遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『暮鐘 東京湾臨海署安積班』  今野 敏  角川春樹事務所

2022-08-17 17:13:54 | レビュー
 私の好きなシリーズものの一つである。前作『炎天夢』(2019年6月刊)に引き続き
「ランティエ」(2020年8月号~2021年5月号)に連載された後、2021年8月に単行本として刊行された。短編連作集で、10編が収録されている。

 このシリーズは東京湾臨海署の安積剛志強行犯第一係長をリーダーに、安積班がチームワークを発揮して事件解決に挑むという点が楽しい。安積班は、村雨巡査部長と桜井巡査長のペア、須田巡査部長と黒木巡査長のペア、安積は班の紅一点である水野巡査部長とペアを組むこともある。村雨と須田は対照的なキャラクターとして描かれている。安積は村雨を信頼しつつも一歩距離を置きぎみであり、須田には彼の洞察力を信頼し、彼のちょっととぼけた行動パターンに親しみを感じている。チームワークがバッチリ発揮されるのがこのシリーズの読ませどころとなる。それぞれの持ち味が相乗効果を発揮していく。

 警視庁から異動してきた相楽啓強行犯第二係長は、警視庁時代以来、安積に対抗意識を持っている。東京湾臨海署に異動して以来、少しずつ相楽の意識が変化していく側面がこのシリーズでは織り込まれてきている。そこには警察組織の実態と人間関係がおおきな要因として存在する。この側面も興味深くリアル感を伴って読める要因になっている。

 収録されている短編について、感想を交えて簡単にご紹介しよう。
<公務>
 2019年4月に、働き方改革推進の掛け声のもとに関連法案が施行された。行政官庁から率先せよとの動きが生まれる。杓子定規な適用が不可能なのが強行犯係という捜査現場である。署長の方針指示、中間管理職・課長の板挟み、懲罰的異動人事の噂など、皮肉を込めて描かれる。働き方改革推進の理念・方針と現場の実態とのズレ・軋轢。
 安積の信念と対応がおもしろい。

<暮鐘>
 本書のタイトルは、この短編のタイトルに由来する。
 江東区有明1丁目の不動産屋の前で、そこの社員が刃物で刺された。強盗致死事件となる。榊原課長の指示で安積班が現場に直行。警視庁から佐治係長以下が出向いてくる。だが、犯人と名乗る男が自首してきた。供述内容は現場・時刻等でほぼ一致するのだが・・・・。佐治はそれで一件落着と判断する。一方、安積は異議を唱える。須田が供述の中のある一点の違いに気づいたのだ。見かけはとぼけた頼り無い須田の洞察力! これが頼もしいのだ。

<別館>
 海上での人質事件の恐れという無線が流れる。榊原課長は安積に別館に行けと指示をした。安積班は拳銃携帯で出動。水上安全第一係の吉田勇警部補のもとに出向き、ともに「しおかぜ」に乗って、海上の現場へ。問題の船が発見できた。パンという乾いた炸裂音が聞こえた。SAT、SSTの出動という事態にまでエスカレートしていく。
 だが、意外な結末に。大山鳴動して・・・・・という一幕劇に。この過剰反応の描写がおもしろい。

<確保>
 警察庁指定の重要指名手配被疑者の一人、大原耕治を住民の通報で地域課係員が視認した。強行犯第一係と第二係が大原耕治の確保のために駆り出される。組を編成し交替制による監視から始まる。ここに佐治係長がまたもや出っ張ってくる。佐治特有の捜査一課偏重の指示命令が出ることに。佐治はもと部下の相楽に前線本部の指揮・指示を委ねた。
 相楽がどうするか。そこからが読ませどころになる。

<大物>
 組織犯罪対策係の古賀巡査部長に桜井が怒鳴られている場面から話が始まる。古賀は桜井がマルB検挙のチャンスをつぶしたと怒っていた。飲食店での恐喝事件の通報で、桜井は現場に出向いたのだが、恐喝の事実を確認できなかったと安積に報告した。
 その後、桜井は古賀に恐喝事件について、組対係と強行犯係の合同捜査ができないかと相談をもちかける行動にでた。桜井には思うところがあったのだ。
 村雨は桜井にまず確実な説得材料を見つけるのが先と言い、聞き込みを行う行動に出る。安積は今まで踏み込んで知ろうとしていなかった桜井のことを考え始める。交機隊の速水が現れて助言するのが興味深い。
 
