遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『我、鉄路を拓かん』   梶よう子   PHP

2022-12-09 14:37:55 | レビュー
 手許にある日本史の学習参考書を開くと、「交通の面では、政府はイギリスから外国債を仰いで技術を導入し、官営事業として鉄道敷設に着手した。1872(明治5)年、東京の新橋と横浜間の鉄道が開通したのをはじめ、1874(明治7)年大阪・神戸間、1877(明治10)年大阪・京都間が開通した。東海道本線(東京・神戸間)の全通は1889(明治22)年のことである。」(『詳説日本史研究』山川出版社)と結果としての事実が記述されている。

 この小説は、「1872(明治5)年、東京の新橋と横浜間の鉄道が開通した」という一行の事実に集約される。その事実を具体的に捉えると、鉄道を開通させるために芝~品川の区間は、海上に築堤をし、その上に露盤を完成して線路を敷設するという途方もない計画が含まれていた。このストーリーは、鉄路を拓かんためにこの海上築堤、つまり海上の道づくりに邁進した人々の姿を土木請負人・平野屋弥市を中心にして描き出したものである。本書は「WEB文蔵」(2022年1月~6月)の連載に加筆・修正を加え、2022年9月に単行本として出版された。

 ストーリーは、平野屋弥市と勝海舟の出会いから始まる。弥市は雪駄と下駄を商い、島津家の仕立物御用を承っていた平野屋の養子となる。景気が悪くなるのを潮に、弥市は土木請負を生業とし始めた。横浜での普請、道普請、並木町台場の普請などの実績を積む。そして、勝海舟が設計した神奈川台場の普請を請け負う。これが弥市と勝海舟の出会いとなる。二人は会話の中で、同年齢だということを知る。神奈川台場普請の途中で、勝海舟は軍艦咸臨丸の艦長となり幕府正史の乗る亜米利加国船に随行する。帰国した勝海舟から弥市は、ひとつ残念なことは、鉄の道が敷かれた上を走る蒸気車に乗り損ねたことだと聞かされる。弥市は海舟が「轟音を立てて、煙を吐き、飛ぶように走るのだ。・・・・いずれ、日本にも敷かれることになるやもしれんぞ、鉄の道がな。その上を走る車もだ」(p47)という言葉に魅了された。土木請負人として、新たな時代に向かっての夢が弥市の心に宿る。勝海舟の話を契機に、弥市は蒸気車とその鉄の道について関心と憧れを強めていく。

 平野屋弥市ら商人の目から眺めた幕末期の状況が弥市らの生業との絡みで描写される。当時弥市は、伊予松山松平藩と薩摩藩という立場の異なる二藩それぞれに出入りし土木請負の力を培っていた。町人の視点に映じた時代の変化、時代交代の様相が背景として織り込まれて行く。

 弥市と鉄路との関わりは、ご一新で明治となった後、薩摩の肥後七左衞門から、表向きは品川に架橋するための八ツ山下の切り割り工事を民部省に願い出るようにという指示を受けることから始まっていく。それは鉄路敷設を予定しての動きだった。
 新政府は英吉利に協力を仰ぎ、日本主導の鉄道敷設を目指して動き出す。
 新政府側では、大蔵省造幣頭兼民部省鉱山司鉱山正を務める井上勝が、当初は直に鉄道にかかわれる役職ではなかったが、己の夢を実現するという意欲で、大きな推進力となっていく。井上は、明治3年(1870)閏10月、工部省の設置により権大丞に任命されて、本格的に鉄道敷設を推進する。平野屋弥市と井上勝の偶然の出会いのエピソードがおもしろい。

 「明治3年3月9日、英吉利人技師、エドモンド・モレルらが来日し、同月19日、政府は鉄道敷設にあたり、民部大蔵省内に鉄道掛を新設した」(p131)。そして、25日から鉄道敷設の測量が始まって行く。
 これ以降、具体的に鉄路を拓かんとする具体的な活動が順次始まって行く。当然ながら、鉄道敷設に対する反対運動や妨害運動も発生する。この小説では、上記した海上の道を拓くという区間に焦点を当てて、当時の状況が描き込まれていく。
 鉄道敷設工事の請負人の一人が山中政次郎。その山中政次郎に呼び出された平野屋弥市はこの時点から、鉄道敷設工事の土木請負に加わることになり、芝口から品川八ツ山下までの鉄路が海上の道となることを知る。そして、海上の道づくりが平野屋弥市に依頼されることに。
 海上の道づくりのための工事見積りから始まり、鉄路を拓く上でのトラブルや反対運動を含む様々な事象が発生する。八ツ山の切り割り工事と事故の発生、お雇い外国人モレルとの出会いと関係の深まり、請負人傘下で働く人夫の集団間での不和の発生、反対運動側の人々との話し合い、海の浚渫と基盤工事の状況描写、基盤工事での事故の発生、軌道に乗り始める工事の状況、など所謂艱難辛苦の経緯が具体的かつ鮮やかに描き出されていく。

 このストーリーには、いくつかの視点が織り込まれていると思う。
*海上の道づくり、鉄路を拓くという事実の人間的側面、そのドラマを浮彫りにする。
*土木請負の平野屋弥市の生き様。夢の実現への歩みと仲間との関わり
*平野屋弥市を影で支えた家族:妻の富と妾となったお蝶の存在。彼女たちの立場
*海上の道づくり全体の差配を政次郎から任された養子・重太郎の意識変容と成長
*鉄道敷設の背景及び新政府内部の当事者・関係者の思惑・状況を明らかにする。
*お雇い外国人モレルの日本での人生
*幕末の時代の転換状況を町人・商人の立場からとらえる。

 「1872(明治5)年、東京の新橋と横浜間の鉄道が開通した」という一文の裏にどのような人間ドラマが存在したか。無名の人々が築き上げた海上築堤による鉄路の重みが伝わってくるストーリーである。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索した。一覧にしておきたい。
平野弥十郎  :ウィキペディア
井上勝    :ウィキペディア
神奈川台場  :ウィキペディア
神奈川台場とは  :「神奈川台場地域活性化推進協議会」
神奈川台場跡、整備された現在の様子は?  :「はまれぽ」
エドモンド・モレル  :ウィキペディア
日本の鉄道の恩人・エドモンドモレルとは?  :「トレたび Train Journey」
武者満歌    :ウィキペディア
鉄道のはじめ、武者満歌(江戸)& 鉄道・土木、鹿島精一(岩手県) :「けやきのブログⅡ」
日本国有鉄道『日本国有鉄道百年史. 年表』(1997.12)  :「渋沢社史データベース」
高輪築堤跡とは   :「港区」
鉄道創業期の海上遺構が出土…田町-品川間沿い「高輪築堤」 :「Rece Mom」
高輪築堤跡の史跡指定について :「buncul 文化庁広報誌 ぶんかる」
古文書に記された「高輪築堤」-平野弥十郎日記 :「鉄虎堂電子拾遺館」
50歳にして「北海道開拓」に挑んだ平野弥十郎...江戸育ちの父子が人生を捧げた偉業
              :「WEB歴史街道」

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こちらもご一読いただけるとうれしいです。
『広重ぶるう』  新潮社



『相剋 越境捜査』   笹本稜平   双葉社

2022-12-08 16:39:43 | レビュー
 越境捜査シリーズ第8弾。「小説推理」(2019年7月号~2020年7月号)に連載された後、加筆、訂正が加えられ2020年10月に単行本が刊行された。著者は2021年11月に70歳で逝去。晩年の作品の一冊になる。また一人、愛読作家が鬼籍入り・・・・ 合掌・・・・。
 
 警察小説としては異色シリーズの一つと言える。警視庁捜査一課特命捜査対策室特命捜査第二係の鷺沼友哉警部補と相棒の井上拓海巡査部長、彼等の上司・三好章係長が、神奈川県警瀬谷署刑事課の宮野裕之刑事とタスクフォースを組み、一筋縄ではいかない難事件に取り組む。警察の管轄領域を越境した捜査活動を正規の手続きをふまずに密かに行うというストーリー展開になる。
 宮野は神奈川県警では鼻つまみのはぐれ者、札付き刑事である。大物が絡む金の臭いがプンプンする事件ネタを見つけては、鷺沼のところに持ち込んでくる。それは警察の管轄領域を超えて広がる事件ネタでもあり、鷺沼たちの他力を頼む魂胆がある。宮野は事件の犯人に通常の捜査結果による送検・法的制裁の前に、犯人に弱みをつきつけ、経済的制裁を加えることに狙いをおく。宮野は捜査の大義を口にするが、本音は犯罪の証拠を材料に金を引き出すこと。強請まがいの行為を気にしない。鷺沼は犯罪の証拠を積み上げて法的制裁を科すことを主眼とする。金を引き出させる行動は犯罪の確証を積み上げる一環ととらえ、常に宮野の行動の行き過ぎを抑制する立場を取る。三好係長と井上は徐々に宮野の行動になびきがちな傾向を見せ始めている。このシリーズのおもしろさは、通常の法的手続きではその事件の真相に相応しい範囲まで、直接の犯人とその周辺の関与者へ法的制裁が適切に行われづらい事件をどのように決着していくかにある。強請まがいの行為が極悪非道に対する対処と制裁という大義で織り込まれて行くおもしろさでもある。このあたりはフィクションの小説の醍醐味といえる。

