kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

元号について

2017年01月15日 | 日記
私は元号は要らないと思います。合理的でないから。

若い頃(1960代)までは、学校で習った通り、自分の過去未来に関連した100年ほどを元号で認識していました。
でも巷では、例えば祖母は、干支の方で認識していました。

私が生まれた昭和19年(1944年)には、明治以前に生まれた人もいたんですね。
慶応生まれは満年齢が76~79歳、元治生まれは80歳、文久生まれは81~83歳。
その頃は数え年だったので、1~2歳、年上の勘定でした。
○○爺さんは文久何年、××婆さんは慶応何年、父さんは明治何年。息子は大正と昭和生まれ…。
それよりも、「酉年だ」とか「辰年」とか言う方が間違いないですね。
干支では縁起を担いだり迷信に繋がりがちで私はイヤで、心の内で反発していたけれど、コロコロと元号が変わる世の中では、干支の方を使って当然でしょう。

2017年は、明治150年、大正106年、昭和92年、平成29年にあたります。
これをスラスラ言える人もいますけど、ややこしいことは確か。
時間の経過を、特定の人間の死亡日で区切るという法律は、おかしいと思います。

「平成は30年で終了」とか。なぜそう決めるのか、理解できないです。
私には、西暦が分かりやすい。混乱しない。面倒でない。
ほんとに「ひとりごと」になりました。

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