落葉松亭日記

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加瀬英明氏「日本の新聞は再生できるか」

2014年11月01日 | 世相
朝日新聞は従軍慰安婦問題で虚偽報道を認めたが、いまだ営業中だ。
多くの日本の読者を騙し、韓国はこの記事を根拠としていわれのない中傷を世界中にばらまいた。NYTも慰安婦を日本軍の性奴隷と広めた。真に受けた米国の単細胞某市民が慰安婦像を建造するに至った。韓国大統領は「千年の恨み」と国民を指導している。
これが食品会社なら保健所から営業停止を命令されたり、店頭から商品が撤去されるところだ。

朝日だけではない。毎日新聞も日本の母子のありもしない変態記事を英文で世界中にばらまいた。
新聞だけではない。NHKを始めとするTVも偏向報道が後を絶たない。ネットで検索すればたちどころにずらずらと出てくる始末だ。

どうしてこんなことが起こるのか・・・
評論家加瀬英明氏によれば、メディアの問題だけではなく、日本人の特質ではないかと論評しておられる。
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン 2014年11月1日
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

日本の新聞は再生できるか

 新聞界に王者として君臨してきた、朝日新聞の落日が始まった。
 朝日新聞社は8月に、いわゆる従軍慰安婦について、32年間にもわたって読者を騙して、虚偽報道を行ってきたことを認めて、撤回した。社長が逃げ隠れしていたが、何日もたった後に、謝罪記者会見を行った。

 私はもう50年にわたって、雑誌の紙上を舞台として、朝日新聞が亡国的な報道を行ってきたことを、攻撃してきた。
 昭和50年に、月刊『文芸春秋』に「最近朝日新聞紙学」という題で、27ページにわたる長文の批判を寄稿したところ、朝日新聞社が名誉毀損で、私と文芸春秋社を訴えるといってきた。裁判は望むところだった。
 福田恆存氏をはじめ保守派知識人が、私の応援団をつくってくれることになった。ところが、著名な財界人が仲介に入ったために、裁判は実現しなかった。

 日本の新聞は先進諸国のなかで、民主社会を脅かす、もっとも遅れた面をつくっている。
 欧米の新聞が民衆のなかから生れてきたのに対して、日本の新聞は明治に入って、藩閥政府に不満を持つ武士がつくった。これらの武士はエリート意識が強く、蒙昧な民衆を導くという、使命感に駆られていた。

 日本の新聞の読者に対する目線
 今日でも、日本の新聞は誰に頼まれたわけでもないのに、「社会の木鐸」であることを、自負している。欧米では新聞が読者と対等な関係を結んでいるが、日本では読者を上からみる目線で、見降ろしている。
 日本の新聞は「これを読め」という態度で、読者に接してきた。32年間にもわたって、虚偽の報道を撤回しなかったのは、読者を大切にしてこなかったからだ。

 欧米紙と日本紙の投書欄は何と違うことか
 アメリカや、ヨーロッパの新聞でもっともおもしろい欄は、投書欄だ。その新聞の記事や、論説に対する読者の批判を、率先して掲載している。なかには、辛らつなものもある。
 ところが、日本では産経新聞も含めて、投書欄は愚にもかない内容のものばかりで、批判をいっさい受けつけない。
 もし、カレントの読者のなかに、朝日新聞を購読されている会員がおいでだったら、孫や、子供に読ませないことを、お勧めしたい。次代の日本人が嘘つきに育ったら、たいへんだ。
 今回の朝日新聞社社長による謝罪記者会見が、日本国民の目を覚ますきっかけとなることを、期待したい。