 さて、このストーリーは今までのシリーズとは一味異なる進展をしていくところを大きな特徴とする。
 第1章冒頭は、宮野らしき男が府中競馬場内のトイレで、業務用として市販されている特殊警棒で頭部を殴打されて軽症を負ったという警察無線の内容を井上が傍受し、鷺沼に知らせる場面から始まる。これは事件の伏線だった。
 宮野が鷺沼にある不可解な事件ネタを持ち込む。当直の夜に緊急通報があり、宮野は現場に向かった。先着していた機捜の班長が携帯電話でかなり階級の上らしき人物と会話をしていた。電話を終えると、通報は間違いで事件は起きていないそうなので引き上げると言う。宮野は車載系無線が使われていない事実に気づいた。機捜は去ったが、宮野は30歳前後と思われるその家の主、片岡にインターフォン越しに聞き取りを試みた。宮野の質問に対する横柄な物言いにピンとくるものがあったという。宮野は事件性と金の匂いを感じだのだ。隣近所の聞き込みで、大きな物音と女性の悲鳴のようなものを聞いたという証言を宮野は得ていた。家の主は片岡康雄でここ数年で数百億円の資産を築いた若手投資家で、自らSNSで発信し、インターネットの世界では超有名人だというところまで、宮野は調べていた。
 鷺沼は日曜に宮野にせがまれ一緒に自家用GT-Rで片岡の家の張り込みを試みた。片岡はその日BMWのカブリオレで偶然にも外出した。鷺沼は尾行する。片岡の行先は永田町の衆議院議員会館だった。帰路の片岡の車を尾行中に、宮野の携帯に連絡が入る。程ヶ谷カントリー倶楽部の裏手の山林で女の腐乱死体が発見されたという。宮野はそこは片岡の自宅の裏手になるという。鷺沼は現場付近まで宮野を送る。宮野は腐乱死体の首の吉川線に気づいたという。だが、来着した検視官はあっさり自殺で片付けてしまった。さらに不審な扱いが重なってきた。県警がらみで何か隠蔽工作が行われていそうと感じ始める。
 神奈川県警管轄の事件だが、三好係長の合意を得て、鷺沼と井上は背景情報の捜査に乗り出した。
 そんな余先に、大森署に帳場が立つことになる。その捜査本部に警視庁捜査第一課としては特命捜査対策室がかりだされ、三好係長以下が担当することになった。総勢50人体制という小規模である。当面宮野の事件ネタからは切り離されたかに思えた。
 4日前に、大森西6丁目の空き家で男性とみられる死後4週間ほどの身元不明の不審死体が見つかった。不審死体発見時、病死だという見立てで司法解剖はされなかった。さらに遺体は区役所によりすでに荼毘に付されていたのだ。帳場が立つ前日に、周辺の住民からの通報があり、4週間ほど前の夜半に近隣の住人がその前を通りかかったとき、なかで人が揉み合うような音と激しくやり合う声を聞いたという。この通報の結果、急遽帳場が立つこになったのだ。最初から問題含みの小規模捜査本部の設置となる。ここにも不審な事象が起こっていた。

 死体が発見された民家の所有者は片岡恒彦。本人は5年前にオーストラリアに移住し、空き家になっていた。片岡恒彦は、近くに住む地元の名士と又従兄弟の関係にあるとわかった、その名士とは片岡純也衆議院議員で、今は与党の総務会長になっている。
 代議士は警察にとり鬼門である。三好係長は難しそうなヤマになりそうと感じ始める。
 だが、井上が思わぬ情報を入手した。グーグルマップのストリートビュー機能で表示された事件現場の家を通りから眺めると、カーポートにBMWのカブリオレが写っていたのだ。片岡康雄の車と同一車種。勿論画像にはナンバープレートにぼかしが入っていた。これは片岡康雄の車なのか?

 二つの事件はリンクするのか? 宮野は片岡康雄の周辺捜査を継続していく。一方、鷺沼・井上は捜査本部の事件を追跡捜査しながら、捜査本部には内密に、片岡康雄関連の事件の捜査にも取り組んで行く。勿論、状況は逐一、三好係長に報告しその都度捜査方針を決めていくことに。
 地道な捜査が少しずつ状況証拠を累積し、事件が見え始める。
 一方で、警察組織内部での捜査データの隠蔽工作が発生していて、なぜかタイムリーな捜査妨害が発生していることも明らかとなる。捜査本部の状況・情報すら漏洩している節も見え始める。背後にはどこから強い影響力が警察組織に及んできている・・・・それを感じ始めることに。

 このストーリーのタイトルは「相剋」である。相剋は「対立(矛盾)する者が相手に勝とうとして争うこと」(『新明解国語辞典』三省堂)を意味する。
 警察組織の幹部クラスに働きかけ、警察内部で隠蔽工作をさせてでも事件性がないと方向づけようとする犯人側と捜査活動で状況証拠を累積し、さらに確固たる証拠の発掘を模索する捜査本部、並びに、隠密捜査の積み上げで片岡康雄を犯人とみて対処しようとするタスクフォースとの争い。ここにタイトルが由来すると思う。
 二つの事件のパラレルな捜査の過程で、片岡純也と片岡康雄が父子であることが判明する。この小説のタイトルには、代議士・片岡純也と著名な投資家・片岡康雄の父子の間における関係が、連帯から相剋に転じて行く様相をダブルミーニングとして含ませているのではないかと感じた。さらに、代議士片岡純也と、彼の背景につながる政界の一群との間の関係が相剋の状況を呈し始めたことの暗示を含めているのかもしれない。

 2つの事件は解決する。そこには意外な要素が役立つことになる。読者にとって(少なくとも私には)想定外の意外な結末を迎える結果になる。勿論、鷺沼の目指す警察組織内部の浄化という側面で、大きく一石が投じられる結果も出た。

 さらに、ストーリー展開でおもしろい点を3つ挙げておこう。
 1つは、三好係長、鷺沼、井上が捜査本部に入ったことにより、捜査本部での情報共有と、密かに行動するタスクフォースとしての情報共有を、如何に切り分け、それぞれをパラレルに進行させるかという側面が盛り込まれたおもしろさが加わったことである。
 捜査本部としての事件解決の成果を目指すのは必須である。だが一方で、タスクフォースの方もうまく進めたい・・・・というところだ。
 2つめは、タスクフォースには、井上の恋人となった碑文谷署刑事組織犯罪対策課の山中彩香巡査が特技とする変装術を活かして参画してくること。さらに片岡康雄に対する経済的制裁の段階で、重要な福富が役割を担う形で参画するところがおもしろい。
 3つめは、この小説のエンディングでのオチのつけかたである。これ以上は語らない。
 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の以下の作品を順次読み継いできました。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『指揮権発動』   角川書店
『転生 越境捜査』   双葉文庫
『最終標的 所轄魂』   徳間書店
『危険領域 所轄魂』   徳間文庫
『山狩』   光文社
『孤軍 越境捜査』   双葉文庫
『偽装 越境捜査』   双葉文庫

=== 笹本稜平 作品 読後印象記一覧 === Ver.1 2022.1.22 時点 20册

『ヘーメラーの千里眼 完全版』 上・下  松岡圭祐  角川文庫

2022-12-07 16:26:47 | レビュー
 千里眼クラシック・シリーズの第8弾。2005年4月に小学館文庫で刊行された後、修正を加え、「完全版」として2008年12月に刊行された。

 このストーリー、最終ステージで岬美由紀が航空自衛隊に復帰する。そして「オペレーション・ヘーメラー」と称される作戦が始まる。この作戦の事実上の指揮官が岬美由紀である。「ヘーメラーの千里眼」というタイトルはそこに由来する。作戦開始後、F15DJに搭乗した美由紀たちの編隊が敵と壮絶な空中戦を繰り広げる様相を100ページあまりの中で描き出していく。
 なぜ美由紀が自衛隊に復帰し、ヘーメラーの実質的指揮官になり、戦わねばならないのか? そのプロセスがこのストーリーである。
 
 岐阜基地で航空自衛隊の演習が行われた。目的は、新型空対地ミサイルの発射実験および射撃訓練。訓練機F4EJ改に伊吹一尉と宮島三尉が搭乗し訓練を実行した。森林内を低空飛行し、移動標的(段ボール製の一辺1.5m、立方体の形状)を発見し、ミサイルを発射して破壊するというもの。標的は見事に破壊されたが、なぜかその標的の立方体の中に、岐阜基地近くに住む少年が入り込んでいたという。重大な過失事故が発生してしまったのだ。その少年が基地内に入り込み、その立方体の中に入るのを、同じ小学校の子供たちが目撃していたという。子供たちは止めようと呼びかけたが聞こうとしなかったと証言した。監視カメラもその時の状況を記録していた。

