遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『晩秋行』  大沢在昌  双葉社

2022-12-03 14:30:27 | レビュー
 少し毛色の変わった推理小説。本書は「週刊大衆」に2021年~2022年に連載された小説に加筆・修正し、改題の上、2022年6月に刊行された。

 主人公は円堂という。現在は中目黒の駅に近い雑居ビルの地下にある居酒屋「いろいろ」のオヤジ。好きが昂じて庖丁を握るようになった素人料理人。今はそこそこ繁昌している。だが、彼は30年前までは「二見興産」という不動産会社に関わっていた。会長の二見は当時、業界では「地上げの神様」と称されていた。所謂地上げの一端に居た。円堂は法ぎりぎりのところで稼ぐ示談交渉人を本業として二見興産と関わっていた。
 バブルが崩壊し、二見興産は倒産。会長の二見は失踪した。当時、円堂は六本木でホステスをしていた君香とつき合っていた。結婚も考えていたのだ。だが、その君香が会長の二見と一緒に、二見が愛用していたフェラーリのクラシックカーで失踪した。円堂は会長の二見と君香の両者に裏切られたという慚愧の念を抱く。そして行方不明のまま30年が経った。
 円堂とともに二見興産に関わり、本業はルポライターだった中村充悟は今は作家に転身していた。時代小説作家としてそこそこ売れていて、栃木県の那須の外れにある別荘地の家を活動拠点にしている。

 円堂は中村から電話連絡を受けた。
 四つ葉社の新しい編集担当者が那須に住む中村に挨拶に来た。その際那須の近くで、フェラーリ250GTカリフォルニア・スパイダーというオープンカーをサングラスをかけた女がひとりで運転しているのを見たと言う。その担当者は、前に車雑誌の編集部にいて、クラシックカーを担当していたので、見間違えるはずがない。
 1960年に発売されたその車を、二見は10億以上の金を払って手に入れたことを円堂と中村は知っていた。その車は日本には1台しかないことも。この電話がストーリーの発端となる。

 中村はそのクラシックカーの行方を追跡し、二見を探し出し、30年前に未払いになっている報酬を回収したいという。その車を売れば、今では20億円くらいの価値があるのだからと。円堂は未払いの金に執着はなかったが、君香と二見が一緒に失踪した理由と真意を確かめたいという思いが強烈に内在し続けていた。
 中村から連絡を得た矢先に、円堂は銀座でポーターをしている男から情報を得た。元ポーターをしていて、今は田舎に帰り蕎麦屋をやっている男から、二見会長が蕎麦を食べに来たという話を聞いたというのだ。二見と一緒に居た円堂を記憶していたことから、そのポーターは円堂に声をかけたのだった。中村の得た情報と円堂の得た情報が結びつく。

 円堂は中村と会い、その車と二人を探そうと決意する。二人で蕎麦屋のオヤジの話を聞きに行く。当面はまず中村がクラシックカーの目撃情報の聞き込みを地元周辺で行うことから始めることになった。

 円堂の身辺にも波風が立ち始める。居酒屋「いろいろ」に上野友稔と沖中真紀子のペアが店を訪れた。上野は「ジャストTV 代表取締役」、沖中は「オキナカプロ」を経営しているという。円堂を確認すると、早々と店を後にした。
 その後、円堂は沖中真紀子にコンタクトを取り、彼等の意図を知ることになる。

 円堂は栃木県警から連絡を受ける。中村が自宅の火事で死亡したと。他殺か、自殺か・・・・。
 中村の死。それも含めて、円堂は行方捜しを開始していく。
 
 このストーリー、各フェーズが次々に独自に進展しながら、いつしかそれらの間に複雑な関係性が存在していることが明らかになっていく。円堂がその推理を押し進めていくことになる。君香の心、彼女の真意を確かめたいという強烈な動機が円堂を人捜しの行動に駆り立てていく。

