五輪中間年というのは、次の五輪でブレイクする選手が台頭する年だ。高橋尚子は2度目のマラソンである'98年の名古屋で当時の日本新記録となる2時間25分48秒の日本新記録で優勝し、12月のバンコク・アジア大会ではその記録をさらに4分も更新してみせた。
野口みずきがマラソン初挑戦で初優勝したのも'02年の名古屋だった。
そんなわけで、昨年の末のこの欄にて、2006年にマラソン・デビューして北京五輪の有力候補になりそうな選手たちをピック・アップしてみた。その直後に大阪国際女子マラソンの参加メンバーが発表されたのだが、その中にここで紹介した大平美樹(三井住友海上)、阿蘇品照美(京セラ)の名前があった。さらに、ここで紹介するのを忘れていて、
「しまった!」
と思った、昨年の青梅30kmの優勝者の奥永美香(九電工)らがエントリー。そして、海外招待選手の目玉がアテネの銀メダリストのヌデレバである。
なんと分かり易いテーマだろう。女王対日本の新人。負けてもともと、勝てば金星。堂々とぶつかって欲しいと思わせた。
レース直前になって、もっとも期待していた大平の欠場が伝えられ、レースそのものへの期待が半減した。彼女が優勝、ないし日本人トップともなれば、翌日のスポーツ紙の一面に
「マラソンでもミキティーが一番!」
といった見出しが躍るところだったであろうに。
そんなわけで当初はやや醒めた目でレースを見ていたのだが、まったく思いもしなかったような展開(「想定内」、「想定外」という言葉は今後使わないようにしようと思う。)となった。
前回優勝のプロコプツカが欠場してしまった今となっては、レースに参加してもらいたかったと思える実績を持つペースメイカーについていったのは、阿蘇品と小川清美と坂田昌美の京セラトリオに招待選手最年長の小幡佳代子(アコム)。ヌデレバは集団から離れていて、奥永らがその後ろに集団を形成している。
4年前の実業団ハーフマラソンを思い出してしまった。小川と、昨年のヘルシンキ世界選手権代表になった原裕美子に、高仲未来恵の3人が先頭に立っていたが、トラックで川上優子(沖電気)にかわされてしまったレースだ。あるいは、ヌデレバがその時の川上の役を演じるのか?
34歳の小幡が快調だ。'99年の世界選手権8位でシドニー五輪のマラソン補欠代表という実績を持つもののこの数年は低迷していた。既にマラソン出場回数が20回を越え、全て完走している。このまま、浅井えり子さんや谷川真理さんらのように(彼女たちもマラソン途中棄権は1度もない。)マイ・ペースで走リ続けていくのかと思っていたら、上位を狙える位置につけている。
12km過ぎて坂田が集団から脱落。ヌデレバはたった一人で走り続けている。まるで、誰もよせつけないかのようだ。ファツマ・ロバやテグラ・ロルーペらのように、「日本びいき」と言われつつも日本のマラソンでは1度も勝てなかったビッグ・ネームの二の舞にならなければいいがとこの時点では、思っていた。もともと、「後半型」のランナーなので期待は持てるが。
今回、もっとも「初マラソン初優勝」の期待が高かった阿蘇品が脱落。小幡は健在である。かなり身体を絞っている京セラ勢に比べると彼女はいくぶんぽっちゃりして見える。
御堂筋の折り返しを過ぎれば中間点。1時間10分45秒で通過。「ベルリン・タイム・トライアル」の時に比べると落ちるとはいえ、悪くないタイムだ。そこに小幡がいる、ということが凄い事のように思えてくる。
ヌデレバが追い上げて来た。まずは阿蘇品を捕らえる。
24km過ぎて、小川が脱落した。25km過ぎてペースメイカーが退場。小幡がトップである!!誰が予想しただろうか?
走れ小幡!「ちゃんと」走れ!