 聖書から学ぶこと
 私はキリスト教信者ではないが、旧約、新約聖書に親しんできた。
 新約聖書の『ヨハネの福音書』のなかに、妙に気にかかる言葉がでてくる。キリストの「私が来たのは、彼らがいのちを得、またそれを豊かに持つためです」(10―10)という言葉だ。
 いったい、英語ではどういうのか、英語の聖書をあたってみた。I have come that men may have life and may have it in all its fullness.と、なっていた。
 しばらく後に、ドイツ語の聖書もめくってみた。Ich bin gekommen, damit sie Leben haben und es in Fulle haben. とあった。
 これは、キリストの言葉のなかでも、有名なものだ。

 生きる心と生かされる違い
 キリストがやって来たことによって、人間が罪から解き放されたので、生き生きと生きることができるという、痛烈な叫びである。
 英語や、ドイツ語で読むと、人間は眠っていないで、生命力の限りにいっぱいに生きろという、血が滾(たぎ)るような響きがある。ところが、日本語になると、このように燃えるようなところがない。どうも弱々しいのだ。
 英語とドイツ語とでは、人間が生命(いのち)を持つというのは、have it / Leben habenであるのに対して、日本語では「それを‥‥持つため」といって、生命を持つというよりは、「持たされている」という感じが、強い。
 英語やドイツ語であると、個人が生命を持つのに、日本語では共有のものを持たされているようなのだ。

 自己意志の表現の力
 I haveというと、きわめて強い。「持つ」対象となっている物にも、「私」の強い執着がこめられている。そして、自分の行為まで持つことができる。I have comeとI came、I have seen、I sawとでは、同じ「私は来た」と「私は見た」のであっても、強さがちがうものだ。

 自己存在と所有価値との接点
 日本語で「私は鉛筆を持っている」といっても、鉛筆があたかも共有物であって、私が預かっているようにきこえる。自分だけの鉛筆だ、という叫びがない。
 「私は金を持っている」「傘を持っている」といっても、共有物である金を、一時、預かっているような感じが強い。I have moneyとか、my umbrellaというより、弱い。
 日本人の生活のなかから、haveが欠落してしまっているように思える。それだけ、自我が希薄なのだろう。

 日本では、ほんとうは不十分なものであるのに、そのものにあたかも大きな力が備わって、権威があるかのように、まわりから作り上げてしまうことが、しばしばみられる。戦前、戦時中の神国思想や、軍国主義のように、まったく得体の知れないようなものが、コンセンサスとして権威をふるって、横行する。

 日本では、人々が得体が知れないものに、寄りかかりやすい。

 “暗愚な帝王”と“暗愚な新聞”

 私たち日本人には、どこか無意識に満場一致を求める心情が、働いている。コンセンサスに従おうとする力が、強く働いている。
 このようなことは、ほとんどの日本人が成熟した自己を持っていないことから、起ると思う。大多数の日本人が不十分な、中途半端な自我形成しか、行われていない。多くの日本人にとって、自我の中心が自分のなかにあるよりも、集団のなかにある。
 自分を1人ぼっちの人間として、意識することがなく、自分が属している集団の部分としてみる。しっかりした自分を、確立することがない。そのために、得体が知れないコンセンサスによって、支配されてしまうことになる。
 日本では、首相にせよ、大企業の社長にせよ、周囲が作ることが多い。本人が自分の力によって、その地位を勝ち取るよりも、まわりがそのように作るということが、みられる。集団が中心を探り合ううちに、その人にコンセンサスの中心としての役割が、与えられる。
 かつて、鈴木善幸首相がそう呼ばれたが、宇野宗佑首相や、鳩山由紀夫首相や、菅直人首相のような“暗愚な帝王”が担がれることが、起こる。

 朝日新聞が擁護してきた日本国憲法が、よい例だ。日本国憲法は「暗愚な憲法」なのだ。
 日本国憲法は、今日の世界の現実にまったくそぐわないものと、なっている。
 人間生活では、あらゆるものが相対的であって、流動しているために、人が状況に合わせてゆかねばならないはずである。
 憲法も道具の1つであり、人間生活の手段であって、目的となってはならない。道路交通法と同じような、生活の道具だ。道交法を時代にかなうように、しばしば改めなければならないのと、同じことだ。

