著者の『たゆたえども沈まず』という小説を2年余り前に読んだ。その後に、本書が出版されていることを知った。奥書を見ると、本書は2018年5月に幻冬舎新書として刊行され、2020年8月に文庫化されている。
文庫本で169ページという作品。小説『たゆたえども沈まず』とはコインの裏表の関係と言える。著者はゴッホの作品に出会い、「私も、絶えず対話しながら作品を見てきて、ゴッホが辿った足跡を資料で追いかけ、実際に現地を歩いて旅をしてきました」(p18)と記す。小説家の立場でいえば、本書はコインの裏面。コインの表が小説『たゆたえども沈まず』である。
本書は、まさにゴッホの「あしあと」、ゴッホの人生、その作品、画家としての生活拠点について、時系列的にたどる。ゴッホの作品を解説し、「人間・ゴッホ」と対話する思索を重ね、ゴッホの居場所を訪ねる。作品ガイドと紀行文を兼ねたエッセイと言えようか。
まず、目次をご紹介しよう。
はじめに
ファン・ゴッホの関連地図
プロローグ 私とゴッホとの出会い
第一章 ゴッホの日本への愛、日本のゴッホへの愛
第二章 パリと林忠正
第三章 ゴッホの夢
第四章 小説『たゆたえども沈まず』について
第五章 ゴッホのあしあとを巡る旅
失われた春 -あとがきにかえて
この目次を見ただけで、コインの裏表という関係が見える。第四章で、著者自身が『たゆたえども沈まず』の背景について語っている。この小説は「入口が林忠正で、出口がゴッホ」と語る。「林忠正は、結果からいうと、小説を創作するための大きな鉱脈でした」(p121)と言う。
松方コレクションを残した松方幸次郎や、大原美術館を創立した大原孫三郎が日本に優れた印象派の作品をもたらし、印象派が日本で認知されるに至る。その結果、印象派画家の一人としてゴッホが日本人を虜にして行く。日本でゴッホの絵画へのブームが起こり、日本からのゴッホ愛が広がり深まっていく。
だが、それより50年前に、林忠正がパリに居た。印象派の画家たちやゴッホが日本の浮世絵に惚れ込み日本を愛すること、所謂ジャポニズムの流行が西欧において先行した。
第一章では、オランダ生まれのゴッホが画家を志した足跡を時系列で追う。ゴッホが画家を志すまでの紆余曲折と、画家となってからの画風の変遷、そしてゴッホと浮世絵との出会いを語る。
第二章では、林忠正とゴッホ兄弟が1886年に同じパリにいたことが語られる。ゴッホは1886年、32歳の時に弟テオを頼ってパリに出る。パリで画家を目指す。この頃、弟テオはグービル商会に勤めアカデミーの画家たちの作品を主として扱う画商だった。一方、林忠正は、パリ万博に参加する日本側の一員としてパリに入った後、そのまま居付き、日本美術を扱う「林商店」として独立した歩みを始めていた。著者はここが小説を書く動機となったと語っている。著者は林忠正を美術商という領域における日本初のグローバル・ビジネスマンと位置づけている。
「ゴッホ兄弟と林忠正が交流したという文献は、今のところ何一つ探し出せていません」(p60)と記す。それが逆に小説創作の原点になったと本書で明らかにされている。たとえば、次のことも明記されている。”小説『たゆたえども沈まず』の中では、「フランスという国で、あなたにとっての芸術の理想郷を見つけ出すべきだ」という助言を、林忠正がゴッホに与えるシーンを描きました。これは私のフィクションです。私は小説の中で、林忠正と加納重吉を、日本の権化、もしくは象徴として書きたいと思いました”(p70)と。
第三章は、アルル時代以降のゴッホが絵に何を追い求めたのか、ゴッホの死までの期間を追いながらゴッホの夢を語る。アルル、サン=レミ=ド=プロヴァンス、オーヴェル=シュル=オワーズというゴッホが住みついた町やその地の風景を織り込みながら、ゴッホの足跡が語られる。
この章には、ゴッホの絵、<アイリス>(1889年)、<草むら>(1889年)、<星月夜>(1889年)、<カラスのいる麦畠>(1890年)がモノクロで挿入されている。
第四章は、上記の通り、小説『たゆたえども沈まず』の背景話である。著者はp124に林忠正肖像を載せている。そして、「この小説の目的の一つとして、『林忠正の復権』を考えていました。ゴッホの知名度は一般的にはほぼ100パーセントに近いと思います。しかし林忠正の知名度は1パーセントにも満たないのではないでしょうか」(p125)と記す。なぜ「復権」なのか。それは本書に記されている。「入口が林忠正」というフレーズもこの意図と関係していると言える。