 この発射訓練で伊吹がミサイルを発射するまでに操作手順や確認手順にミスがあったのかどうか。本当に移動標的内に少年が存在していたのかどうか。徹底的な現場検証や訓練機の記録データ解析などが実施されていく。一方、伊吹に対して幕僚監部が実質的な査問会議を開く。伊吹はその査問において、己の過失、確認ミスを認める。搭乗パートナーの宮島は伊吹に過失はなかったと信じている。伊吹は己の精神鑑定を幕僚監部に求める。
 伊吹の精神鑑定について、防衛庁側の官僚は、最近めざましく知名度がたかまっているアルタミラ精神衛生への委託を考え始めた。それに対して航空自衛隊幹部は岬美由紀に伊吹の精神鑑定を強引に委託するという行動に出た。美由紀は伊吹の精神鑑定という課題に関わらざるを得なくなる。
 美由紀にとっては、この重大な過失事故とされる事態の事実、その真相を把握しなければ精神鑑定はあり得ないという問題意識につながっていく。まず事実解明への行動を始めていく。
 美由紀の前に、アルタミラ精神衛生の第一秘書と名乗る見鏡季代美が自社の領分だとして対峙してくることに・・・・。

 この頃、日本の領海域では別の問題が発生していた。麝香片麻薬の密輸問題である。中国では麝香片は麻薬と認定されていず、マフィアグループが中国で精製したものを日本に密輸出していた。密輸船は海上保安庁や海上自衛隊の包囲網をかいくぐり、すでにのべ100回以上も日本海側の港に接岸していると考えられていた。その密輸を山東省のマフィアグループが指揮していることがわかっていた。密輸船の護衛には金塗装したミグ31戦闘機と銀塗装したF8戦闘機2機が関わっているという。
 航空自衛隊もこの麝香片麻薬密輸問題に対処を迫られる立場になる。

 つまり、このストーリーは、異質な問題事象がパラレルに進行しながら、接点が見え始めるという展開である。その巧妙なストーリー構成が読ませどころと言える。

 美由紀は、伊吹が引き起こした重大な過失事故の真相を究明する一環として、少年の両親の家を自衛隊での同期・早園鮎香三尉と訪れることから始める。そこには、フェラーリとアルタミラ精神衛生の商標を付けた白いワゴン車が駐まっていた。少年(篠海悠平)の事故の件で母親が強い精神的ショックを受けたことに対して、アルタミラ精神衛生が即応し、母親の介護を名目にビジネスとしてくい込んでいたのだ。美由紀はその状況に違和感を感じ始める。
 事故の調査結果の分析情報が累積され、篠海家との接触が深まる中で、美由紀には糸口が見え始める。
 美由紀による事実の究明行動は、いつしか伊吹の問題に関わりを深めようとするアルタミラ精神衛生並びに麝香片麻薬密輸問題の双方に関わる立場に進展していく。

 このストーリーのおもしろいところは、やはり、様々な個別事象に見える問題がどのようなことが契機で接点を見出していくかというその展開にあると思う。併せて、重要な過失事故が発生した段階で幕僚監部クラスがどのような行動をとるかという側面も批判的視点で描き込まれている。
 ストーリーの中で、どのようなフェーズが現れていくかを列挙しておこう。
*篠海家で発生する問題事象
*重要な過失過失問題の調査結果はデータの分析結果の累積でその解釈が変転する局面
*幕僚監部ら自衛隊、防衛庁トップ層の思惑と行動
*伊吹一尉の心理
*岬美由紀が伊吹の精神鑑定に対して取った行動
*美由紀に対峙してアルタミラ精神衛生が企てる隠謀と行動
*伊吹の精神鑑定が美由紀からアルタミラ精神衛生へ転移
*麝香片麻薬密輸問題
大凡このようなフェーズが錯綜しながら状況が進展していく。その最終ステージが空中戦闘ということになる。

 このストーリー、もう一つパラレルに進行するフェーズがある。それは岬美由紀の防衛大学校時代の青春が回顧され、ストーリーの進展の中に織り込まれていくのだ。そこで、伊吹、鮎香を含めて様々な人々との関わり、美由紀の青春の姿が鮮やかに描き込まれていく。美由紀の青春時代が、克明に回顧されていく側面が、このシリーズを読み継いできた読者には、特に興味深いことと思う。このストーリーのもうひとつの魅力である。
 これまでのシリーズのストーリーにおいて、記述された文の意味を字面で論理的に解釈するレベルの奥に美由紀の心理的側面をさらに補完して奥行を拡げて解釈できる箇所がありそう・・・・・ふとそう思う。
 千里眼と人から称される岬美由紀を主人公としたシリーズを、この「ヘーメラーの千里眼」から読み始めるというのも、一つの方法かも知れない。

 最後に、特に印象深い箇所を引用しておこう。
*争いごとは不可避の問題として残りつづける。どこにその原因があるのだろう、美由紀は熟考する毎日を送った。やがてそれは、すべて心の問題だと気づいた。人々を嫌悪するにしろ、なにかしらの問題に頭をわずらわせるにしろ、結局は先方の事情ではなく、自分自身の心にこそ悩みを生じる理由が潜んでいるのだ。裏を返せば、この世のあらゆる諸問題は、人の心あってこそ生じることになる。  下・p155-156
*若き日の時代の終わりに、無謀からの卒業があるわけではない。無謀のなかに意味を求めて、生きることの意味を探求すること。俺はようやくその域に達したのだろう、そんなふうに思った。  下・p346
*罪の意識にさいなまれて、償いに生きるばかりが立ち直るすべてではないと思うの。癒やしってよくいうけど、努力もしないうちから求めるものじゃないでしょう?過ちを犯しのなら、人はそこからなにかを学びえて、以前よりも成長しているはずなの。成長した自分を、なによりも自分自身が信じてあげて、正しいと思えることのために戦う。それは決して間違いじゃないと思ってる。殻を抜け出して、自分が正しいという自信を持たなきゃ、いつまでたっても親の愛と慈悲にすがる子供でしかない。いつかは自分の意志で善悪を判断し、戦わなきゃいけない日がくる。   下・p380
*寂しさと虚しさ、そして少しばかりの切なさが醸しだす悲しみと引き換えに、俺は誇りを取り戻すことができた。岬美由紀は、俺の心を駆け抜けていった風のような存在だった。爽やかで、穏やかで、ときに激しく、情熱的な風。いま、その風は去りつつある。伊吹はそう感じていた。風は未来を置いていった。明日からの希望を持てる未来を。下・p385
ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、幾つかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
主要装備  :「航空自衛隊」
主要装備 F4EJ(改) :「航空自衛隊」
主要装備 CH47J  :「航空自衛隊」
F15J  :ウィキペディア
MiG-31(航空機) :ウィキペディア
フェラーリ・575Mマラネロ  :ウィキペディア
「メルセデス ベンツ SL350」の中古車 :「カーセンサー」
BMW R1100RS :「BikeBros.」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『特等添乗員αの難事件 Ⅴ』   角川文庫
『万能鑑定士Qの事件簿0』  角川文庫
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論Ⅲ クローズド・サークル』 角川書店
『千里眼の死角 完全版』  角川文庫
『小説家になって億を稼ごう』  松岡圭祐   新潮新書
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論Ⅳ シンデレラはどこに』  角川文庫
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論Ⅱ』 角川文庫

松岡圭祐の作品 読後印象記掲載リスト ver.3 総計45冊  2022.9.27時点

『駒澤大学仏教学部教授が語る 仏像鑑賞入門』 村松哲文 集英社新書  

2022-12-06 15:56:04 | レビュー
 仏像の鑑賞に対するガイドブックとしてはいくつかのアプローチがある。一番一般的なのが、如来・菩薩・明王・天部という分類のもとに個々の仏像について解説する本である。また、仏師自身が仏像について解説する本がある。さらに仏像愛好家が仏像を語る本も最近は数多く出版されている。著名な写真家による仏像を被写体とした仏像写真集というスタイルの本も数多い。日本に伝来した仏像の伝来経路とそのルーツの側面を重視して仏像を読み解く本もある。これらのアプローチによる市販書籍がそれぞれ数冊ずつ手許にある。それぞれの特徴を生かして、参照している。

 もう一つが、日本に仏像が伝来して以降、日本における仏像の歴史的変遷を軸にして通史として仏像を解説する本である。この分野で、座右の書にしているのが、別冊太陽として出版された山本勉著『仏像 日本仏像史講義』(平凡社)である。名著だと思う。