 現行憲法を墨守するのは、中世的で不合理な不動の宇宙観を、持っているのに均しい。
 日本人はなぜ動かない物に対して、憧れを持つのだろうか。いったん、怪しげなコンセンサスが固定化してしまうと、全員が寄りかかってしまうために、壊すことがきわめて困難になる。
 朝日新聞は戦後の自虐史観を支えてきたが、「暗愚な新聞」であってきただけではなく、日本の国家としての存立を、脆いものとしてきた。
 日本の新聞は、反社会勢力であってきた。“木鐸”という気取りを、捨ててほしい。
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン 2014年10月25日
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

日本の独立を危うくする朝日新聞の中国報道

 朝日新聞社が8月に、いわゆる従軍慰安婦について、32年間にわたって読者を騙して、虚偽報道を行ってきたことを認めて、撤回した。
 社長が逃げ隠れしていたが、何日もたった後に、謝罪記者会見を行った。
 私はもう50年にわたって、雑誌の紙上を舞台として、朝日新聞が亡国的な報道を行ってきたことを、攻撃してきた。
 昭和50(1975)年に、月刊『文芸春秋』に「最近朝日新聞紙学」という題で、27ページにわたる長文の批判を寄稿したところ、朝日新聞社が名誉毀損で、私と文芸春秋社を訴えるといってきた。裁判は望むところだった。
 福田恆存氏をはじめ保守派知識人が、私の応援団をつくってくれたが、著名な財界人が仲介に入ったために、裁判は実現しなかった。

 私にとって朝日新聞ほど、怒りを駆り立てられてきた相手はなかった。
 なかでも、朝日新聞の中国報道は、日本の独立を危うくするものだった。
 外交は内政の延長だといわれるが、国防は国内世論に依存している。

 中国で昭和41(1966)年に、人民文化大革命が、吹き荒れていた。毛沢東によって、大量の血が流され、文化を破壊した、狂気の沙汰だった。
 朝日新聞は社説で、「そこには、いわば『道徳国家』というべきものを目指す、『世紀に挑む実験』といった意欲が感じられる」と、説いた。
 昭和57(1970)年に、中国の周恩来首相が佐藤内閣による沖縄返還交渉、日米同盟堅持、防衛力強化を、「日本軍国主義復活」といって、激しく非難した。
 朝日新聞は社説で、周首相が「『日本軍国主義はすでに復活し、アジアの侵略勢力となっている』とか、『沖縄返還はペテンだ』と主張した。われわれは、日本軍国主義がすでに復活したとまでは考えない。だが『復活』の危険な情勢にあることは、認めざるを得ない」と、論じた。
 翌年、日米間で沖縄返還協定が調印され、昭和52年に沖縄が祖国に復帰した。

 昭和50年は、1960年に日米安保条約が改定されてから、自動延長か、改定の期限を迎えて、新聞が“70年安保危機”をさかんに煽った。
 朝日新聞は社説で、「日中関係の正常化こそ、わが国の恒久的な安全保障の条件なのであり、“選択の70年代”の課題は、対米関係の調整にたった安保条約の解消と、日中関係正常化への努力を並行して進めて行くことである」と、訴えた。
 “70年安保危機”は、警視庁機動隊員の努力によって、回避された。

 昭和47(1972)年に、日中国交正常化が行われた。
この時の朝日新聞の「日中新時代を開く田中首相の訪中」と題した社説も、憤飯物だ。
 「日中正常化は、わが国にとって、新しい外交・防衛政策の起点とならなければならない。日米安保条約によって勢力均衡の上に不安定な安全保障を求める立場から、日中間に不可侵条約を結び、さらにその環をソ連にもひろげる。あるいはアジア・極東地域に恒久的な中立地帯を設定する。そうした外交選択が可能となったのである」
 朝日新聞は、中国報道も検証してほしい。