<予断>
 安積班の2組がそれぞれ追っていた事件がほぼ同時に解決した。安積班は普段より早めに退庁する。安積・須田・村雨・水野は馴染みの居酒屋に立ち寄ることに。そこへ鑑識係の石倉が偶然現れて合流する。石倉が安積班のメンバーに推理合戦だと言い、ある死体発見の問題を出した。メンバーは必死で犯人を推理する。そのプロセスがこの短編の内容である。面白い!
 部下3人の推理合戦を黙って聞いていた安積が、最後に3人の推理からヒントを得たと言い、正解を述べた。そして、安積は言う。「先入観が予断につながる。予断は禁物だとよく言われることだがな・・・・・」(p188)と。

<部長>
 タイトルでいう部長は、ここでは巡査部長を意味する。「連続強盗事件捜査本部」で、安積が「大牟礼部長、よろしくお願いします」(p193)と挨拶した。安積が卒配で地域課に属した時に世話になったという地域課の大ベテランだった。
 被疑者が確保された。だが、被疑者をよく知っているという大牟礼はそれはおかしいと言い出す。大牟礼は捜査一課の沼田と組んでいた。その沼田が「地域課が、捜査のことに口出しするんじゃねえ」と怒鳴る。安積は大牟礼がもう少し調べたいと言っているのだと説明を加えると、捜査一課の音頭取りである井上係長は「余計なことはするな」と言う。 井上係長に見解が対立する安積は、井上の許可を得た上で、所轄が中心となり大牟礼の意見を踏まえ調べを継続する。地域課の日常勤務での情報が事態打開に結びついていく。
 事件が解決したあと、安積の感想発言に対し大牟礼の返事が愉快である。どう愉快かは、このストーリーを楽しんでこそ、味わえる。

<防犯>
 新聞が「ストーカー殺人はなぜなくならないのか?」という特集を組む。一方、あおり運転も頻発しているが、明確な証拠がなければ逮捕は難しい。検事は有罪が勝ち取れる事案しか起訴したがらない。そんな背景事情描写から始まる。
 強行犯係は事件が発生してからが仕事になる。ならば、防犯にはどう対処できるのか。速水が安積に不起訴になったあおり運転の加害者田川と被害者の情報を伝えた。安積班はこの事案に立ち向かっていく。どのように? 「もし、その田川というやつが、誰かに怪我をさせたら傷害だ。強行犯係の仕事だよ」(p245)と須田が安積班のメンバーの前で発言した。
 この短編、キーワードは「警察官の気配り」と言う。最もベーシックな側面に戻って行く内容になっている。現在の警察組織活動に対する警鐘の意味を含むのかもしれない。

<予告>
 SNSに大ヒット中のアニメのキャラクターをもとにしたフィギュアを盗むという犯行予告があった。東京湾臨海署の署長が必ず捕まえてみせると記者たちに宣言した。榊原課長は係長を集合させ刑事課総動員だと言う。「盗犯係の事案でしょう?」という反応から事が始まった。テレビ局主催の野外イベントでのフィギュアの展示である。
 須田は現物を拝めることに嬉しげである。また、須田は疑問を呈した。「犯行予告が、アイドル声優のミニコンサートと同じ日だというのが、ひっかかるんですよね」(p274)と。
 人間の心理の盲点をうまくついた犯罪計画。現場張り込みでの須田の疑念が犯人逮捕に結びつく。須田のキャラクターが楽しめるのがこのシリーズのよさの一つだ。

<実戦>
 コンテナ埠頭での乱闘という無線連絡に対し、須田が反応する。現場に行くという。強行犯の出る幕ではないと村雨は言うが、須田は傷害罪なら俺たちの仕事だと。安積は今時の乱闘を己の眼で確かめたいと言う。須田・黒木・安積が現場に行く。
 黒木が伸縮式の警棒を取り出し、騒ぎを押さえると言い乱闘のただ中に向かって行った。
 黒木はあっけなく乱闘を鎮圧した。須田は安積に言う。「なんせ、剣道五段ですからね」(p291)と。安積には初耳だった。黒木は周囲に隠していたのだ。彼なりの理由があった。
 刺されている人間が地域課員に発見された。安積たちは犯人の追跡を始める。ここからがもう一つの読ませどころになる。交機隊の速水が登場しおもしろさが増す。
 黒木の乱闘制圧が服務規程違反の過剰な反応になるのかどうか、一抹の不安がよぎる。だが、意外な反応が署長から出て来た。
 最後の一文が良い。「黒木の剣道の実力も、刑事としての可能性も、まだまだ未知数だ」(p316)

 安積班には、個性豊かなメンバーが揃っている。安積が未知の側面を感じる黒木と桜井という若手もいる。このシリーズの次作を期待したい。

 ご一読ありがとうございます。

このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『無明 警視庁強行犯係・樋口顕』   幻冬舎

=== 今野 敏 作品 読後印象記一覧 ===  更新7版 (96冊) 2022.8.6 時点


最新の画像もっと見る

コメントを投稿