 そして新聞広告で、タイトルに冠された「語る」という表現に引かれて購入したのが本書。「はじめに」で著者は大学で「仏教美術史」を担当していると記す。そして、「おわりに」で、30年前に初めて中国に行き、石窟の仏像を現地で見、また東南アジア各国の仏像を現地で見た感動に触れている。そして、「本書は、その感動を多くの方と分かち合いたくて、写真を多く用いて時には余談をはさみ講義風にまとめたものです」(p252)と記す。
 本書は、大学での講義よりも少しソフトな語り口にして、日本における「仏教美術史」を解説した本である。新書版という制約の中では著者が記すように写真が要所要所で多く掲載されている。
 上記の山本勉著『仏像 日本仏像史講義』は、タイトルに「講義」とあるように、解説はである調の文体で、きっちりとした解説で一貫されている。少し固めな感じはあるが、まさに講義を読む印象が心地よい面もある。大きなカラーの仏像写真との組み合わせがよい。
 一方、本書はですます調での語りかけスタイルである。読者としてはまず読みやすいと思う。普段の講義内容をかなりソフトな語り口調にされているのではないかと思う。「仏教美術史」観点からの仏像鑑賞ということをまず「目次」のご紹介でご紹介しよう。
 第一章 仏像がやってきた!  ~飛鳥時代~ 仏像づくりは大陸の模倣から
 第二章 童子風にアレンジしました ~白鳳時代~ 写実表現の模索、仏像の童子化
 第三章 やっとできた理想の形 ~天平時代~ 写実表現の完成、素材・技法の多様性
 第四章 日本の顔になりました ~密教系仏像と和様化した仏像~
 第五章 武士好みにアレンジしました ~鎌倉時代~ 仏像づくりの一大転換期
 第六章 実は興味深い室町時代と江戸時代
章見出しのタイトル自体に、一般読者向きのソフトタッチな表現が取り入れられている。
 第一章の前に、「仏像の世界へ旅立つ前に」という一文がある。そこでまず、仏像のカテゴリー(如来・菩薩・明王・天部)と仏教寺院の伽藍配置の変遷、最初につくられた仏像が仏教開祖・釈迦の姿であり、ガンダーラ地方でつくられた釈迦像は西洋風の顔の像だと、仏像のルーツに触れている。一方、マトゥラーで始まった仏像づくりは東洋的な風貌であるということにも言及している。

 著者は「はじめに」で、講義風のこの仏教美術史の執筆でめざしたポイントを明らかにされている。以下のとおり。
①自分の好きな仏像を見つける。
②仏像を見るだけで、制作年代や仏像の種類がわかるようになる。
③日本の歴史や仏教と仏像のつながりがわかるようになる。
④古代日本と東アジア諸国の関係や影響が分かるようになる。
⑤自分だけの「仏像鑑賞ポイント」をもてるようになる。
⑥有名な仏像だけでなく近所にある仏像鑑賞も楽しめるようになる。
そして、「仏像がより面白くなるきっかけを本書で見つけていただければうれしいな、という思いです」としめくくっている。この本が「自分の好きな仏像を見つける」きっかけになることを一番期待されているようだ。

 ソフトな語り口で読みやすいので、仏像美術史の入門書としては流れに乗っかっていきやすい本である。仏像づくりの力点の置き方が変遷していく様子における主要ポイントがきっちりと解説されていく。分かりやすい説明の一方で、学術的な説明用語も補足されている。例えば、飛鳥時代の止利仏師が制作した仏像は正面から見ると堂々とした体躯で整った表現だが、側面は胸板の薄い像であり、側面から見ることは意識されていなかったという。「正面観照性の高い仏像」と表現するとか。そう言えば、例えば法隆寺の金堂は現在では堂内に入って見仏することができる。しかし、当時の金堂は仏の家そのものであり、人々は金堂の外側に立って仏像を拝したという。元々は仏像から距離を置いて正面から礼拝するだけだったのだから、ある意味で理にかなっているとも言える。
 その上で、著者は法隆寺の釈迦三尊像と四天王像は同時代の制作だが、どちらがより早くつくられた像か、と問いかける。そして答える。横から鑑賞することで判別できると。四天王像は側面から見た天衣も表現されているので、釈迦三尊像より少し後に制作されたことがわかるのだと。
 読み進めながら、仏像鑑賞、見仏に必要な仏像用語が順次学べるようにもなっている。

 最後に、講義風解説の要点の一端を引用しておきたい。
*日本では、大阪の夜中寺に伝わる飛鳥時代の半跏思惟像に「弥勒菩薩」と記された銘文が残っていたことから、菩薩半跏思惟像=弥勒菩薩像という見方が一般的になったのです。しかし、中宮寺の菩薩半跏思惟像は、「如意輪観音像」と称されています。 p69
*日本の白鳳仏は、初唐様式を受け継ぎながらも、日本流のアレンジが加えられています。アレンジが目立つのは顔で、初唐様式の仏像より子供っぽい表現になっているのです。   p75
*白鳳時代の「基準作例」と言われる興福寺旧東金堂本尊の仏頭  p75
*仏像の首には「三道」といって横線が三本刻まれていることが多いのですが、・・・・三道がないことと、耳朶(じだ)に穴がないことの二つは、飛鳥から白鳳にかけての仏像の特徴なのです。 p89
*天平仏のキーワードは、「写実の完成」です。・・・・写実とは主観を交えずありのままに表現することです。如来や菩薩など、仏像が表現するのは仏であって人間ではありませんが、それでも仏像は人間に近づいていきます。礼拝の対象である仏が、人に近い形であることを人々が願っていたからでしょうか。  p101
*密教はインドで誕生し、古代インドのバラモン教から発展したヒンドゥー経の神々をもとにした仏像がつくられるなど、他宗教の影響を強く受けてきました。 p148
*密教経典の「金剛頂経」と「仁王経」による「三輪身説(さんりんしんせつ)」・・・とは、本来は如来である仏様が、相手によって菩薩の姿で現れたり、憤怒の形相で現れて教えを説くことを意味し(ます)。  p149
*仏像を拝するとき、この翻波式衣文を確認したら、「平安初期の像だとほぼ確定できる」と言えるほど大きな特徴になっています。  p162
*仏像が完全に和様化されるのは12世紀に入ってからで、ちょっと怖い顔の承和様式から脱して和様化に向かう過程でつくられた仁和寺の阿弥陀如来像は「プレ和様」の仏像と呼ばれています。  p166
*定朝が生み出した木像の阿弥陀像は、仏像の歴史の転換点となる作品でした。 p173
*康慶はまた、細かい部分にも改革を起こしました。・・・これを「玉眼」といって、歴史の教科書などには、「鎌倉時代につくられた仏像の特徴」と記されています。
 しかし厳密に言えば、平安時代の末期から玉眼入りの仏像がつくられていました。
   もっとも古い玉眼の作例:奈良県の長岳寺 阿弥陀三尊像    p194
*鎌倉時代の多くの仏師は僧綱を与えられ、社会的にも認められた仏師でしたが、室町時代になると、世俗の人たちが仏像づくりを行うようになります。  p228
 
 これらの引用から、本書の講義風語りの雰囲気は感じていただけることだろう。

 本書の末尾には、イラストを付して、「仏像のつくり方」の紹介が載せてある。
 金銅仏、一木造、寄木造、塑像、乾漆像の制作方法である。

 仏像鑑賞を日本の仏教美術史の観点から学ぶ入門書としては読みやすくて有益だと思う。私にとっては、相互に補完しあう部分もあり、本書と山本勉著『仏像 日本仏像史講義』が相乗効果をだしてくれるように感じている。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『仏像 日本仏像史講義』  山本勉  平凡社 
『仏像のひみつ』・『続 仏像のひみつ』 山本 勉 / 川口澄子  朝日出版社 
『仏師から見た日本仏像史 一刀三礼、仏のかたち』 江里康慧 ミネルヴァ書房
『ぶつぞう入門』 柴門ふみ  文春文庫
『見仏記ガイドブック』 いとうせいこう みうらじゅん  角川書店
『見仏記』 いとうせいこう・みうらじゅん  中央公論社
『秘見仏記』 いとうせいこう・みうらじゅん    中央公論社


『警視庁公安部・片野坂彰 国境の銃弾』  濱嘉之  文春文庫

2022-12-05 17:28:30 | レビュー
 警視庁公安部を題材にした青山望シリーズが完結し、新たに片野坂彰が登場した。
既に第4作までシリーズ化されている。この第1作は文庫書き下ろしとして2019年8月に刊行された。今のところ年1冊の発刊ペースである。

 青山望シリーズのその後として、このストーリーの途中で片野坂たちの会話で触れられている青山望を含む同期カルテットの消息をまずご紹介しておこう。青山望は警視庁警備企画課理事官となり、警察庁警備局長の指名でチヨダに永久出向(p170)、藤中克範は警察庁長官官房分析官(p181)、大和田博は参議院議員の一期目で衆議院議員の死去に伴う補欠選挙に出馬して衆議院議員に転身(p195)とそれぞれ独自の道を歩み出していた。瀧一彦は青山望シリーズの最後辺りで、家業の商社を継ぎ、実業界に転身する計画を語っていたと記憶する。
 本書の目次の後に「主な登場人物」紹介ページがあり、ここに「同期カルテット」の現状紹介が載っている。ここを読み飛ばしていたので読後にそのことに気づいた。ここに取り上げていることから逆に、この同期カルテットが、いずれこの片野坂彰シリーズの中で何等かの接点をもって登場するのではないかと、私は密かに期待する。