林忠正が美術商として浮世絵を扱う。勿論、他にも浮世絵を扱う現地の画商も居た。パリで浮世絵が認知され人気を博し、印象派の画家たちが浮世絵から画法などを吸収して行った。ゴッホも浮世絵に魅了された画家である。浮世絵が日本との接点となる。
小説『たゆたえども沈まず』の最後で、林忠正がたしか「たゆたえども沈まず」というフレーズを語ったと記憶する。それが小説のタイトルになっている。このフレーズ、パリ市の標語から拝借したものと著者は明らかにしている。本書を読み初めて知った。
著者は、この小説にもう一つの裏メッセージを絡めていると記す。本書でお確かめいただきたい。小説『たゆたえども沈まず』の読み込みを深める役にたつことと思う。この小説を読んだ時には、残念ながら、私は著者の言う裏メッセージまでは思いが及んでいなかった・・・・。
第五章は、ゴッホが「どれほど切実に一つ一つの場所に行き、どれほど真剣に風景を切り取っていったのか、そこに住む人々の肖像を描きとめていったのか」(p142)という視点で著者がゴッホのあしあとを巡る。それがこの最終章である。
パリ市内においてゴッホのあしあとを想起できる場所や建物などを列挙することから始まり、同様にアルル、サン=レミ=ド=プロヴァンス、オーヴェル=シュル=オワーズへと巡って行く。
その後に、オランダ、ベルギー、ニューヨーク、日本においてゴッホの作品をコレクションしているお薦めの美術館を列挙し簡潔な紹介をしていく。ゴッホの作品というあしあとを鑑賞できる場所。著者が取り上げている美術館名を列挙しておこう。
ファン・ゴッホ美術館、クレラー=ミュラー美術館、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ひろしま美術館、ポーラ美術館である。
最後に、印象深い文をいくつか引用しご紹介したい。
*ゴッホはつねに自分に向かって絵を描いています。自分が満足するもの、今描くべき絵を描き続けました。売れるかどうかもわからない。 p67
*ゴッホが個性を研ぎ澄ませるほど、狂気を孕んだように情熱的な絵になっていきます。その個性こそが新時代の窓になるようなものでした。美術が自己表現へと変わっていく過渡期でした。 p68
*天才とは、ピカソのような人をこそそう呼びたい。自分が意図しなくても、そっちの方に行ってしまうのが天才です。ゴッホは自分を鼓舞する努力もしているし、書き続ける努力もしている。努力家なのです。 p80
*何故、自殺してしまったのでしょうか。それは最後に自分の勇気を試したというのが私の結論です。テオを自由にするために自分はどこまでできるのか。 p111
*ゴッホはおそらく一種の心身症みたいな状態だったと思います。何をもって狂気とするか。・・・・・「狂気と情熱」、そこばかりが今までクローズアップされすぎてきたように思います。新しいゴッホ像をつくりたい。彼の周辺の人の目には、ゴッホがどう見えていたか。それを丹念に描き出したかったのです。 p132
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、検索した事項を一覧にまとめておきたい。
Fluctuat nec mergitur. :「山下太郎のラテン語入門」
林忠正―ジャポニスムを支えたパリの美術商 :「国立西洋美術館」
林忠正 :ウィキペディア
ドガと林忠正──交友についての覚書 :「三重県立美術館」
美術館に行こう Von Gogh Museum ホームページ
ゴッホ美術館 :ウィキペディア
クレラー・ミュラー美術館 ホームページ
クレラー・ミュラー美術館 :ウィキペディア
MoMA ホームページ
ニューヨーク近代美術館 :ウィキペディア
ひろしま美術館 ホームページ
ポーラ美術館 ホームページ
松方コレクション :「国立西洋美術館」
大原美術館 ホームページ
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『リボルバー』 幻冬舎
『<あの絵>のまえで』 幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下 PHP
『美しき愚かものたちのタブロー』 文藝春秋
『常設展示室』 新潮社
『たゆたえども沈まず』 幻冬舎
『アノニム』 角川書店
『サロメ』 文藝春秋
『デトロイト美術館の奇跡 DIA:A Portrait of Life』 新潮社
『暗幕のゲルニカ』 新潮社
『モダン The Modern』 文藝春秋
『太陽の棘 UNDER THE SUN AND STARS』 文藝春秋
『楽園のカンヴァス』 新潮文庫
