鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

彼岸(ひがん)の墓参り

2015年03月21日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 春分・秋分の日を中日とし、前後各三日を合わせた七日間を言うが、仏教では煩悩を脱して悟りの境地に達することの行事を行う。そろそろ今年もお墓参りに行く予定でいる。幸い墓地は自宅から車で、15分以内で行ける場所なのでさほど遠くないが、土曜や日曜に重なると参拝客も多いことから早めに行くことにしている。

 

 今年は暖かな日が続いているので、ソメイヨシノ桜の開花も早まるかも知れない。花見客が来るのはまだ早いが、見事な桜のアーチがそこここにあり、花見にも良い場所である。最近は市営の墓地への利用が増えているようで、開発も限界のようである。幾つかの墓地は雑草で埋まってしまい、見る影もないが、墓掃除や墓参りに来ることが出来なくなったなど何らかの事情があるのであろう。高齢者も見かけるが、さほど高い丘ではないが、やはり長い坂を上がり、下るのも容易ではないと思われる。

 

 継承する者が居なくなれば、無縁墓となり、管理している市へ返すのであるが、希望者が増えれば、墓も数が増える。墓を設置できる土地には限界があるため、何れはパンクする。高層化するか地下へ埋葬するかとなるが、どちらにしても工事が伴い、工事が決まったとしても、場所柄更地にするには既存の墓があるため、簡単ではない。悩ましい話である。集合的な管理をどのようにしていくべきか総合的な見地に立って考えていかなければならないであろう。

 

 墓地の在り方は仏教徒といえども各宗派があり、葬儀の仕方等は別である。結婚すれば夫婦とも同じ宗派となるのが一般的で、どちらかの宗派にする場合や、本来個別なので、宗派別に対応することもある。少子化時代に入り、地方の出身地で一生涯その地で生活していければ問題もないが、そのような家庭は少ない。地方では過疎化が進み、檀家も少なくなり、廃寺がでる状況にある。宗派を統合することも難しいが、寺も跡取りが無くなれば地方でも永代供養をする寺が限られる。宗派を越えた寺の集合化を何れは手を付けなければならないかも知れない。人口が急増している都市部においても、墓地の問題は避けて通れない課題である。

 

 数年先には第一次ベビーブームの子供が70歳を迎える。今後、暫く高齢者の他界が増える傾向にあり、現在でも墓地の確保は困難になっている。民間、公営を問わず、土地を墓地として確保できても購入価格の上昇は避けられない。当時いわれていた「墓にはいるまで競争時代が続く」という話は現実味を帯びてきた。