・だれがボタンを押したのかではなく、なぜ彼はこのボタンを押してしまったのか、それを社会学者や哲学者の視点から考えなくてはいけない。 p97
*過去の記憶は人とともに死んでいきます。ウクライナではチェルノブイリが忘れられている。・・・このような悲惨な事故は、子どもの心に傷を与えるので記憶に残すべきではないという意見すらあった。けれども、子どもの腫瘍性疾患の問題はいまも続いているし、本当はなにも解決していないのです。 p99
*ぼくならば、問題設定を「原子力を脱することができるか」ではなく、「原発の操業をいかに脱するか」と置き換えます。稼働を停止して、完全に操業を脱した原発が世界にどれだけあるでしょう。膨大な数の核施設が存在する中で、稼働を停止した後の処理は今後大変深刻な問題になっていくはずです。チェルノブイリ原発でも20年以上も廃炉にするための作業が続けられていて、いまだに終わっていない。 p104
鼎談「日常のなかのチェルノブイリ」で、執筆者の一人、開沼博氏が末尾で語る言葉が印象的である。
「終わらない現状をどうやって変えていくかというところに、ギアチェンジをしていきたいと思います。」(p112)
補遺に掲載の「空想のなかのチェルノブイリ」(速水健朗氏)は、芸術や大衆文化の観点から、チェルノブイリの関わり、位置づけを論じている。宮崎駿、ハリウッド映画『ダイ・ハード』、世界中で大ヒットしたというPCゲームなどを取り上げて論じている。
第2部でのインタビューでも触れられているが、チェルノブイリ原発周辺を舞台にしたFSP『S.T.A.L.K.E.R.Shadow of Chernobyl』の制作されたプロセスにも論及している。
このFSPの出現が、チェルノブイリの観光化に結果的に寄与している側面があるようだ。富士山の登り口がいくつもあるように、チェルノブイリの現地に到る動機も様々あるようだ。
しかし、現地に行き、そこで体験して、真に学び考えることの機会になるならば、つまり、単なる物見遊山に堕さなければ、ダークツーリズムの主旨が結実するということだろう。
「いかなる熱い論点も必ずいずれ冷却されていく。そして必ず戻ってくる日常の中で忘却への圧が高まっていく」(p133)。それに抵抗して、原点を今の時点で改めて我々に再考させ、感じ、未来を思索させるのが、ダークツーリズムの核なのだろう。広島の原爆ドーム、平和記念資料館然りである。
本書は、直接被害にあった被災者の情念を考慮しながらも、フクシマについて、「忘却」への対抗と今後どうあるべきかを考える上で、チェルノブイリの現状を鏡として、問題提起を投げかける書である。「百聞は一見に如かず」だけれど、やはり簡単にはチェルノブイリに行けないので、本書を通じて、考えて見ることをぜひやってみてはいかがだろうか。
ご一読ありがとうございます。
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本書を読み、関心事項を検索してみた。一覧にしておきたい。
【インタビュー】 :「genron 株式会社ゲンロン」(広報ブログ)
24歳の編集者がチェルノブイリ原発見学ツアーに参加してみた。
<前編>
<後編>
【チェルノブイリ取材】ウクライナ国立チェルノブイリ博物館に行ってみた / 日本関連の展示物もあり :「ROCKET NEWS 24」
ウクライナ国立チェルノブイリ博物館 :ウィキペディア
ウクライナ国立チェルノブイリ博物館 英語版公式サイト
NPO「プリピャチ・ドット・コム」 ホームページ
ロシア語を知らない私には文が読めない。だが、チェルノブイリの写真は事実を語りかける。
たとえば、このページ
英語版のページも発見!
’I want them to remenber' A letter from a child of Chernobyl
本書に登場するアレクサンドル・シロタ氏が書いたエッセイの英訳
国連の雑誌「DHA NEWS」(国連人道問題局の雑誌)1995年9/10月 No.16に掲載された。
Alexander Sirota :From Wikipedia, the free encyclopedia
エレナ・フィラトワ のウェブサイト (英語版)
女性写真家。『ゴーストタウン』(集英社新書、2011年)の著者。
「チェルノブイリの写真 Elenafilatova和訳」
上記著書の翻訳者による日本語版サイト
『S.T.A.L.K.E.R. SHADOW OF CHERNOBYL』とは :「ニコニコ大百科」
S.T.A.L.K.E.R. 日本公式サイト
S.T.A.L.K.E.R. SHADOW OF CHERNOBYL :ウィキペディア
S.T.A.L.K.E.R Shadow of Chernobyl ゲームプレイ :Youtube
第1回日ウクライナ原発事故後協力合同委員会(概要):「外務省」
ヴォロディミル・ホローシャ 非常事態省立入禁止区域庁長官 2012.7.26 :Youtube
THE BLUE HEARTS / チェルノブイリ :Youtube
ラブミーテンダー / RCサクセション :Youtube
「Tour2 Kiev」(「ゾーン」のツアー 現地民間旅行会社)の公式サイト
チェルノブイリゾーン のホームページ ロシア語(写真は参考! 推測でだが・・・)
アレクサンドル・シロタ氏が定期的に行っているゾーン内「ツアー」はこのサイトを通して開催されているという。
ウクライナ・ウェブの日本のページ
チェルノブイリ被害の全貌~アレクセイ・ヤブロコフ博士講演会 :Youtube
チェルノブイリ2011 :Youtube
26年後のチェルノブイリ :Youtube
その日のあとで ~フクシマとチェルノブイリの今~ :Youtube
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
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(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。
『原発ホワイトアウト』 若杉 洌 講談社 ←付記:小説・フィクション
『原発クライシス』 高嶋哲夫 集英社文庫 ←付記:小説・フィクション
原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新2版)