安いのなんの 福来門 2015年04月30日 20時37分03秒 | 日記 JR高円寺駅の改札口を出、約30メートルばかりの高架下向かいの店。 この店の変わっている点は、店頭のサンプルは、それなりの普通の値段であるが、店内には安値のメニューがてんこ盛りになっており。 きょうで、独立独居ちょうど半年の息子とディナーをした。 父はアイスジャスミン茶×2、子はビール中生×3。料理はもう食べられません、のバラエティーで、千円札×3である。もちろん合計額。 来る日曜日に会う約束の息子の後輩が、ネパールから帰れずにいることを知る。心配である。
海を見ていた午後 2015年04月29日 22時30分42秒 | 日記 連休初日、鎌倉や湘南方面は、人で溢れていることと思い。日の出桟橋から水上バスに乗船し、台場に向かう。 約600人収容の船は、中国人ツーリストで占有され、まるで香港湾でレストラン船に向かうボートの中のようだった。 お台場海浜公園で、人生初のプレーリードッグに遭遇する。あの愛らしい小動物は、一体何の仲間なのか? そして、インディアンカレー店で、バイキングに一瞬テンションをアゲたが、そんなに大量に食べられる筈もなく、海を見ながら、しばしボーッとする。浜辺では、タヒチアンダンスのパフォーマンス。 一体ここは、何処なんだ?
ミヤシンの教え 2015年04月28日 20時00分05秒 | 日記 14歳 中学2年の時の担任だった宮嶋真一郎先生が、昨日他界された。僕らは、愛情を込めて、ミヤシンと呼んだ。 ガキだった僕らの精神のよりどころだった。 ミヤシンの英語の授業のこと、そして諳んじるように命じられた、W.ワーズワースの詩『虹』は、きょうの昼間に習ったことのようだ。 高2の時、先生は学校を去る。僕らはみな、高校生活が中途で終わった気になった。 それから先生が目指されたのは、障がいを持つ人たちとの、共生、協力、共働であった。 今日からミヤシンはいない。でもミヤシンの教えが、僕の魂を掴んでいる。
禁断の『ニンフォマニアック』 2015年04月27日 19時31分50秒 | 日記 投票権をいただく一市民として、市議会議院選挙に出かけた帰りに、久しぶりにレンタルDVDを覗いた。 えっ?この前、映画館で観たところなのに、すでに店頭に並ぶ作品の数々。以前より、劇場映画がDVDに化ける速度が加速している。 そして、表題の作品vol.1~2を借りる。 とうてい肉食系には見えない、シャルロット・ゲンズブールが、飽くなき性の探求者を演じるギャップに目が点になる。 人は、何かに依存せずには生きられないとはいえ、欲しがり続けた自分史を、静かに語るヒロインの凄味に、恐怖さえ覚え、鑑賞意欲もにわかに減ズ(ブール)。何しろ240分の長編なのだ。 それにしても、エンプティーとは言わないまでも、クライマックスは何とかならなかったものか。監督、力尽きたのか、それとも、如何とも し難い人間の業を、ストレートに見せたかったのか。
扱いは極めて小さく 2015年04月26日 17時07分16秒 | 日記 ショーとガチの要素が、4:6くらいの微妙なさじ加減で成立しているという意味で、僕はプロレスを愛している。 後楽園ホールでジャイアント馬場が最後に闘ったのは、僕が転職した年、1998年12月である。子ども2人を連れて、馬場さんを見に行ったのは、その2年前。その時すでに馬場は、人の助けを借りないと、ロープをまたげなかった。 昨夜は、後楽園ホールにて、馬場の最後の対戦相手 渕 正信(還暦超えてます)の、勇姿を拝んだ。セミファイナルの10人タッグマッチにおいて、渕が見せ場を作れるよう、ほか4人が細々と動く、プロレス互助組合だ。 帰宅後、購入したパンフレットで復習をし、きょうはスポーツ新聞で、余韻を楽しもうとしたのだが、昨夜の8試合は、わずかに上の写真のごとき扱いだった。