イソシギの飛びものです。晴天でちょっとコントラストが強くなりました。
昭和20年5月20日には、横浜大空襲があった。午後2時頃空襲警報が発令され、部隊全員地下壕に退避した。B29が2~3000メートルの低空を悠々と五機編隊を組んで続々と侵入してきた。その数は4~500機に達したものと思われる。我が方の防空戦闘機は数機しか迎撃しない。高射砲隊が弾幕を張っても効果がない。また東京がやられるのかと思ったが、その日の目標は横浜であった。約一時間後横浜の上空に黒煙が立ち込め、空一面に拡がり、昼なお暗い状況になった。遠くの方から爆撃音が聞こえる。入れ替わり立ち替わりB29が続々と侵入してくる。帰る機も悠々と退去するが、我が部隊ではどうすることも出来ない。
近くの鹿骨と南砂町に高射砲陣地があり、花火のように砲撃しているがなかなか命中しない。南砂町の部隊の方が高射砲の性能がよいのか、命中率もいいようだ。大きな鷲のようなB29の翼の付け根部分にポッと赤い玉が見える。その小さな赤い玉が見る見る大きくなり、黒煙を引くようになる。そのまま退去するものもあるが、中には大きな火の玉となり、爆発して墜落するものもある。退避して黒煙を吐きながら、部隊の上空を通る際、ポタポタと油を落としていく敵機があった。あれはそろそろ落ちるなと思っていると、突如翼を翻して横浜方面に向かって飛び、燃えさかる街に突っ込んで自爆した。敵にも自爆する勇気があるのかと思った。
被弾した敵機は房総沖に出て海に落ち、潜水艦が乗員を救出する方法を取っていたので、敵地に突っ込み自爆したのは一機だけだった。浦安の海岸に墜落した敵機の操縦士が女性だったという噂が流れたが、おそらく若い青年だったのであろう。その日のうちに撃墜された敵機は三機まで視認できたが、黒煙を吐いて退去した数機も海上に墜落したものと思われる。横浜の被害は甚大で、犠牲者も数万人は出たらしい。黒煙は夜まで続き、空一面赤く染まっていた。