KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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大阪国際女子マラソン雑感~アイドルはどこへ行ったの?vol.2

2006年02月23日 | マラソン観戦記
25kmでペースメイカーが役目を終え、32.2kmでヌデレバに追いつかれるまで約29分10秒。小幡はトップを独走し続けた。34歳のぺテラン(トリノ五輪代表の岡崎朋美と同い年)にとって、メジャー大会でトップを奪うのは初めてだったはずだ。彼女は何を思いながら、この濃密な時間を過ごしただろう?そして、彼女に長年エールを送り続けてきた人たちは、テレビの画面を見ながら、いつまでも醒めない事を願う夢のような時間のように感じていたに違いない。

33.2kmからゴールまでは、大方の予想の通り、「ヌデレバ劇場」だった。
「日本の寒さは苦手」ということで、招待選手で唯一、長袖シャツを着ての参戦だった。しかし、スタート時の気温は9.6℃。この時期にしてはそれほどの寒さではない。「羹(あつもの)に懲りてなますを吹く」心境だったのだろうか?

あくまでも推測だが、今回の彼女はそれほど良好なコンディションではなかったのだろう。少なくとも、シカゴやロンドンでサブ20をマークした時ほどではなかったと思う。「五輪銀メダリストにして、前々回の世界チャンピオンという立場に恥じぬ、ギリギリの走りとして、サブ25を目指して走ったら、日本選手が自滅して優勝が転がり込んできた、というところではないか。「女王」らしさは見せることができたし、ロバやロルーペら「日本のマラソンでは勝てない親日家ランナー」の仲間には入らずに済んだ。ドーレやエゴロワのようになって欲しいものである。

小幡も大崩することなく、6年ぶりの25分台で2位の座を守った。中間点を1時間10分台で通過したのも、暴走ではなく、「計画的」な走りだったのだろう。それでも後半失速はしないという、裏付けのある自信があったのだろう。よほど、いい練習ができていたに違いない。3位は嶋原清子。1度も先頭グループに入らずに、最後は坂田昌美を捕らえた。1度もトップを奪えなくても、上位には確実に入る、というレース・パターンが確立されつつあるみたいだ。日本代表には選ばれにくそうだが、こういう走りを見せるランナーには固定ファンがつく。4位は坂田。翌日の主催紙系列のスポーツ紙には「アイドル誕生」との見出しが出たが、確かに、ルックス的には十分アイドル性は認められるが、はっきり言って誉め過ぎ。

5位は天満屋の森本友。入社1年目に淡路島女子駅伝でアンカーとして、2位東海銀行の川島亜希子の追撃をふりきり、チームの初優勝に貢献したランナーだ。その後、活躍の話を聞かなかったが、まずまずのマラソン・デビューだ。

奥永美香はギリギリで30分を切って7位。小川清美は失速甚だしく11位。阿蘇品は途中棄権。どうした京セラ?僕の中では「大舞台に弱い」というイメージが確立しつつある。

監督の大森氏は、「陸上経験の無い高校教師」として知られるが、ここに来て「調整ベタ」ではないかという点が心配になってきた。

女王ヌデレバの相手にならなかった、日本の若手ランナーたち。むしろ、ベテランが意地と健在ぶりをアピールするレースとなった。日頃、日本のスポーツマスコミが、10代の選手ばかりを持て囃し過ぎるとケチをつけている身にとっては、ある面では望ましい結果ではある。

4年前の五輪中間年の結果を振り返ってみた。ヌデレバのライバルともいうべき、スピード・ランナー、ローナ・キプラガトが初来日し、初優勝したレースだった。彼女に最後まで食らいついていたのは当時33歳の弘山晴美。

「海外の強豪対日本のベテランの対決」という点では、今回と似たような展開だったのだ。そのキプラガトと、日本の若手、野口みずきに坂本直子、千葉真子らがレベルの高いレースを繰り広げ、野口がコース・レコードで優勝し、坂本が初マラソンの日本最高記録を出したのは、その翌年のことだった。

「真のアイドル」の登場は来年まで持ち越しとなった。冬季五輪の種目のいくつかに比べたら、マラソンはまだ新旧交代がスムーズな種目であったが、近年は選手の寿命も延びている。

ベテランの健闘に拍手を送りつつも、新人の台頭を待望する。そんな矛盾に悩みつつ、鬼に笑われながら、来年を待とう。

あっ、まだ名古屋が残っていた。

(了)



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