長年、海外・国内のゴルフ解説をされた岩田禎夫さんか亡くなって7年がたちました。
米国、特に「マスターズ」のTV解説を35年も続けられたことでご存知の方も多いと思います。
2006年には「ジャック・ニクラウス」主催の「ザ・メモリアルトーナメント」でアジアから初めて「ジャーナリスト賞」に選ばれました。 その表彰式の模様を見てきた人に聞いたのですが、 18番グリーンにレッドカーペットが敷かれ、フェアウェイからブラスバンドが行進してきて式が始まり、多くの祝福のあとスピーチをされたそうです。
松山英樹選手が日本人として・アジア人ゴルファーとして初めて「マスターズ」で優勝したのは記憶に新しいところです。
優勝の瞬間、TV解説のN島T幸プロと中継アナはしばらく絶句したのち「岩田さんに報告を・・・」と涙ぐんでいました。
その岩田さんは江の島の我らの兄弟船「マウプティ」のオーナーでもあり仲間としてご指導いただいた方でもあるのです。
全国にファンも多く、今回も遠く鹿児島から「7回忌用」として鹿児島の焼酎が江の島に贈られてきました。
10月22日(土)、マウプティと私たちの艇2艇は岩田さんの散骨海面にお参りし、帰港後思い出のお清めをしました。
途中、富士山と江の島のシルエットがとてもきれいだったので、誰かが「遺影」を撮ろうと言いだし、歳の順に写真に収まることになりました。
7回忌とは関係ないのですが、今月は私の誕生日があったため、O蔭兄が朝釣り上げた「かさご」を煮つけにしてふるまってくれました。 もちろん一箸ずつ皆でいただきました。
多勢でワイワイとなりましたが、これもお清めとして許していただけると思います。
そしてその後は、思い思い「寿司政」へと流れていきました。
米国、特に「マスターズ」のTV解説を35年も続けられたことでご存知の方も多いと思います。
2006年には「ジャック・ニクラウス」主催の「ザ・メモリアルトーナメント」でアジアから初めて「ジャーナリスト賞」に選ばれました。 その表彰式の模様を見てきた人に聞いたのですが、 18番グリーンにレッドカーペットが敷かれ、フェアウェイからブラスバンドが行進してきて式が始まり、多くの祝福のあとスピーチをされたそうです。
松山英樹選手が日本人として・アジア人ゴルファーとして初めて「マスターズ」で優勝したのは記憶に新しいところです。
優勝の瞬間、TV解説のN島T幸プロと中継アナはしばらく絶句したのち「岩田さんに報告を・・・」と涙ぐんでいました。
その岩田さんは江の島の我らの兄弟船「マウプティ」のオーナーでもあり仲間としてご指導いただいた方でもあるのです。
全国にファンも多く、今回も遠く鹿児島から「7回忌用」として鹿児島の焼酎が江の島に贈られてきました。
10月22日(土)、マウプティと私たちの艇2艇は岩田さんの散骨海面にお参りし、帰港後思い出のお清めをしました。
途中、富士山と江の島のシルエットがとてもきれいだったので、誰かが「遺影」を撮ろうと言いだし、歳の順に写真に収まることになりました。
7回忌とは関係ないのですが、今月は私の誕生日があったため、O蔭兄が朝釣り上げた「かさご」を煮つけにしてふるまってくれました。 もちろん一箸ずつ皆でいただきました。
多勢でワイワイとなりましたが、これもお清めとして許していただけると思います。
そしてその後は、思い思い「寿司政」へと流れていきました。