落葉松亭日記

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加瀬英明氏「日本国憲法第9条は『包装紙』にすぎない」

2014年11月28日 | 政治・外交
衆院が解散した。ただでさえせわしない師走に選挙戦が展開される。
当方の住む公営賃貸団地では公示前から公○党候補者のポスターがぺたぺたと窓外の桟にくくりつけられ見苦しい。外側は共有物の筈だが・・。URも甘い。
一棟二十四、五所帯で二,三軒が○○学会であることがわかる。
そのポスターは安倍首相の顔入りで今回も選挙協力前提か。
これでは自民党の憲法改正公約は何時になることやら。
日本国民のために働いてくれる候補者に投票したいのだが、党利党略小選挙区制では難しいのではないか。

衆院解散で「みんな」とか「生活」等の政党が消滅の憂き目にあっているそうな。
中共や韓国の方ばかり向いた政党や国籍不明の議員が多すぎる。
中共の東南シナ海侵略、半島の精神文化侵略が激しい今日、無関係ではないだろう。
山陰地方では道路標識、観光施設、山中の標識までハングル併記だった。
先般またしても対馬の仏像や経典が韓国人によって盗まれた。民放某キャスターは「物質世界への執着はダメだ」「怒るようなことではない」などと視聴者に説教を垂れたそうな。

来年は終戦(敗戦)七十周年にあたる。
GHQ押しつけ直訳の現行憲法は破棄し真の独立国になってもらいたいものだ。
■「加瀬英明のコラム」メールマガジン
件名: 日本国憲法第9条は「包装紙」にすぎない
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衆参議員会館前の歩道に、秋雨のなかに濡れながら、「憲法第9条を守れ」と書いたプラカードを持った10数人が立っていた。
 それほど、第9条が素晴しいものなら、ウクライナまで出かけて、9条の崇高な精神をウクライナ国民に説くことを、奨めたい。
 プラカードを手にした善男善女は、9条が「金甌(きんおう)無欠」のものだと、固く信じているにちがいなかった。
 戦前、昭和12年につくられた『愛国行進曲』に、「金甌無欠揺らぎなき、我が日本の誇りなれ」という歌詞があった。
 だが、いったい、憲法第9条は全世界に向かって、胸を張って、誇れるものなのだろうか?

 「平和憲法」と、誤まって呼ばれているが、誰もが、アメリカが占領下で日本からいっさいの武装を解除して、日本を未来永劫にわたって属国とするために、押しつけられたことを知っていよう。
 憲法というものの、憲法を装った不平等条約である。

 日本文化の大きな特徴の1つは、「包む」ことに、異常なまで執着してきたことだ。
 東大卒であれば、80、90の爺さまになっても、「あの人は東大出だ」といわれる。
 高島屋の包装のほうが、「西武百貨店」の包装よりも、有難がられる。
 御進物は、中身よりも包装のほうが、立派なことが多い。
 日本女性を包む着物は、世界のどの文化の衣(ころも)よりも、贅沢なものだ。世界のなかで、もっとも金(かね)がかかっている。
 日本の花嫁衣裳、歌舞伎の装束や、能衣装をとれば、マリー・アントワネットたちがベルサイユ宮殿で纏ったドレスや、中国の歴代の皇妃たちの衣装を圧倒している、絢爛豪華なものだ。
 つい、このあいだまでは、洋酒のジョニ黒や、輸入物のブランデーを貰うと、桐の箱に入っていたものだった。

 昨年は、富士山が世界文化遺産に登録されたところ、登山者が急増した。今年は、群馬県の富岡製糸工場が、世界文化遺産に指名されたが、それまでは誰も訪れることがなかったのに、観光客が殺到するようになった。
 日本は、包装文化なのだ。日本国民の多くが、憲法第9条も包装紙にすぎないのに、アメリカが日本を無抵抗な国民にするために、銃剣によって脅かして、強要したものだという、中身をよく見ようとしない。

 平和は祈ることや、念じることによって、もたらされない。平和は国民が努力して、創りだすものだ。
 議憲派の人々は昭和20年に金甌無欠の日本を守るために、「一億玉砕」の掛け声のもとに、「神州不滅」を念じて、竹槍を持って本土決戦に備えたことを、連想させられる。
 多くの国民が神風が吹いて、日本が最後の勝利をおさめると、教えられていた。
 青年たちによって、「神風(しんぷう)特別攻撃隊」が結成されて、敵艦に突っ込んでいった。

 元寇にあたって、全国の神社仏閣で護摩壇を設けて、敵国降伏を祈った。
 しかし、それと同時に、全国の武士たちが肌赤、褌(ふんどし)に日本刀をぶち込んで、槍を手に博多湾に集まって善戦したために、祖国が護られた。

 9条という衣を脱ぎ去って、素っ裸になって、日本の行く末を考えてほしい。