多摩川に植栽された河津桜が咲き始め、花の蜜を求めてメジロが来ていました。
平成27年3月2日
誰しも何れ訪れるこの世との別れは生前にその準備を行っておく必要があるといわれている。そういう自分もことさら深く考えたことはない。この歳になって知人や親戚の不幸に接する機会が増えたように感じるが、卒寿を迎えた叔母が一人住まいの自宅で倒れ、幸いに、知人が訪問した折りに異変に気づき、急遽救急車で、地元の広域病院へ運ばれた。発見が早かったせいか、大病には至らずに済んでいるが、予断は許されない。
数日前に従兄弟に当たる子息からの電話では半身に麻痺が残り、脳の出血は完全には除去できないため、血液が脳を圧迫していることが原因してか、記憶や言動に若干の異常があるとのことであった。この先、しばらくの入院生活が続くことになるが、完治できることを期待している。既に叔父は他界していて、従兄弟がたまに実家へ帰るが、完治した場合であっても車いすの生活が続くことになるであろう。
叔母は以前から現在の自宅を終(つい)の棲家としたいといっていた。万一病となっても広域病院で最後を迎え、周りの者に迷惑を掛けたくないと気丈であったが、本人の言葉通りに進んだとはいえ、親戚として、どうしたものかと推移を静観しているところである。 地域には地域の持つ様々な制度の中で、最善を尽くすことが求められ、対応していることは承知しているが、大切な点は周りが余り口出すことは控えるべきで、どのような支援が出来るのか模索中であり、限られた選択肢しかないのも事実である。
過疎化していて人口が急減している地域も多くなっている。都会においても独居老人が増え、誰も看取ることがないまま他界する人もいる。終の棲家は一人では暮らせない実態がある。喩え、リホームをして、車いすでの生活が出来るように改築したとしても、一人住まいでの車いすの生活では限界がある。公的な介助や支援制度が充実してきたとはいえ、ホスピスのような最後まで看取ることが出来る施設に入らない限り難しい状況である。
以前のブログでは、いざというときのために準備をしておく必要性を紹介したことがあったが、具体的に何をしておくべきか改めて模索中である。人それぞれ考え方は異なるが、残された者への思いは誰しも同じと考え、頭の整理のために書き出してみることから着手しようと思っている。