2羽はつがいかどうか分かりませんでした。
3月8日の東京大空襲以来、関東一円に空襲があり、めぼしい都市は大きな被害を蒙った。我が中隊が爆撃を受けたのは、昭和20年4月4日の未明であった。4月3日夜、空襲警報が発令され、全員午後10時に校庭にヒューム管を埋めた防空壕に退避した。自分は週番士官のため、一晩中巡察していた。その日の空襲の目標は東京ではなかった。
爆撃の音も火の手も見えない。小学校の小遣い室にラジオを置き、情報室として情報係の下士官五人が詰めていた。午前3時、ラジオの情報で敵機大多数は鹿児島灘沖から退去したと伝え、午後4時には警戒警報に切り替えられた。まだ空は暗い。情報室の下士官五人は西側の土手に出て体操をしていた。自分は炊事場を抜けて土手近くに行ったとき、西方から飛行機の爆音が聞こえてきた。どうも聞き慣れたB29の爆音のようであったので、「敵機だ!退避!」と叫んだ。下士官達は「敵機は退去しました。友軍機でしょう。」といって平然としている。
地方から出てきた者達には爆音の種類が判らないかも知れない。その内に、ピューンピューンという音が聞こえてきた。自分はとっさに「爆弾だ!伏せろ!」と大声で叫び、周りの者達を伏せさせた。自分も小さな溝の中に伏せた。ズズーン、ズズーン、ドーンという爆撃音が十数発聞こえたと同時にパラパラと音を立てて機関砲弾が飛んできた。
最後の爆弾が約5メートル近くの水田に落ちたらしい。濛々たる砂塵の中に、ドスン、ドスンと落ちてくるものがある。水田の泥の塊がうなりを立てて落ちてくるのだ。乾いた固い地面が5~6センチもへこむ。「防空壕に退避しろ!」といって傍らに伏せている兵隊達を壕の中に入れた。(次回へ続きます)