 このストーリーの展開に関わる様々なフェーズ・要素をご紹介しておこう。
*「二見興産」は法すれすれの地上げに手をだしていたが、法は犯さなかった。
 しかし、不動産売買の運用資金にヤクザからの資金を受け入れていた。
 会社倒産により二見は執拗にヤクザから追われる立場に陥っていた。30年行方を隠す
*円堂は、銀座の「マザー」のママ委津子と30年以上の人間関係を維持している。
 二見と君香のことを率直に話題にでき、相談事もできる間柄でもあった。
 委津子は、銀座のこの業界の裏事情にもそれなりに熟知しているベテランである。
*思わぬ所から情報を伝えてくれた過去の状況の一端を知るポーターの存在。
 蕎麦屋に転身した元ポーターが円堂に伝えた二見らしき人物の情報
*沖中真紀子が関わってきたことから得られた情報が円堂の推理を促進することに。
*銀座の「バービュー」で円堂が委津子と話をしている時、偶然に一人の女が入って来る
 若い女は奈緒子と名乗った。円堂は一瞬君香と錯覚した。飲み要員ホステスだという
*那須での中村の葬儀に列席した円堂は、その夜地元の「湯荘 藤の丸館」に泊まる。
 旅館の主人藤田との会話の中で、円堂はある違和感をもつことになる。
 藤田の口調が、父親の話が出てから明らかによそよそしくなると感じたのだ。
*円堂の店に、「城南信用サービス 代表 長谷川典夫」の名刺を差し出す男が現れる。
 不動産投資などの下調べを主にやっているという。二人の同行者は一見でチンピラ。
 二見と連絡を取っているかということを円堂から聞き出すのが狙いだった。
 円堂は、背景にヤクザの存在を一層、意識することになる。
*円堂は、沖中真紀子を介して、「マツモトリカー」の女社長、元ソムリエの松本政子
 に面談する。「城南信用サービス」長谷川の背後に居る人物とわかったからだ。

 結果的に円堂は30年の時を経て、二見・君香の失踪事態が動き出した事実と、その解明の糸口を手にする形となる。状況が動き出していく。君香と二見、カリフォルニア・スパイダーを如何に捜しだすかが、メインのストーリーになる。そのプロセスが巧妙な構成になっていておもしろい。
 そこに、円堂自身の回想と当時の彼の心理の動きが織り込まれて行く。円堂の心理の変化、その描写がひとつの読ませどころとなっていく。
 もう一つ、中村の死がクラシックカー絡みでの他殺なのか、自殺なのか? その謎の解明も不可欠である。円堂は意外な事実に気づくことに・・・・・。

 著者の作品を読み継いできた範囲では、おもしろい視点からの切り込みといえる。警察小説でなく、探偵小説でもない。心深くに傷を負っている本人が30年の歳月を経て、その根っ子に潜む思いの確認の為に、己自ら事態解明の推理を重ね問題解決に挑んでいく。状況打開への行動、推理プロセスは共通点が多い。逆に、問題解決行動の原点に立ち戻った小説と言えるのかもしれない。
 一つ興味深い点は、円堂が結果的に事を荒立てしすぎないよう考慮し、問題解決のしかたにおいて、社会と裏社会との狭間でギリギリの一線を引いたことである。円堂らしい解決法だな・・・と思った。

 ご一読ありがとうございます。

徒然にこの作家の作品を読み継いできました。ここで印象記を書き始めた以降の作品は次の通りです。こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『熱風団地 Asian Housing Complex』 角川書店
『暗約領域 新宿鮫 ⅩⅠ』  光文社
『帰去来』  朝日新聞出版
『漂砂の塔 THE ISLE OF PLACER』   集英社
『欧亞純白 ユーラシアホワイト』 大沢在昌  集英社文庫
『鮫言』  集英社
『爆身』  徳間書店
『極悪専用』  徳間書店
『夜明けまで眠らない』  双葉社
『十字架の王女 特殊捜査班カルテット3』 角川文庫
『ブラックチェンバー』 角川文庫
『カルテット4 解放者(リベレイター)』 角川書店
『カルテット3 指揮官』 角川書店
『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』 角川文庫
『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 光文社文庫
『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