『翼をください Freedom in the Sky』 毎日新聞社
文庫本で169ページという作品。小説『たゆたえども沈まず』とはコインの裏表の関係と言える。著者はゴッホの作品に出会い、「私も、絶えず対話しながら作品を見てきて、ゴッホが辿った足跡を資料で追いかけ、実際に現地を歩いて旅をしてきました」(p18)と記す。小説家の立場でいえば、本書はコインの裏面。コインの表が小説『たゆたえども沈まず』である。
本書は、まさにゴッホの「あしあと」、ゴッホの人生、その作品、画家としての生活拠点について、時系列的にたどる。ゴッホの作品を解説し、「人間・ゴッホ」と対話する思索を重ね、ゴッホの居場所を訪ねる。作品ガイドと紀行文を兼ねたエッセイと言えようか。
まず、目次をご紹介しよう。
はじめに
ファン・ゴッホの関連地図
プロローグ 私とゴッホとの出会い
第一章 ゴッホの日本への愛、日本のゴッホへの愛
第二章 パリと林忠正
第三章 ゴッホの夢
第四章 小説『たゆたえども沈まず』について
第五章 ゴッホのあしあとを巡る旅
失われた春 -あとがきにかえて
この目次を見ただけで、コインの裏表という関係が見える。第四章で、著者自身が『たゆたえども沈まず』の背景について語っている。この小説は「入口が林忠正で、出口がゴッホ」と語る。「林忠正は、結果からいうと、小説を創作するための大きな鉱脈でした」(p121)と言う。
松方コレクションを残した松方幸次郎や、大原美術館を創立した大原孫三郎が日本に優れた印象派の作品をもたらし、印象派が日本で認知されるに至る。その結果、印象派画家の一人としてゴッホが日本人を虜にして行く。日本でゴッホの絵画へのブームが起こり、日本からのゴッホ愛が広がり深まっていく。
だが、それより50年前に、林忠正がパリに居た。印象派の画家たちやゴッホが日本の浮世絵に惚れ込み日本を愛すること、所謂ジャポニズムの流行が西欧において先行した。
第一章では、オランダ生まれのゴッホが画家を志した足跡を時系列で追う。ゴッホが画家を志すまでの紆余曲折と、画家となってからの画風の変遷、そしてゴッホと浮世絵との出会いを語る。
第二章では、林忠正とゴッホ兄弟が1886年に同じパリにいたことが語られる。ゴッホは1886年、32歳の時に弟テオを頼ってパリに出る。パリで画家を目指す。この頃、弟テオはグービル商会に勤めアカデミーの画家たちの作品を主として扱う画商だった。一方、林忠正は、パリ万博に参加する日本側の一員としてパリに入った後、そのまま居付き、日本美術を扱う「林商店」として独立した歩みを始めていた。著者はここが小説を書く動機となったと語っている。著者は林忠正を美術商という領域における日本初のグローバル・ビジネスマンと位置づけている。
「ゴッホ兄弟と林忠正が交流したという文献は、今のところ何一つ探し出せていません」(p60)と記す。それが逆に小説創作の原点になったと本書で明らかにされている。たとえば、次のことも明記されている。”小説『たゆたえども沈まず』の中では、「フランスという国で、あなたにとっての芸術の理想郷を見つけ出すべきだ」という助言を、林忠正がゴッホに与えるシーンを描きました。これは私のフィクションです。私は小説の中で、林忠正と加納重吉を、日本の権化、もしくは象徴として書きたいと思いました”(p70)と。
第三章は、アルル時代以降のゴッホが絵に何を追い求めたのか、ゴッホの死までの期間を追いながらゴッホの夢を語る。アルル、サン=レミ=ド=プロヴァンス、オーヴェル=シュル=オワーズというゴッホが住みついた町やその地の風景を織り込みながら、ゴッホの足跡が語られる。
この章には、ゴッホの絵、<アイリス>(1889年)、<草むら>(1889年)、<星月夜>(1889年)、<カラスのいる麦畠>(1890年)がモノクロで挿入されている。
第四章は、上記の通り、小説『たゆたえども沈まず』の背景話である。著者はp124に林忠正肖像を載せている。そして、「この小説の目的の一つとして、『林忠正の復権』を考えていました。ゴッホの知名度は一般的にはほぼ100パーセントに近いと思います。しかし林忠正の知名度は1パーセントにも満たないのではないでしょうか」(p125)と記す。なぜ「復権」なのか。それは本書に記されている。「入口が林忠正」というフレーズもこの意図と関係していると言える。
林忠正が美術商として浮世絵を扱う。勿論、他にも浮世絵を扱う現地の画商も居た。パリで浮世絵が認知され人気を博し、印象派の画家たちが浮世絵から画法などを吸収して行った。ゴッホも浮世絵に魅了された画家である。浮世絵が日本との接点となる。
