落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

参院選

2022年07月11日 | 政治・外交
参院選が終わった。
期間中に安倍元首相を銃撃する事件や、ロシア/ウクライナ戦争があった。
後者のロシア/ウクライナ戦争は継続中で何時終わるとも不明だ。
強国が弱小国を侵略していいのかと言う問題が選挙にどう影響するのか興味があったが、防衛やそのための改憲を唱える政党は殆どなかった。
兵庫選挙区の当選者
維新 片山大介氏
自民 末松信介氏
公明 伊藤孝江氏
だった。
各氏の選挙公報を見ても、改憲の文字はなかった。
その改憲に言及する政党に「新風」があり、「真の独立主権国家に」という主張に惹かれた。
当方は投票したがはるか圏外だった。
国際社会に通用する真の改憲議論を欲す 2022年7月11日 15:00:34JST
加瀬英明 メールマガジン info@kase-hideaki.co.jp

 今年4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効して、日本が独立を回復した「主権回復の日」に当たった。といっても、休日ではない。
 都内で「主権回復」を記念する催しが行われて、私も招かれた。
 6人の国会議員が挨拶をしてから、私が登壇した。

 私は会場へ向かって、この朝の産経新聞の社説をひろげて見せて、「この社説は、『主権回復70年、占領の呪縛を解くときだ』と題しています。

 この社説を目にした時に、日本の保守派を代表する新聞が、このような社説を載せたことを信じることができなく、情けないと思いました」と、述べた。

「私が親しくしている多くの保守派の論客が、ことあるごとに米国が占領下で日本国民に強要した『東京裁判史観』や、『ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム』や、徹底した検閲を行ったために、今日でも日本が立ち上がることができないと、説いています」

「しかし、当時のアメリカは野蛮な国でした。野蛮な国だったから、占領政策が野蛮なものとなったのは、当然のことでした」
「そうだったら、日本が主権を回復してから2、3年以内に、アメリカが押しつけた憲法を改正し、数々の不当な占領政策を一掃して、日本を取り戻すべきだったではないでしようか。
 アメリカのせいにすることなく、70年にもわたって、諾諾(だくだく)と自ら占領政策を受け容れてきた日本国民こそ、非難されるべきではないでしようか」と、訴えた。

 アメリカを責めるのは、まったく筋違いだ。

 日本国民が国家としての主権を損ねてきた呪縛を進んで受け容れてきたのだ。
 日本の自主を奪ってきたこの〃呪縛〃を、自分で解くべきだった。
 なぜ、そうしなかったのか。傷はもっと深いところにあるのだ。 

   ウクライナ戦争が追い風となって、日本が独立を回復してから、70年もおざなりにしてきた憲法改正へ向けた動きが、現実味をおびるようになった。
 憲法第9条が眠目となっているが、「陸海空軍を保有することを禁じる」というわきに、自衛隊を併記しようというのが、改憲の流れとなっているようにみえる。
 軍の保有を禁じると書かれたところに、自衛隊を保持するとつけ加えるのでは、判じ物ではないか。姑息――一時の間に合わせだ。
現行の第9条を白紙にして、自衛のために国防軍を常備するとうたうべきである。

 現行憲法は世界の憲法のなかで、軍の保有を禁じている唯一つの憲法である。
 どうして、多くの日本国民が外国が軍を持っているのは当然のこととみなしてきたのに、日本だけが軍を保有してはならないと信じてきたのだろうか。
 この点一つだけとってみても、日本を自立した国家としようという誠(まこと)を欠いている。
 このような憲法を、70年の長きにわたって放置しておいたのは、日本国民が国家も、憲法も、尊いものとみなさないできたからだった。

 憲法は国の顔であり、心である。自分の手で起草するべきだ。
 自尊心を捨て去って、自立することを拒んだ人は、まっとうな社会生活を送ることができない。国際社会においては国家も、人とまったく同じことだ。
 国としての重大な欠陥をはじめとして国防にいたるまで、すべてをアメリカに委ねてきた。

 この70年、日本国民は国を尊ぶことがなかった。
 憲法は国の顔であり、心である。小手先で憲法を弄(もてあそ)ぶのではなく、改憲に心をこめたい。