小幡の名前を初めて知ったのは、僕自身も走った'95年の北海道マラソンのブログラムにて。当時の所属は営団地下鉄。僕はてっきり、駅で働きながら走っているOLだと思っていた。
その後、死亡事故の影響でチームは廃部。チームごとアコムに移籍。中距離ランナーを多く採用しているが、マラソンの主力となっているのは、小幡と、'99年の大阪で彼女のペースメイカーを務めた市川(旧姓掛端)美歩、そして監督の妻である長沼一葉の「三十路トリオ」である。
大阪名物、大阪城公園内でのアルフィーのテーマ・ソング。今回は特に、歌詞が映像にうまくマッチしていた。
「掴めNumber One 自分のために」
こわいこわいヌデレバが迫ってきた。
(つづく)
野口みずきがマラソン初挑戦で初優勝したのも'02年の名古屋だった。
そんなわけで、昨年の末のこの欄にて、2006年にマラソン・デビューして北京五輪の有力候補になりそうな選手たちをピック・アップしてみた。その直後に大阪国際女子マラソンの参加メンバーが発表されたのだが、その中にここで紹介した大平美樹(三井住友海上)、阿蘇品照美(京セラ)の名前があった。さらに、ここで紹介するのを忘れていて、
「しまった!」
と思った、昨年の青梅30kmの優勝者の奥永美香(九電工)らがエントリー。そして、海外招待選手の目玉がアテネの銀メダリストのヌデレバである。
なんと分かり易いテーマだろう。女王対日本の新人。負けてもともと、勝てば金星。堂々とぶつかって欲しいと思わせた。
レース直前になって、もっとも期待していた大平の欠場が伝えられ、レースそのものへの期待が半減した。彼女が優勝、ないし日本人トップともなれば、翌日のスポーツ紙の一面に
「マラソンでもミキティーが一番!」
といった見出しが躍るところだったであろうに。
そんなわけで当初はやや醒めた目でレースを見ていたのだが、まったく思いもしなかったような展開(「想定内」、「想定外」という言葉は今後使わないようにしようと思う。)となった。
前回優勝のプロコプツカが欠場してしまった今となっては、レースに参加してもらいたかったと思える実績を持つペースメイカーについていったのは、阿蘇品と小川清美と坂田昌美の京セラトリオに招待選手最年長の小幡佳代子(アコム)。ヌデレバは集団から離れていて、奥永らがその後ろに集団を形成している。
4年前の実業団ハーフマラソンを思い出してしまった。小川と、昨年のヘルシンキ世界選手権代表になった原裕美子に、高仲未来恵の3人が先頭に立っていたが、トラックで川上優子(沖電気)にかわされてしまったレースだ。あるいは、ヌデレバがその時の川上の役を演じるのか?
34歳の小幡が快調だ。'99年の世界選手権8位でシドニー五輪のマラソン補欠代表という実績を持つもののこの数年は低迷していた。既にマラソン出場回数が20回を越え、全て完走している。このまま、浅井えり子さんや谷川真理さんらのように(彼女たちもマラソン途中棄権は1度もない。)マイ・ペースで走リ続けていくのかと思っていたら、上位を狙える位置につけている。
12km過ぎて坂田が集団から脱落。ヌデレバはたった一人で走り続けている。まるで、誰もよせつけないかのようだ。ファツマ・ロバやテグラ・ロルーペらのように、「日本びいき」と言われつつも日本のマラソンでは1度も勝てなかったビッグ・ネームの二の舞にならなければいいがとこの時点では、思っていた。もともと、「後半型」のランナーなので期待は持てるが。
今回、もっとも「初マラソン初優勝」の期待が高かった阿蘇品が脱落。小幡は健在である。かなり身体を絞っている京セラ勢に比べると彼女はいくぶんぽっちゃりして見える。
御堂筋の折り返しを過ぎれば中間点。1時間10分45秒で通過。「ベルリン・タイム・トライアル」の時に比べると落ちるとはいえ、悪くないタイムだ。そこに小幡がいる、ということが凄い事のように思えてくる。
ヌデレバが追い上げて来た。まずは阿蘇品を捕らえる。
24km過ぎて、小川が脱落した。25km過ぎてペースメイカーが退場。小幡がトップである!!誰が予想しただろうか?
走れ小幡!「ちゃんと」走れ!
小幡の名前を初めて知ったのは、僕自身も走った'95年の北海道マラソンのブログラムにて。当時の所属は営団地下鉄。僕はてっきり、駅で働きながら走っているOLだと思っていた。
その後、死亡事故の影響でチームは廃部。チームごとアコムに移籍。中距離ランナーを多く採用しているが、マラソンの主力となっているのは、小幡と、'99年の大阪で彼女のペースメイカーを務めた市川(旧姓掛端)美歩、そして監督の妻である長沼一葉の「三十路トリオ」である。
大阪名物、大阪城公園内でのアルフィーのテーマ・ソング。今回は特に、歌詞が映像にうまくマッチしていた。
「掴めNumber One 自分のために」
こわいこわいヌデレバが迫ってきた。
(つづく)
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