落葉松亭日記

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2100年前の計算機

2006年12月17日 | 日常・身辺
2100年前のスーパー計算機
 【大紀元日本12月12日】ギリシャ南部アンティキチラ島沖で見つかった2100年前のものとみられる青銅製の装置が、足し算や掛け算などの複雑な計算のほか、太陽や月の数十年間の運動を予測出来るほどの精巧な計算機だったことが1日までに分かった。このスーパー計算機はローマ時代、船の海難事故により海底に沈んだが、100年前にダイバーに発見された。ギリシャと英米両国の科学者らは、発見された装置の研究に取り組み、その機能の素晴らしさを明らかにした。
 科学者らによると、ギリシャ人によって製造されたこの計算機を上回るほどの装置は1000年以上発明されていないという。
 イギリスの天文学者マイク・エドムンズ氏は、「この計算機の設計は、とても素晴らしい。古代人の創造力、及び解明されたこの計算機の機能には、みな驚嘆している。この計算機の存在は、古代ギリシャ人がすでに最先端の科学技術を持っていたということを意味している」と述べた。

 ローマ時代から既に機械式計算機があったとは驚いた。

 昭和38年就職した工場には手回し計算機があった。実際に使ったのは黒塗りのもう少し古い型だった。先輩の女性が素晴らしい早さで操作していた。(写真は山口県立博物館のHPより引用)

 昭和49年某鉄道車両工場に転職した。原価計算の職場だった。算盤は3級程度だったので桁の多い掛け算や割り算はこの手回し計算機の御世話になった。もう使い方は忘れたがあの騒々しいギヤの音は覚えている。しばらくして光電管の数字表示の付いた電卓が出てきたが一人一台とはいかなかった。

 昭和50年代マイクロコンピュータが登場した。ボードむき出しのCPUに簡単なコンソールがついた日立製のH68/TRというマイコンを小遣いをはたいて購入して遊び始めた。これがパソコンとのなれそめだ。
 昭和55年頃ディスク装置のついたパソコンやプリンタが出始めた。導入を提言し、BASICやModula2で業務用プログラムづくりにのめり込み本職になってしまったのだった。