芭蕉は
NHKラジオ古典講読「奥の細道~名句でたどるみちのくの旅」を聞いているので思いが及ぶのですが…。
『奥の細道』は、芭蕉が、弟子の曾良を伴い、新暦の1689年5月に江戸深川を出発、東北・北陸を旅して8月下旬に大垣に着くまで、600里(2400km)の紀行文です。
時に芭蕉45歳、曽良は5歳下。
この旅の目的は、素晴らしい景色を眺めること、旅先での人との出会いでした。
江戸での暮らしを経験した武士や商人が各地におり、江戸での俳諧の流行が地方にも広がっていたので、その仲間との再会がありました。
歓迎もされ、俳諧の席に招かれることで、新たな門人の獲得もありました。
(芭蕉の真筆による色紙や短冊が各地に残っています)
しかし150日の旅が順調だったわけではなかったんですね。
芭蕉には痔と胃病の持病があったとか。
厳しい残暑が続き、「翁、気色すぐれず」と体調が芳しくなかったり、
(曽良は芭蕉を「翁」と記します、自分のことは「予」)
「早川にて翁つまづかれて衣類濡れ、川原に暫く干す」とか
「病おこりて事をしるさず」として記載がないときもありました。
曽良自身も暑さに参った時期もありました。
「俳諧の席に翁だけが出かけ、予は行かずに養生している、医者から3日間、薬をもらった」とか。
金沢でのこと。
以上、ラジオでの「第41回の解説」の一部です。
定家も芭蕉も、身体頑健には程遠い人だったんですね
何の関係もない私ですが、何だか安心できる発見(気づき)でした。
NHKラジオ古典講読「奥の細道~名句でたどるみちのくの旅」を聞いているので思いが及ぶのですが…。
『奥の細道』は、芭蕉が、弟子の曾良を伴い、新暦の1689年5月に江戸深川を出発、東北・北陸を旅して8月下旬に大垣に着くまで、600里(2400km)の紀行文です。
時に芭蕉45歳、曽良は5歳下。
この旅の目的は、素晴らしい景色を眺めること、旅先での人との出会いでした。
江戸での暮らしを経験した武士や商人が各地におり、江戸での俳諧の流行が地方にも広がっていたので、その仲間との再会がありました。
歓迎もされ、俳諧の席に招かれることで、新たな門人の獲得もありました。
(芭蕉の真筆による色紙や短冊が各地に残っています)
しかし150日の旅が順調だったわけではなかったんですね。
芭蕉には痔と胃病の持病があったとか。
厳しい残暑が続き、「翁、気色すぐれず」と体調が芳しくなかったり、
(曽良は芭蕉を「翁」と記します、自分のことは「予」)
「早川にて翁つまづかれて衣類濡れ、川原に暫く干す」とか
「病おこりて事をしるさず」として記載がないときもありました。
曽良自身も暑さに参った時期もありました。
「俳諧の席に翁だけが出かけ、予は行かずに養生している、医者から3日間、薬をもらった」とか。
金沢でのこと。
以上、ラジオでの「第41回の解説」の一部です。
定家も芭蕉も、身体頑健には程遠い人だったんですね
何の関係もない私ですが、何だか安心できる発見(気づき)でした。