建国記念の日
戦前の「紀元節」に相当するが、戦中生まれの当方は馴染みが薄い。
その紀元節は占領下の昭和23年に廃止された。
その後、1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、翌1967年(昭和42年)2月11日から適用された。(Wikipedia)
【主張】建国記念の日 政府が率先し祝うべきだ 2009.2.11 03:13産経「主張」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090211/plc0902110313004-n1.htm
43回目の「建国記念の日」を迎えた。国民の祝日としてはすっかり定着したといえる。しかし、今年も政府が主催する式典は行われない。かつてない経済危機で、国民の結束が必要な今こそ、こぞって建国を祝うことができる方法を考えるべきだ。
「建国記念の日」は戦前の「紀元節」を引き継いだものである。その「紀元節」は、明治維新のさい『日本書紀』で初代神武天皇が即位したとされる2月11日を選んで制定された。
西欧列強に植民地化されるかもしれない危機の中、新しい国づくりに乗り出すに当たり、建国の歴史を学ぶことで、国民に一致団結を呼びかけたのだった。
戦後、占領軍によって廃止されたが、国民の強い要望もあり、さまざまな曲折を経て昭和42年、名称などを変えて復活した。
しかしその後、学校や家庭でこの日の意義について教えることは少なく、せっかくの「建国記念の日」が次第に空洞化してきたことも事実である。
政府にも、積極的にこの日を祝い、PRしようという姿勢が欠けてきた。わずかに財団法人が開く「建国記念の日を祝う国民式典」を後援、時の首相があいさつをするだけだった。
その式典も財団の解散により4年前に中止され、政府はまったく「建国記念の日」にタッチしない事態が続いている。民間団体による式典はいくつか開催されているが、今年、麻生太郎首相が出席する予定はない。
国際的にみても、国が制定した建国の記念日を政府自らが祝わないというのは、異例なことと言わざるをえない。 特に今、米国の金融危機から始まった世界的不況で、各国は生き残るために懸命である。国際紛争も絶えず、それぞれ解決に向けての貢献を求められている。
だが日本の政治は、政府や各党がバラバラで、党利党略の抗争に走っている。こうした時代だからこそ政府も国民も結束を強め、不況克服ばかりでなく、将来の国のデザインを考えていかなければならない
。 そのためには、明治政府がそうしたように、まず建国の歴史をその中心に据えたい。今後、政府が率先してこの日を祝う方法を考えてほしい。単なる休日としてではなく、国の成り立ちに思いをはせる日としたい。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090211/plc0902110313004-n1.htm
43回目の「建国記念の日」を迎えた。国民の祝日としてはすっかり定着したといえる。しかし、今年も政府が主催する式典は行われない。かつてない経済危機で、国民の結束が必要な今こそ、こぞって建国を祝うことができる方法を考えるべきだ。
「建国記念の日」は戦前の「紀元節」を引き継いだものである。その「紀元節」は、明治維新のさい『日本書紀』で初代神武天皇が即位したとされる2月11日を選んで制定された。
西欧列強に植民地化されるかもしれない危機の中、新しい国づくりに乗り出すに当たり、建国の歴史を学ぶことで、国民に一致団結を呼びかけたのだった。
戦後、占領軍によって廃止されたが、国民の強い要望もあり、さまざまな曲折を経て昭和42年、名称などを変えて復活した。
しかしその後、学校や家庭でこの日の意義について教えることは少なく、せっかくの「建国記念の日」が次第に空洞化してきたことも事実である。
政府にも、積極的にこの日を祝い、PRしようという姿勢が欠けてきた。わずかに財団法人が開く「建国記念の日を祝う国民式典」を後援、時の首相があいさつをするだけだった。
その式典も財団の解散により4年前に中止され、政府はまったく「建国記念の日」にタッチしない事態が続いている。民間団体による式典はいくつか開催されているが、今年、麻生太郎首相が出席する予定はない。
国際的にみても、国が制定した建国の記念日を政府自らが祝わないというのは、異例なことと言わざるをえない。 特に今、米国の金融危機から始まった世界的不況で、各国は生き残るために懸命である。国際紛争も絶えず、それぞれ解決に向けての貢献を求められている。
だが日本の政治は、政府や各党がバラバラで、党利党略の抗争に走っている。こうした時代だからこそ政府も国民も結束を強め、不況克服ばかりでなく、将来の国のデザインを考えていかなければならない
。 そのためには、明治政府がそうしたように、まず建国の歴史をその中心に据えたい。今後、政府が率先してこの日を祝う方法を考えてほしい。単なる休日としてではなく、国の成り立ちに思いをはせる日としたい。
小中高の学校時代に紀元節や建国記念の日がなかった年代が、今、社会の中枢、リーダーになっている。
もちろん全ての人がそうではないが、国家観の乏しい議員や政治家が跋扈するのもそのせいではないかと思えてくる。
ノンポリの典型、当方なども、近年のシナや朝鮮半島の反日騒動でやっと国というものを意識したのだった。
「主張」に述べられているように、日本は国際的に見ても、国が制定した建国の記念日を政府自らが祝わないという、不思議な国なのだ。
政治や教育行政、マスコミ、法曹などは、GHQの行った政策がここにきて実を結び、日本は徐々に劣化を辿っているように思える。