伯父が残した随想の中に、綿密に当時のことが記録されており、将に実体験なので、当時の状況に想いを馳せるには絶好の記録と思いこのブログに紹介することとした。旧仮名遣いのため、読みづらい点はご容赦願いたい。5項目に分けて掲載します。今回が最終回です。
静かな山村にも昼と夜毎日二回B29が偵察のため、高空で来襲した。昼はきっかり正午、唯一機のみであった。キラキラと銀翼を輝かせながら、時には白く長い飛行機雲を青空にたなびかせながら、一万メートル以上の高空を飛行している。歯がゆいが、豆鉄砲では届かない。小憎らしいほど、悠々と飛んでいる。
ある晩、十時を過ぎた頃、空襲警報が鳴った。中隊に待機を明示、指揮班の連中と空を見上げていた。五、六機が編隊を組んで、北の方向へ飛んでいく。友軍機も残り少ないためか、迎撃しない。丁度、中隊本部の真上を通ったとき、「ドスン」という音がした。20メートル位離れた庭先のようである。「時限爆弾かも知れないから暫く様子を見よう。」と部下に伝え、爆発の時の用意のため伏せさせた。T軍曹に見に行けと命じても、また勘弁して下さいというであろう。
このまま、爆発するのを待つのもどうかと思案していた。そのとき、N家の主人がノコノコと、それらしい方向へ一人で歩いていく。「危ないから待った方がいい。」と声を掛けたが、そのままスタスタと音のした付近に行った。一同気が気でなく、無事であってくれればよいがと願うばかり。突然、Nさんが大声を上げた。「つるべの石が落ちたんだんべぇ!」タイミング良く落ちたものだと、一同張りつめた気が緩んでホッとした。
昭和20年8月15日、終戦の詔勅が下がり、我が国初の敗戦を経験した。毛呂山の伐木中隊を引率して原隊に帰り、大部分の兵を召集解除し、残存部隊を纏めて、川越に移り、臨時憲兵を命ぜられ、丸腰のまま、付近の治安の維持に当たらせられた。その任務も終わり、終戦から丸一月後の9月15日に漸く復員した。