 さて、このシリーズで登場する片野坂彰とは何者か。
 警視庁公安部長付。鹿児島県出身、ラ・サール高校から東京大学法学部卒、警察庁入庁。キャリアである。イエール大学留学、その続きにFBI研修、民間軍事会社の傭兵、2年間のFBI特別捜査官の経験をもつ。留学後さらに帰国することなく3年間引き続きアメリカに滞在して、帰国と同時に公安部付となった。
 片野坂彰の部付への異動は、警察庁への採用時のリクルーターであり、今は警視庁公安部長である宮島進次郎の新たな組織構想による。「公安部長付特別捜査班」という名目で、情報活動組織の構築を目指す役割が与えられたのだ。警視庁に5年間出向するという形で。180cm、80kgというガッチリした体躯である。

 片野坂は当面、二人の部下を選抜した。特別捜査班は3人体制の組織として始まる。
 一人は香川潔。警視庁警部補。片野坂が新人の時の指導担当巡査。神戸出身、灘高校から青山学院大学卒。警視庁入庁。警部補のまま公安一筋に歩む。情報活動のエキスパートである。50歳。片野坂より10歳年長。仲間からは「成金趣味」と揶揄されるようなスタイルを好む。一時期は剣道教師をめざしていたという。
 もう一人は白澤香葉子。警視庁警部補。カナダで中高を過ごした帰国子女。日本の音大からドイツのハノーファー国立音楽大学へ留学。オルガン専攻からフルートに変えたという。英仏独語を話す。英独は通訳業務の資格を有する。警視庁音楽隊を経て公安部に抜擢された。白澤はこのストーリーの途中から、ベルギーのブリュッセルを拠点に情報活動に携わる立場になる。
 特別捜査班はなかなかおもしろい異色な人物の組み合わせでスタートする。

 第1作のタイトルは「国境の銃弾」。これはプロローグに由来する。対馬の北端に展望台がある。そこは「朝鮮訳官使殉難之碑」が建立されている展望所である。3台の観光バスで総勢100人近い観光客が訪れていた。その時、場違いな黒ずくめの服装をした3人の屈強そうな男たちが、1発の銃声がしただけで頭部を撃たれ殺された。対馬は日本国と韓国との国境となる。そこで起こった狙撃殺害事件。それもたった1弾で殺されたのだ。タイトルは、ここに由来する。
 ツアーで来ていたのは韓国人観光客だった。被害者も同じ韓国からの観光客と推定された。まずは地元の警察署が事件に対処するが、長崎県警から幹部以下総勢35人が現地に飛んで来る。さらに翌朝警察庁関係者総勢15人と警視庁公安部から3人が現地入りした。つまり、片野坂ら特別捜査班が関わる最初の事件となる。

 第1章は時を遡り、特別捜査班の3人が前年の10月に、カリフォルニア州北端の州境近くにある民間軍事会社に3週間の地獄の研修を受けに行くことから始まる。これは、このストーリーが始まっていく一つの伏線だろう。3人が知力体力ともに、この民間軍事会社で最先端の訓練を受けるということである。その成果が、どういう形で織り込まれていくか、読者にとっては一つのたのしみになる。

 青山望シリーズが主として日本国内の裏社会、暴力団撲滅をテーマにした展開だったのに対して、片野坂が関わる事件は日本国内の枠を超えて、事件解決のためには国際的な情報活動が必要になってくるという形で、そのフェーズがシフトしていくことである。発生した事件の解明と解決のためには、海外での行動も柔軟に組み込んで行かざるを得ないという状況が展開する。片野坂はそれを見越して、国際的な情報活動を拡げるために、白澤をブリュッセルに駐在させるという布石を打っていく。片野坂は「ブリュッセルは今やワシントンDCに次ぐ世界第二のロビー活動のポイントです。様々な情報が入ってくるでしょう。しかも彼女なりのやり方でやらせてみます」(p80)と香川には意図を告げる。

 対馬で発生したライフル使用による3人殺害事件捜査の進展は芳しくなかった。しかし、片野坂らが、3人の頭部を貫通した弾の着弾地域を捜査に行き、その銃弾を発見したことが重要な糸口となって行く。それは白い強化セラミクス製で5.5ミリNATO弾の応用弾と判断された。製造元が絞られていく。
 対馬で殺害されたのは外国人、使われた銃弾も特殊なもの、事件はグローバルに考えて取り組まねばならなくなる。被害者は韓国人とは限らない、北朝鮮系の人物かもしれない。事件の捜査範囲は広がっていく。 

 「第5章 敵国スパイ」では、時を少し遡り、片野坂が運用している李星煥と北海道で面談する場面が挿入されている。
 「第6章 諜報天国」では、対馬で香川が秘撮した画像に、ロシア政府のエージェントの疑いがある女スパイが写っていたことが明らかになる。ストーリーはますます状況が複雑化し、広がって行く様相を見せる。

 さらに、今度は東京大学構内でもう一つの狙撃事件が発生する。被害者は元文部科学大臣の竹之内利久代議士と上野紘一経済産業副大臣である。警視庁に一報を入れたのは同行していた経済産業大臣政務官の北条。彼は狙撃されるのを免れた。現場に向かった片野坂は、想定した方向の壁に刺さっている銃弾を見つけた。それもまた、ファインセラミック製でNATO弾仕様と推定された。事件は思わぬ方向に進展していく。
 さて、どのように展開するかは本書を開いてお楽しみいただきたい。

 片野坂と香川の関係が絶妙である。このシリーズでの白澤の活躍を期待したくなる。

 このストーリーの興味深い特徴がいくつかある。
*国境の対馬で外国人が殺害され、東京で日本人の国会議員が殺害された。政治の辺境地から中心地へと事態が拡大する。両者はライフルによる狙撃であり、そこに特異な銃弾が使われているという共通項がある。一見異質な事件が繋がって行くというおもしろさ。
*国内の捜査範囲だけでは事件の解明できないという状況。国際的な情報活動が機能的に働く体制/態勢が構築出来ているかという警鐘を含んでいるように思う。
*世界情勢を考えると、警察組織体制における縦割り組織並びに地域分割体制の現状に問題が潜む点をフィクションの形で問題提起しているのではないかと思う。
*片野坂、香川、白澤の会話を介して、現在の世界情勢、政治情勢など、リアルタイムな情勢分析が続々と織り込まれていくこと。情報小説という側面が大きな特徴でもある。
 特に、近隣諸国の情勢分析が大きく織り込まれている点は考える材料にもなる。
*リアルタイムな事実情報とフィクションが実に巧妙に融合されていくストーリーのおもしろさ。

 最後に、印象深い文をいくつか引用し、ご紹介しておこう。
*管理職が耳にする情報というのは、ほとんどが二次情報、三次情報だろう? これに慣れてしまうと自ら一次情報を取ろうとする意欲がなくなってしまう。
 情報はセンスだ。しかし、このセンスは継続することに意義があり、その中断は感覚の放棄を意味してしまう。  p124
*情報マンは情報の本質を知っている。
 まず知るべき人は誰かだ。情報の伝達というのは危機管理と同じでトップダウンですむことなんだ。
 知るべき人に知るべき内容を迅速正確に伝えるのが情報の本質なんだ。  p162
*悪がこの世からなくなることはない。それがどのくらいまでの社会悪となるか・・・・そこをきちんと押さえておく必要がある。  p283
*情報はセンスであり人なんです。   p311

 やはり、この新シリーズも情報小説の側面が濃厚だと感じる。私はその点に魅力を見出しているのだが。

 ご一読ありがとうございます。

こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2022.12.6現在 2版 32冊

===== 濱 嘉之 作品 読後印象記一覧 ===== 2022.12.5現在 2版 32冊

2022-12-05 17:22:30 | レビュー
これまでに読み継いできたものを一度、独立したリストとして掲示します。
こちらのリストの読後印象記をお読みいただけるとうれしいです。

☆院内刑事シリーズ
『院内刑事 シャドウ・ペイシェンツ』   講談社文庫
『院内刑事 ザ・パンデミック』   講談社文庫
『院内刑事 フェイク・レセプト』   講談社文庫
『院内刑事 ブラックメディスン』   講談社+α文庫
『院内刑事』              講談社+α文庫

☆ヒトイチシリーズ
『ヒトイチ 内部告発 警視庁人事一課監察係』  講談社文庫
『ヒトイチ 画像解析 警視庁人事一課監察係』  講談社文庫
『ヒトイチ 警視庁人事一課監察係』       講談社文庫