小説『たゆたえども沈まず』の最後で、林忠正がたしか「たゆたえども沈まず」というフレーズを語ったと記憶する。それが小説のタイトルになっている。このフレーズ、パリ市の標語から拝借したものと著者は明らかにしている。本書を読み初めて知った。
著者は、この小説にもう一つの裏メッセージを絡めていると記す。本書でお確かめいただきたい。小説『たゆたえども沈まず』の読み込みを深める役にたつことと思う。この小説を読んだ時には、残念ながら、私は著者の言う裏メッセージまでは思いが及んでいなかった・・・・。
第五章は、ゴッホが「どれほど切実に一つ一つの場所に行き、どれほど真剣に風景を切り取っていったのか、そこに住む人々の肖像を描きとめていったのか」(p142)という視点で著者がゴッホのあしあとを巡る。それがこの最終章である。
パリ市内においてゴッホのあしあとを想起できる場所や建物などを列挙することから始まり、同様にアルル、サン=レミ=ド=プロヴァンス、オーヴェル=シュル=オワーズへと巡って行く。
その後に、オランダ、ベルギー、ニューヨーク、日本においてゴッホの作品をコレクションしているお薦めの美術館を列挙し簡潔な紹介をしていく。ゴッホの作品というあしあとを鑑賞できる場所。著者が取り上げている美術館名を列挙しておこう。
ファン・ゴッホ美術館、クレラー=ミュラー美術館、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ひろしま美術館、ポーラ美術館である。
最後に、印象深い文をいくつか引用しご紹介したい。
*ゴッホはつねに自分に向かって絵を描いています。自分が満足するもの、今描くべき絵を描き続けました。売れるかどうかもわからない。 p67
*ゴッホが個性を研ぎ澄ませるほど、狂気を孕んだように情熱的な絵になっていきます。その個性こそが新時代の窓になるようなものでした。美術が自己表現へと変わっていく過渡期でした。 p68
*天才とは、ピカソのような人をこそそう呼びたい。自分が意図しなくても、そっちの方に行ってしまうのが天才です。ゴッホは自分を鼓舞する努力もしているし、書き続ける努力もしている。努力家なのです。 p80
*何故、自殺してしまったのでしょうか。それは最後に自分の勇気を試したというのが私の結論です。テオを自由にするために自分はどこまでできるのか。 p111
*ゴッホはおそらく一種の心身症みたいな状態だったと思います。何をもって狂気とするか。・・・・・「狂気と情熱」、そこばかりが今までクローズアップされすぎてきたように思います。新しいゴッホ像をつくりたい。彼の周辺の人の目には、ゴッホがどう見えていたか。それを丹念に描き出したかったのです。 p132
ご一読ありがとうございます。
本書に関連して、検索した事項を一覧にまとめておきたい。
Fluctuat nec mergitur. :「山下太郎のラテン語入門」
林忠正―ジャポニスムを支えたパリの美術商 :「国立西洋美術館」
林忠正 :ウィキペディア
ドガと林忠正──交友についての覚書 :「三重県立美術館」
美術館に行こう Von Gogh Museum ホームページ
ゴッホ美術館 :ウィキペディア
クレラー・ミュラー美術館 ホームページ
クレラー・ミュラー美術館 :ウィキペディア
MoMA ホームページ
ニューヨーク近代美術館 :ウィキペディア
ひろしま美術館 ホームページ
ポーラ美術館 ホームページ
松方コレクション :「国立西洋美術館」
大原美術館 ホームページ
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『リボルバー』 幻冬舎
『<あの絵>のまえで』 幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下 PHP
『美しき愚かものたちのタブロー』 文藝春秋
『常設展示室』 新潮社
『たゆたえども沈まず』 幻冬舎
『アノニム』 角川書店
『サロメ』 文藝春秋
『デトロイト美術館の奇跡 DIA:A Portrait of Life』 新潮社
『暗幕のゲルニカ』 新潮社
『モダン The Modern』 文藝春秋
『太陽の棘 UNDER THE SUN AND STARS』 文藝春秋
『楽園のカンヴァス』 新潮文庫
『翼をください Freedom in the Sky』 毎日新聞社
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます