私たちの会社のヨット部の設立50周年にあたり、部設立の創始者「加藤 透さん」のお墓参りに行ってきました。
高度成長時代を迎えていた1970年、新入社員を健全な方向へと考えた加藤透さんが社内にスポーツのチームを数多く立ち上げ、その中の一つとして「ヨット部」が江の島をベースに誕生しました。
以来50年の月日が流れ、社外・社内からの多くのご支援をいただき、470級・スナイプ級で国体・実業団・全日本選手権で活躍しオリンピック日本代表に選ばれるまでに、大型艇では相模湾で活動、会社を代表して国際レースに参加するまでに活動の幅を広げることができました。
私たちの活動にご理解をいただき、ご支援・ご協力をいただいた方々に厚くお礼申しあげます。
そして、その創始者の加藤 透さんの墓前に50年の節目の報告です。
「ありがとうございました」 「加藤さんのご遺志は次の世代に繋いでいきます」
場所は桜の名所「富士霊園」です。








只今、「50年史」を編纂中で、記念パーティも計画しています。
「旅終る 雲白し」は加藤さんご自身が刻んだ墓標の言葉です。
高度成長時代を迎えていた1970年、新入社員を健全な方向へと考えた加藤透さんが社内にスポーツのチームを数多く立ち上げ、その中の一つとして「ヨット部」が江の島をベースに誕生しました。
以来50年の月日が流れ、社外・社内からの多くのご支援をいただき、470級・スナイプ級で国体・実業団・全日本選手権で活躍しオリンピック日本代表に選ばれるまでに、大型艇では相模湾で活動、会社を代表して国際レースに参加するまでに活動の幅を広げることができました。
私たちの活動にご理解をいただき、ご支援・ご協力をいただいた方々に厚くお礼申しあげます。
そして、その創始者の加藤 透さんの墓前に50年の節目の報告です。
「ありがとうございました」 「加藤さんのご遺志は次の世代に繋いでいきます」
場所は桜の名所「富士霊園」です。








只今、「50年史」を編纂中で、記念パーティも計画しています。
「旅終る 雲白し」は加藤さんご自身が刻んだ墓標の言葉です。