☆オメガシリーズ
『オメガ 対中工作』   講談社文庫
『オメガ 警察庁諜報課』   講談社文庫

☆警視庁情報官シリーズ
『警視庁情報官 ノースブリザード』   講談社文庫
『警視庁情報官 ゴーストマネー』   講談社文庫
『警視庁情報官 サイバージハード』  講談社文庫
『警視庁情報官 ブラックドナー』   講談社文庫
『警視庁情報官 トリックスター』   講談社文庫
『警視庁情報官 ハニートラップ』   講談社文庫
『警視庁情報官 シークレット・オフィサー』   講談社文庫

☆警視庁公安部・青山望シリーズ
『警視庁公安部・青山望 最恐組織』     文春文庫
『警視庁公安部・青山望 爆裂通貨』    文春文庫
『一網打尽 警視庁公安部・青山望』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 国家簒奪』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 聖域侵犯』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 頂上決戦』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 巨悪利権』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 濁流資金』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 機密漏洩』    文春文庫
『警視庁公安部・青山望 報復連鎖』    文春文庫
『政界汚染 警視庁公安部・青山望』    文春文庫
『完全黙秘 警視庁公安部・青山望』    文春文庫


『鬼手 世田谷駐在刑事・小林健』   講談社文庫
『電子の標的 警視庁特別捜査官・藤江康央』   講談社文庫
『電光石火 内閣官房長官・小山内和博』  文春文庫


『私が源氏物語を書いたわけ』  山本淳子  角川学芸出版

2022-12-04 16:18:04 | レビュー
 表紙にはタイトルの左に、「紫式部ひとり語り」と表記されている。本書は平成23年(2011)10月に刊行されている。

 ”「紫式部」。名前ばかりは華々しくもてはやされたものだが、その実この私の人生に、どれだけの華やかさがあったものだあろうか。自ら書いた『源氏の物語』の女主人公、紫の上にちなむ呼び名には、とうてい不似合いとしか言えぬ私なのだ。”という冒頭文から始まり、「ふればかく 憂さのみまさる 世を知らで 荒れたる庭に 積もる初雪」(『紫式部集』113番)を載せ、
 ”私は人生をふりかえる。思えばいろいろなことがあったものだ。記憶が雲のようにいくつも湧いては心をよぎる。
  私は思い出を手繰り寄せる。私の人生、それは出会いと別れだった。” (p3)
というページから始まる。
 
 紫式部が己の人生を振り返りひとり語りを始める。『源氏物語』をなぜ書く気になったのか。何を書きたかったのか。中宮彰子のもとに嫌々女房として宮仕えをすることになり、その思いが中宮彰子と接触していく中でどのように変化し、プロフェッショナルな女房として自らが変身して行ったか・・・・・などを語っていく。「一 会者定離 -雲隠れにし夜半の月」からはじまり、「十三 崩御と客死 ーなほこのたびは生かんとぞ思ふ」までの13章に「終章 到達 -憂しと見つつも永らふるかな」で終わる。

 一見、紫式部自身が己を回顧する独白体の小説かな・・・・と思うほど、読みやすい文章で記述されている。読み進めて気づき始めたのだが、これは小説ではない。紫式部のひとり語りの中に、『紫式部日記』、『紫式部集』、『源氏物語』を中核にして、様々な史料が巧みに織り込まれていくのだ。一人語りの裏付けとなる根拠が提示されていく。著者は諸史資料のどこをどのように解釈し、紫式部に語らせたかを示していく。語りと根拠が実に巧みに融合されて回顧が進んで行く。
 様々な史料とは何か。本文に引用されている文献を最初の3章の範囲から抽出しご紹介してみよう。『栄花物語』『うつほ物語』『古今和歌集』『後撰和歌集』『大和物語』『類聚符宣抄』『日本紀略』『後拾遺和歌集』『今昔物語集』『公卿補任』『古事談』『小右記』『枕草子』『詩経』という具合である。典拠もその都度明示されているのだが、煩わしいとは感じない。逆に、なるほどという納得感が醸成される。うまくひとり語りに取り込まれている。

 最後に「あとがき」を読み、ナルホドと思った。冒頭に”人間紫式部の心を、紫式部自身の言葉によってたどる。本書はその試みです。・・・・・本書は、その彼女の偽らぬ「心の伝記」を目指しました。” (p252)と記されている。
 『紫式部日記』と『紫式部集』が伝わっている。「これらは紫式部自身の言葉で書かれた、本人による証言。言わば打ち明け話です。それらが最大の資料である以上、それに依って立つ本書も、本人の独白の形をとらなくてはならないと考えたのです」(p252)と意図を明確にしている。そして、「紫式部作を始め平安時代の文学作品、紫式部をめぐる歴史資料、そして国文学・国史学の研究成果によって、再構成した、紫式部の生涯です。ただ、読む際には読み物として楽しんでいただければと思います。紫式部という人物の息遣いや体温を感じていただければ、心から嬉しく思います」と続けている。
 著者の意図とその試みは、私には達成されていると感じる。

 瀬戸内寂聴訳『源氏物語』と『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 紫式部日記』を読んでから本書を読むという順番になったのだけれど、順序が逆だと、また読み進めるときの印象が違うのではないかという気がする。親しみやすさの距離感という意味で・・・。

 まず『源氏物語』に関連して、著者が紫式部に語らせていることの一端をサンプリングで引用しふれておこう。
*私は後になって書いた『源氏の物語』で、登場人物たちを次々に私と同じ目に遭わせた。・・・・光源氏の最初の正妻の息子に至っては、生後数日で母に死なれる。さてどう生きる。母がいなくてあなたたちはどう生きるのだ。 p5-9
*それでも私は、漢学を手放さずにきた。漢学を捨てることは心の骨肉を捨てることであり、私にはあり得なかった。私が漢学素養をひけらかさないと言いながら『源氏の物語』にはふんだんに盛り込むのは、どうしてもそれを抑えられないからだ。『源氏の物語』は、何よりも私自身のために、私が生きる力を取り戻すために創った世界だ。現実を忘れて没頭するために、私は自分の持てる知識と情熱をすべて注ぎ込んだ。そこだけは人の目を遠慮しない世界だと決めて書いた。そうすると自ずと、設定にも文章にも夥しいほど漢学素養が現れた。それが私なのだ。自分の心の世界では、私はどこまでものびのびと私らしくいられた。 p125
*私はなんと様々な境遇の女を見てきたことだろうか。・・・皆の顔が脳裏に浮かぶ。・・・・誰にも心があった。私はそんな女たちの心を、せめて私の『源氏の物語』の中では言葉と声に響かせたい、そう思ったのだ。  p190
*もとはといえば、夫の宣孝の死に遭い現実から目をそむけた私が必死で作り上げた、空中楼閣だ。だがそこに私が投じた、この国の歴史、中国の歴史、古今を超えて実在した多くの人々の情念。欲望、悲嘆、絶望、執着、そう、仏の言う「煩悩」というもの。それらは物語の中に、現実世界に匹敵する世界を造ってしまったのではなかったか。ゆくゆくは現実世界が『源氏の物語』をなぞることもあるかもしれない。『源氏の物語』は、読む人の心の中で、もうひとつの現実世界になってゆく、そうしたとてつもない物語なのかもしれない。 p225

 次にもう一つ、この「紫式部ひとり語り」で特徴的なことは、「世」と「身」と「心」という識別をして、自己分析させている点だと思う。
 「世」は、まず日常語での「人の一生や寿命を意味する言葉」、限られたある時間ととらえる。さらに別の意味として、”「世の中」や「世間」、また人と人との関係をいう「世」”(p65)ととらえている。
 それに「身」を対置する。「身」を「世」に阻まれる私、「世」(世間)という存在に飲み込まれた私、いつかは死ぬ運命を負う私ととらえる。”「身」は「世」という現実から決して逃れられない。現実の中で生きているのだから。現実を振り切って外に出ることは不可能だ。人はそうしたものなのだ。それがどんなに厭わしい現実でも、夢だと言って逃げる訳にはいかないのだ」(p66)と。
 その上で、己が忘れていたこととして、己は「身」であるだけではなく、「心」という部分をもつ存在であることに気づく。”心こそが、私を絶望させたり泣かせたりしていたのだ。その時はそれが「身」の現実を拒んでいたからだ。でも心には、現実と向き合い、それに寄り添うという在り方もあったのだ。”と。
 女房として宮仕えしながら、この「世」において、「身」と「心」を内省していく紫式部の思いが語られて行く。そして、それが『源氏の物語』にも投影されていると語っている。
 この観点を考えると、『源氏物語』の読み方にまた広がりがでてくる思いがする。描き出させた世界の登場人物たちがどのような思いで生きているかというだけで考えるに留めない。紫式部がどのような意図でその人物を物語に登場させ、その人物にどのような思いを投影しているかという次元を介在させて読み解くという視点がありそうだ。

 『源氏物語』を読み解いて行く上で、またその著者紫式部に思いを馳せる上で、楽しみながら読める有益な一書だと思う。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 紫式部日記』  角川ソフィア文庫
『平安人の心で「源氏物語」を読む』  山本淳子  朝日選書
『枕草子のたくらみ』  山本淳子  朝日新聞出版

