オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

恒例・大日本泥鰌愛好家協会定期総会

2018-07-14 22:16:17 | 日記

 毎年、暑いあつい夏を迎えると、江戸の先人に倣う「どじょうの会」が開催され、愛好家を名乗るお歴々が浅草「飯田屋」に集まる慣わしになっています。
 今年も、7月13日(金)に行われ、私も参加してきました。

 今回、はるばる大阪から参加した人がいました。 懐かしくも珍しい、元ヨットデザイナーのK原TS男さんです。
 関西では泥鰌好きの仲間がいないのでぜひ参加したいと連絡がありました。 夕方5時に東京駅で待合わせ、積もる話をしながら浅草へ、会場へは一番乗りです。

 三々五々メンバーが集まります。知らない人は知らないので、「私の古い友人でK原さんです」と紹介しますが、知っている人がくると「ア~ッ」と驚きの声をあげます。
 その昔、70年代~80年代にかけて魔物にとりつかれたようにヨットレースに没頭した仲間です。
 鳥羽レース150艇超、神子元島レースに60艇を超えるエントリーがあった時代です。
 数々のレースの中で極めつけは78年強風の「クォータートン世界選手権」「沖縄~東京レース」それと「アドミラルカップ」ですね。ほかにも数えきれないほどいろいろ・・・。
 思えば遠くへ来たもんだ・・・。



 私が始めて彼を知ったのは、彼がNYのS&Sの設計事務所にいた時でした。 八丈グループのIS田さんからの情報で、彼を通してHoodのスピンネーカを発注したのが始まりです。
 その後、彼は日本に帰り、伊勢に「なかよし造船」を興し、自分の設計したヨットを造りはじめたのです。
 1号艇は25ft、「こんなの造ったんやけどどやろか?」。まだ名前がありません、そこで私が「モモエ75」と名前をつけて、SSCRなどに参加、なかなかいい帆走りでした。
 そして改良型の「コテルテル」が誕生し関東水域で大活躍、彼も私も大きな一歩を踏みだしたのでした。

 そこから後の彼の活躍はご存知のとおり、桜吹雪の「月光」大「テルテル」「神風エクスプレス」などなど数々の名艇を送り出してきました。
 「泥鰌愛好家協会」のSK井会長とも旧知の仲、話はどんどん盛り上がります。 ハーモニーのS藤さんとは世界一周とクルージングスポットは・・・。
 あんまりいろいろ話したので整理がつきません。
 最後は、「やっぱりレースがいいね」ということに落着きました。

 また来年も参加する、ということで本会はお開きとなりました。



 私は白内障の手術後初めてのお酒だったのでちょっとクラクラで一軒目で失礼しましたが、皆さんどこぞへと流れて行ったことでしょう。 とても楽しい夜でした。