オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

悲しいお別れ

2021-09-08 21:41:21 | 日記
 私の大切な・最愛のパートナー「むさし君」が 7日朝 9時44分 帰らぬ犬となりました。

 お腹の中にシコリがあるのは診察した医師から聞かされていて、2週間に一度の経過観察をしましょう、ということにしていました。
 5日の日曜日にはいつもどおり元気にお散歩していたのですが、翌6日朝、起き上がろうとしてヨロけて転び動けなくなりました。
 すぐに近所のかかりつけ病院へ行くと、輸血と手術が必要とのこと。 私が仕事から戻ってすぐさま緊急病院へ行きましたが、「状態がよくない、手術のリスクが高い」との返事、2軒目の病院では輸血はしてもらえましたが同じ理由でできず。
 3軒目でも同様の返事でしたが、私達にはこのまま死を待つという選択肢はありませんでした。 少しでも希望があるなら最善の処置を、と強く訴えたところ「やってみましょう」の返事があり、すぐに手術の準備に入りましたが、15分ほどすると「心臓の動きが極端に悪くなりました、もうじきお別れです」との話です。
心電図の動きが不規則で弱く、意識もない様子です。 私たちが呼びかけると心電図に変化が見られます。 明らかに呼びかけに反応しています。 それも徐々に弱くなり、7日朝9時44分永眠、帰らぬ犬となりました、13年7ケ月の生涯でした。

      ↓ 我が家に来た日のむさし君、周囲の状況に興味津々です。


 出会いは、保護犬たちと里親候補の集団お見合いの席でした。
 生後2ケ月、雑種ですが優しい顔に澄んだきれいな目でこちらを見ています。
 数10匹の中で一番人気で15~6家族と競合しましたが、2回の選抜抽選で最後の3家族に残りました。
 3枚の封筒を引く順番をジャンケンで決め、我が家は2番目。 一番目の家族が外れのあと我が家の娘がひったくるように取った封筒が「当たり」でした。
 帰りの車の中であれこれ名前を考えた結果「むさし」に決まったのが昨日のことのようです。



 おとなしくてシャイで甘えん坊、ご近所の人たちにもかわいがってもらいました。 「むー君は幸せね」とか魚屋さんの奥さんからは「タレ目のわんちゃん」と言ってオヤツをくれたりしますが、信頼できる人からでないと食べません。
 仕事から帰ると玄関まで走ってきて飛びついてきます。 休日の朝のお散歩は私と、「お散歩いくよ」と言うと玄関に行って待っています。 海岸で遊んで帰りは自転車の前カゴの中に納まります。
 私がパソコンに向かっていると横におすわりして私の足を前足でチョンチョン突っつきます。 車でドライブの催促です。
 助手席に座り、窓にアゴをのせてずっと外を見ています。
 
 こんなかわいい家族の一員が亡くなってしまったのです。
 カミさんは毎日、声を出して泣いています。
 生活の中の一つひとつにむさし君の思い出があります。
 しばらくは辛い日が続きそうです。