『晩秋行』  大沢在昌  双葉社

2022-12-03 14:30:27 | レビュー
 少し毛色の変わった推理小説。本書は「週刊大衆」に2021年~2022年に連載された小説に加筆・修正し、改題の上、2022年6月に刊行された。

 主人公は円堂という。現在は中目黒の駅に近い雑居ビルの地下にある居酒屋「いろいろ」のオヤジ。好きが昂じて庖丁を握るようになった素人料理人。今はそこそこ繁昌している。だが、彼は30年前までは「二見興産」という不動産会社に関わっていた。会長の二見は当時、業界では「地上げの神様」と称されていた。所謂地上げの一端に居た。円堂は法ぎりぎりのところで稼ぐ示談交渉人を本業として二見興産と関わっていた。
 バブルが崩壊し、二見興産は倒産。会長の二見は失踪した。当時、円堂は六本木でホステスをしていた君香とつき合っていた。結婚も考えていたのだ。だが、その君香が会長の二見と一緒に、二見が愛用していたフェラーリのクラシックカーで失踪した。円堂は会長の二見と君香の両者に裏切られたという慚愧の念を抱く。そして行方不明のまま30年が経った。
 円堂とともに二見興産に関わり、本業はルポライターだった中村充悟は今は作家に転身していた。時代小説作家としてそこそこ売れていて、栃木県の那須の外れにある別荘地の家を活動拠点にしている。

 円堂は中村から電話連絡を受けた。
 四つ葉社の新しい編集担当者が那須に住む中村に挨拶に来た。その際那須の近くで、フェラーリ250GTカリフォルニア・スパイダーというオープンカーをサングラスをかけた女がひとりで運転しているのを見たと言う。その担当者は、前に車雑誌の編集部にいて、クラシックカーを担当していたので、見間違えるはずがない。
 1960年に発売されたその車を、二見は10億以上の金を払って手に入れたことを円堂と中村は知っていた。その車は日本には1台しかないことも。この電話がストーリーの発端となる。

 中村はそのクラシックカーの行方を追跡し、二見を探し出し、30年前に未払いになっている報酬を回収したいという。その車を売れば、今では20億円くらいの価値があるのだからと。円堂は未払いの金に執着はなかったが、君香と二見が一緒に失踪した理由と真意を確かめたいという思いが強烈に内在し続けていた。
 中村から連絡を得た矢先に、円堂は銀座でポーターをしている男から情報を得た。元ポーターをしていて、今は田舎に帰り蕎麦屋をやっている男から、二見会長が蕎麦を食べに来たという話を聞いたというのだ。二見と一緒に居た円堂を記憶していたことから、そのポーターは円堂に声をかけたのだった。中村の得た情報と円堂の得た情報が結びつく。

 円堂は中村と会い、その車と二人を探そうと決意する。二人で蕎麦屋のオヤジの話を聞きに行く。当面はまず中村がクラシックカーの目撃情報の聞き込みを地元周辺で行うことから始めることになった。

 円堂の身辺にも波風が立ち始める。居酒屋「いろいろ」に上野友稔と沖中真紀子のペアが店を訪れた。上野は「ジャストTV 代表取締役」、沖中は「オキナカプロ」を経営しているという。円堂を確認すると、早々と店を後にした。
 その後、円堂は沖中真紀子にコンタクトを取り、彼等の意図を知ることになる。

 円堂は栃木県警から連絡を受ける。中村が自宅の火事で死亡したと。他殺か、自殺か・・・・。
 中村の死。それも含めて、円堂は行方捜しを開始していく。
 
 このストーリー、各フェーズが次々に独自に進展しながら、いつしかそれらの間に複雑な関係性が存在していることが明らかになっていく。円堂がその推理を押し進めていくことになる。君香の心、彼女の真意を確かめたいという強烈な動機が円堂を人捜しの行動に駆り立てていく。

 このストーリーの展開に関わる様々なフェーズ・要素をご紹介しておこう。
*「二見興産」は法すれすれの地上げに手をだしていたが、法は犯さなかった。
 しかし、不動産売買の運用資金にヤクザからの資金を受け入れていた。
 会社倒産により二見は執拗にヤクザから追われる立場に陥っていた。30年行方を隠す
*円堂は、銀座の「マザー」のママ委津子と30年以上の人間関係を維持している。
 二見と君香のことを率直に話題にでき、相談事もできる間柄でもあった。
 委津子は、銀座のこの業界の裏事情にもそれなりに熟知しているベテランである。
*思わぬ所から情報を伝えてくれた過去の状況の一端を知るポーターの存在。
 蕎麦屋に転身した元ポーターが円堂に伝えた二見らしき人物の情報
*沖中真紀子が関わってきたことから得られた情報が円堂の推理を促進することに。
*銀座の「バービュー」で円堂が委津子と話をしている時、偶然に一人の女が入って来る
 若い女は奈緒子と名乗った。円堂は一瞬君香と錯覚した。飲み要員ホステスだという
*那須での中村の葬儀に列席した円堂は、その夜地元の「湯荘 藤の丸館」に泊まる。
 旅館の主人藤田との会話の中で、円堂はある違和感をもつことになる。
 藤田の口調が、父親の話が出てから明らかによそよそしくなると感じたのだ。
*円堂の店に、「城南信用サービス 代表 長谷川典夫」の名刺を差し出す男が現れる。
 不動産投資などの下調べを主にやっているという。二人の同行者は一見でチンピラ。
 二見と連絡を取っているかということを円堂から聞き出すのが狙いだった。
 円堂は、背景にヤクザの存在を一層、意識することになる。
*円堂は、沖中真紀子を介して、「マツモトリカー」の女社長、元ソムリエの松本政子
 に面談する。「城南信用サービス」長谷川の背後に居る人物とわかったからだ。

 結果的に円堂は30年の時を経て、二見・君香の失踪事態が動き出した事実と、その解明の糸口を手にする形となる。状況が動き出していく。君香と二見、カリフォルニア・スパイダーを如何に捜しだすかが、メインのストーリーになる。そのプロセスが巧妙な構成になっていておもしろい。
 そこに、円堂自身の回想と当時の彼の心理の動きが織り込まれて行く。円堂の心理の変化、その描写がひとつの読ませどころとなっていく。
 もう一つ、中村の死がクラシックカー絡みでの他殺なのか、自殺なのか? その謎の解明も不可欠である。円堂は意外な事実に気づくことに・・・・・。

 著者の作品を読み継いできた範囲では、おもしろい視点からの切り込みといえる。警察小説でなく、探偵小説でもない。心深くに傷を負っている本人が30年の歳月を経て、その根っ子に潜む思いの確認の為に、己自ら事態解明の推理を重ね問題解決に挑んでいく。状況打開への行動、推理プロセスは共通点が多い。逆に、問題解決行動の原点に立ち戻った小説と言えるのかもしれない。
 一つ興味深い点は、円堂が結果的に事を荒立てしすぎないよう考慮し、問題解決のしかたにおいて、社会と裏社会との狭間でギリギリの一線を引いたことである。円堂らしい解決法だな・・・と思った。

 ご一読ありがとうございます。

徒然にこの作家の作品を読み継いできました。ここで印象記を書き始めた以降の作品は次の通りです。こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『熱風団地 Asian Housing Complex』 角川書店
『暗約領域 新宿鮫 ⅩⅠ』  光文社
『帰去来』  朝日新聞出版
『漂砂の塔 THE ISLE OF PLACER』   集英社
『欧亞純白 ユーラシアホワイト』 大沢在昌  集英社文庫
『鮫言』  集英社
『爆身』  徳間書店
『極悪専用』  徳間書店
『夜明けまで眠らない』  双葉社
『十字架の王女 特殊捜査班カルテット3』 角川文庫
『ブラックチェンバー』 角川文庫
『カルテット4 解放者(リベレイター)』 角川書店
『カルテット3 指揮官』 角川書店
『生贄のマチ 特殊捜査班カルテット』 角川文庫
『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 光文社文庫
『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎

『大英博物館 1 エジプト編』  国際芸術研究会  ゴマブックス

2022-12-02 16:33:32 | レビュー
 電子書籍版で読んだ。シリーズ本として出版されている第1冊目。本書は2014年4月に刊行されている。59ページの本で、かつ活字が大きめなので電子書籍版としては読みやすい。先般、メソポタミア編を読んでいる。
 大英博物館について、メソポタミア編でご紹介した内容と重複しない部分にまず触れておこう。大英博物館には古代エジプトだけで10万点を超える展示品が所蔵されていて、これは本国エジプトのカイロ博物館に次ぐ、世界最大級のコレクションだそうである。
 
