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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

函館の思いで(3回シリーズその3)

2013年10月11日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 古くは道内で最も労使関係がスムーズにいっていた施設であったが、一度拗れた労使関係は、そう簡単には修復できるものでなく、自分が赴任した後も、様々なことで諍いが途切れることはなかった。組織は労働省に関係していたため、函館の公共職業安定所とも深い繋がりがあったが、人事の面でも良好な関係が長年継続していたが、労使紛争が契機となり、組織間の断絶まで発展していた。
 その修復には多くの努力と時間が必要であった。幸い在任中に職安との関係も良好となり、函館での仕事がほぼ完遂することができた。

 函館は観光地として多くの景勝地を持つ。有名なのは函館山(別名臥牛山)から望む夜景で、全国一位とも東洋一位ともいわれ、宝石箱をひっくり返したような景観は実に見事である。五稜郭や四稜郭(五稜郭を守る位置にある)に代表される函館戦争の遺跡、海鮮市場で有名な函館朝市・自由市場、湯ノ川温泉・谷地頭にある公共温泉設備、旧市街地には外人墓地や、ハリストス協会、異国情緒と歴史が満喫できる旧公会堂等々、道内の人のみならず、全国から憧れの的となり、今でも観光地として別格の存在である。

 四十代半ばで死去した父親が生前、日ロ漁業の社員であった。丁度、鮭ますの母船式漁法(独航船が捕獲した魚を缶詰や冷凍に加工する設備を持ち、独航船の燃料・生活用具一式や病院設備をも完備している)が誕生した頃で、函館を基地として独航船を300隻率いて北洋へ航海に出ていた。
 父親がかつて関係した函館との縁を不思議に感じていたが、更に、職場の開発援助課に所属していた嘱託のH氏は、訓練施設の嘱託になる前は日ロ漁業函館支社の事務長をされていたそうで、銀洋丸という3000トンもある母船の船団長であった父親との面識もあり、船団長となった経緯について当時のことを自分に話してくれた。その後何度かH嘱託と父親が通っていたという松風町のバーに飲みに行った。人の出会いと別れは何処かで決められているのか、今でも不思議でならない。(このシリーズ最終回です)