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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

函館の思いで(3回シリーズその2)

2013年10月10日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 入校式も何とか無事に終わったが、暫くホテル暮らしをするつもりが、寒さに耐え切れず、直ぐに川崎の自宅に戻り、再度、防寒対策をして、生活用具を車に乗せて、新任地に旅立った。途中、東北道を下り、仙台を過ぎて岩手に入る。車上から見る岩手山が雪を抱いて美しく光っていたことを思い出す。まさかの坂はよく滑るというが、このときは、三年後の転勤で岩手に赴任するとは思ってもいなかったが、函館の次は岩手の住民となる。

 函館は北海道の中でも職員組合の結束が強く、因みに、労働協約で決まった非組合員を除き、組織率は100%であった。うわさ話として、また、本部でのブリーフィングがあり、それらしきニュアンスは判っていたはずであったが、連日の組合幹部と組合員に対し4名の管理職との支部交渉・集団交渉が行われ、日々エスカレートする紛争まがいの挑発に、一体全体、この組織はどうなっているのか、別世界に来たようで、今思えば良く三年間も持ったものだと思っている。幸い同時に赴任したM訓練課長と庶務課のベテランI係長との協力体制があり、オフタイムには気晴らしが出来たことが何よりの救いであった。
 北海道には関連する施設が7カ所あり、函館の施設は道内全体の組合における拠点施設となっていた。

 この時期、大幅な事業転換(道立の訓練施設との競合を避け、中卒の養成訓練を廃止し、失業保険受給者を対象とした職業転換訓練課程と、在職者を対象とした向上訓練課程にシフトする方向が中央の労使協議で決まっていた。開発援助課の主たる業務はこの向上訓練を企画立案し、実行する業務である。函館は養成訓練を最後まで温存した施設であった。)が全国的に行われ、それに対して反対運動が持ち上がっていた。道内施設の視察のために訪問した理事長を函館空港で追い返したという汚点なのか組織人としてあるまじき行為が行われた施設でもある。視察には労使関係の打開の糸口を探ることにあったようであるが、空港で追い返されたのでは解決どころか、労使関係をますます悪化させる結果となった。
 本部でのブリーフィングは特例であったが、担当が言葉を何度も濁した理由が理解できた。さぞかし、本部に対し、印象を悪くしたことであろう。

 施設のトイレまで貼られたビラを剥がしたことが原因し、前庶務課長が組合員から糾弾されたようで、その後、病を併発し、故郷の秋田へ転勤となり、病が高じて他界している。
 そのことも間接的に関連していたようであったが、赴任する前のことなので詳細はよく判らないことも多い。(次回へ続きます)