 その10万点の中から、本書では25の作品が掲載され各作品に解説が付いている。
 収録作品名が目次の作品見出しになっているので、作品名称をまず列挙しておこう。
1.アクナテン王のステラ(部分)、2.ソベクヘテプのステラ、3.デニウエンコンスのステラ
4.アニのパピルス、5.フウネフェルのパピルス、6.宇宙創造のパピルス
7.ケルアシェルのパピルス、8.セシェプエンネヒトの外棺と内棺、9.化粧箱
10.タハルカ王のスフィンクス、11.男性小像、12.ネフェルゥラー王女を抱くセンムート像
13.魔除けのアムレット、14.青銅の鏡、15.魚形ガラス器、16.アメンヘテプ3世の頭像
17.チェチィの石碑、18.パセンホルの内棺、19.アハメス・ネフェルタリ王妃の像
20.トエリス神像、21.ネブセニィのパピルス、22.センネフェルの方形彫像
23.アメンヘテプ3世と王妃ティ、24.家畜検査の図、25.アンテフの木棺
わずか25点の収録数。その中には画像が暗くて像自体が鮮明に見えないのが2点含まれていてちょっと残念な気もした。

 古代エジプトについての展覧会・特別展は人気があるせいか、日本各地で頻繁に企画開催されている。京都・大阪・神戸で開催された展覧会にはほぼその都度鑑賞に出かけている。大英博物館で直に展示品を鑑賞し、その展示数に圧倒された経験もある。
 展示品を類型としてとらえると、過去の展覧会などで馴染みになっている。ステラ、パピルスに描かれた死者の書、棺(外棺・内棺)、古代エジプトの人々の小像、王・王女の肖像、エジプトの多様な神像、装飾品や身の回り品などである。
 類型としてとらえれば、似たようなものを見たことがあるな・・・。しかし、個別の展示品として鑑賞するなら初めてと思うものばかり。記憶として思い出せる類いのものは無い。単に忘れてしまっているかもしれない可能性もあるけれど・・・・・。
 日本での過去の展覧会は、大英博物館所蔵品に限らず、エジプトも含め世界の美術館・博物館の所蔵品が持ち込まれているので当然かもしれない。
 大英博物館に収録された10万点中の25点を新鮮な目で眺めることができた。

 印象に残るのは、2.ソベクヘテプのステラ、3.デニウエンコンスのステラ、4.アニのパピルス、6.宇宙創造のパピルス、8.セシェプエンネヒトの内棺に描かれた神像、16.アメンヘテプ3世の頭像、18.パセンホルの内棺、19.アハメス・ネフェルタリ王妃の像、24.家畜検査の図、という作品群。

 私にとって特に役だったのは「古代エジプト文明について」という2ページの解説文である。古代エジプト文明の捉え方について、その論点が有益だと思う。その要点を私流にまとめてご紹介しよう。詳細は本書をお読みいただきたい。
*人間の人生は死から始まり、死を受け入れ復活・再生に救いを求めるという死生観
*エジプトの美術は、美術というより生活や人生の必需品という感覚が強い。
*古代エジプトの絵画には異なる時間・空間が同一画面に描かれる。
*絵と文字の混在は来世への願望などを完全な形で残すため。
*空白を残さないのは悪魔の侵入の防御、来世への思いを蝕まれるのを阻止するため。
*当時の工芸品は、装飾の面より機能性を重視した。
*埋葬時に来世で神々とともに生活するために新たに作られた埋葬品が少なくない。

 古代エジプトの遺品を、私達の美術品感覚で受け止めると誤解を生む側面があるということのようだ。美に対する意識と美術・美術品に対する意識とを区別する必要があるということが指摘されている。こういう見方をしていなかったので参考になる。
 ヒエログリフを読みこなせれば、収録された作品の鑑賞のしかたもおそらく大きく変化するのだろう・・・・そんな気がする。読み解けないのが残念無念。

 ご一読ありがとうございます。

 
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『大英博物館 4 メソポタミア編』 国際芸術研究会  ゴマブックス

『MARGRET & H.A.REY'S Curious George and the Dump Truck』 Houghton Mifflin Company

2022-12-01 16:00:11 | レビュー
 Curious George シリーズの英語絵本電子書籍版を読んだ。イラストは何冊かで既に目にしてきた Vipah Interactive が H.S.Rey の作風を継承して描いたもの。1999年で出版社所有のコピーライトと表記されている。本書は、Margret 没(1996年)後の出版である。絵本のストーリーは誰の創作なのだろう。明記はない。

 この絵本はそこそこ文章表現について理解ができるようになっている子供たちを対象にしている絵本と思う。一文が長くなっているし、いくつもの文の表現方法が加わっている。使われている単語は難しいものではなく、子供たちの日常生活に身近なものである。

 ストーリーは、自分の部屋で遊んでいたジョージが、窓の外から聞こえて来る QUACK(ガーガー)という音の響きに興味を抱く場面から始まる。窓によじ登ると、やはりアヒルの鳴き声だった。一羽のアヒルだけじゃない。その後に5羽のアヒルの子たちが連なっていたのだ。duckling (子がも、アヒルの子)という単語を初めて知った。
 ジョージは興味を抱くだけじゃなく、ヨタヨタと母親アヒルに連なって歩んで行くアヒルの子たちの後に続く。この部分、次のような表現になっている。
 Where were they going? George was not curious for long ・・・・
Soon he was waddling after Mother Duck, too! と。
ヨタヨタ歩くという waddlingという単語もこの絵本で知った。

 行く先は、ジョージの知っている公園だった。公園では多くの人が楽しんでいる一方で、今までジョージが公園で見たことのない車に気づいた。それはダンプカー(Dump Truck)だった。ジョージの関心はアヒルの親子からダンプカーに移る。公園には花々や樹木の植樹に来ている庭師たちが働いていた。
 ジョージはダンプカーの大きさにまずビックリ。タイヤの大きさが既にジョージの背丈をはるかに越えている。ここのところで比較級表現が出てくる。
 And it was big! In fact, George was not even as tall as one wheel! と。
big は斜体字で強調表現されている。
 ジョージは自分がこのダンプカーを運転しているところを想像する。仮定法も出てくる。
 It would be fun to sit in such a big truck, thought George.
絵本には文章の倒置法も使われている。そういう表現法も自然に親しんでいくのだと気づいた。

 運転席の窓が開いていたので、好奇心の強いジョージはよじ登り、運転席へ。運転席に座ったジョージは、すぐにやはり運転には興味を無くした。なぜか、ジョージには車の大きさが合わないから。そこの箇所は、次の一文で表現されている。
 But sitting in a big truck was not so fun for a little monkey after all.
not so fun for ~ という表現方法や、文末での after all という表現が自然に織り込まれている。
 外を見たくて、ジョージは運転席前のレバーの一つを踏み台にした。外はよく見えたが、ジョージは知らずに問題を引き起こす。レバーを押したことで、ダンプカーの荷台が斜め上に動きだしたのだ。最初は面白がっていたジョージ。だが積載されていた土とともに池の中に落下してしまう・・・・。土と読めば、soil という単語をすぐに思い浮かべてしまうが、この絵本では He saw the truck was filled with dirt. dirt という単語が使われている。この語の意味をこの絵本で拡げて学ぶことになった。dirty という形容詞は知っている。dirt は名詞。第一羲は「(特に付くべき所ではないところについた)不潔物:泥、ほこり、ごみ、垢」。この意味でしか覚えていなかった・・・・。
 荷台が斜めに傾いていく場面について、ここでは
 Sitting on top of the dirt, George felt the truck bed begin tilt ・・・・・
 It tiled higher and higher.
tilt(傾く、かしげる)という単語もこの絵本で知ることに。

 このダンプカーに積まれた土は、元々計画に入っていたのかどうかは記されていなから定かではない。だがジョージの引き起こしたことから、池の中に小島ができ、そこにアヒルの親子が居場所を見つけることになる。公園に来た人々はそれを楽しんで笑い声が聞かれるというハッピーエンドでストーリーはおさまる。

 この絵本では、庭師たちが昼休みを終えて戻ってきて、ジョージが引き起こした結果を発見する。土が池の中に小山となり、泥だらけの猿を目にしたのだから。絵本は次のように記している。
 They knew what had happed. But before they could say a word, George heard a
familiar sound. He heard more quacking. The gardners heard it, too.
Then they heard people laughing. "Look!" said a girl. "The ducks have their own
island!"

 絵本を通して、子供たちは過去完了形の文も、接続詞も、文の倒置表現も自然に慣れ親しんでいくのだろう。英文法ということを意識することなしに・・・・。

 この絵本、最後は黄色帽子の男と手を繋ぎ、ジョージが再び公園にやってきた景色となる。
 遊歩道の両側には植えられた花々が咲き誇り、池の半周に樹木が植えられている。池の中には一本の木が植えられた小島ができていて、アヒルたちが集っている。絵を描く人、タコを挙げる人々、シートを敷き集う家族連れ・・・のびやかな公園の景色である。

 英語絵本を童心に戻り気楽に読みつつ、英語リハビリ学習の役にも立ってくれる。
 ナレーションを聞くのもいい刺激になる。

 ご一読ありがとうございます。

 こちらもお読みいただけるとうれしいです。
英語絵本電子書籍版 覚書・感想 一覧  計 19冊 2022.12.1 Version 1