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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

函館の思いで(3回シリーズその1)

2013年10月09日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 北海道の冬は気温が低く、連日雪の日も多く、温暖な気候になれた東京暮らしにはそこで暮らしてみないと判らないことが多い。財団法人に3年間出向していたが、開発援助課長の内示が平成元年3月の下旬、本部の人事部からあり、函館にある職業訓練校へ赴任することになった。家族の状況から単身赴任になったが、「入校式には是非出席してほしい、また、前任者との引き継ぎを現地で行う。」との庶務課長からの電話連絡で、取り急ぎ、入校式二日前に式服と数日間ホテル暮らしをするための着替え等鞄一つで、羽田から全日空で出向いた。今から二十数年前のことである。

 丁度、土日に当たっており、函館空港からはタクシーに乗り、湯ノ川の温泉宿に1泊した。函館は時々雪がちらついていて、路面には所々残雪が残っており、桜が咲いていた東京との違いに驚くと共に、やはり、函館はまだ冬なのだと納得した。体感は、明らかに10度は低い状況であった。
 翌日、奈良へ転勤する前任者の訓練課長と月曜日の入校式での段取り等、短い引き継ぎを行った。前任者といっても三月までは訓練課長が開発援助課長を兼務しており、正式には開発援助課長の自分が最初の管理者であった。従って、課に所属する職員は決まっていたが、事務担当者を除き、全て訓練課職員が兼任となっていた。前任者を見送り、わざわざ休日にもかかわらず施設の施錠を開けてくれた舎監にお礼を述べ、宿舎の入居手続きに向かった。

 宿舎は雇用促進事業団が建設した移転就職者用住宅で、二棟80世帯が入る4階建てRC構造の2階で2DKの部屋であった。単身赴任者の部屋の広さとしては十分で、生活に必要となる用品をリストアップし、管理人に入居の日程を伝え、大学で同窓であったT君(職員組合の支部長をしていた)と連絡を取り、夕食に誘う約束をした。その日もホテルに戻ることにした。
 T君は、札幌市出身で、根っからの道産子である。学生時代はさほど親密な付き合いをしていたわけではないが、今後のこともあり、また、いろいろと教わることも多いので、声を掛けたわけであるが、会食をしながら、何か奥歯に物が挟まった感じがして、別れ際の一言が将に感じていた違和感の答えであった。「職場内でも外部でも管理職との会話や会食をすることができないことになっている。」まさかの答えであったが、その後徐々にその意味が明確になる。残念ではあったが、三年間の赴任期間の間にこの種の会食は、一般職員とした唯一のものとなり、最初で最後であった。(次回へ続きます)