時々飛んで空中の虫を捕獲しますがこれを捕るのは至難です。
行動の規範として道徳感や善悪の基準のことであるが、道徳とは何か、善悪の基準を何に求めるべきかを通して社会的存在として人間の在り方を研究するのが倫理学である。倫理感、倫理的などの言葉で表すが、倫理をわきまえて行動するかどうかはその社会の成熟度によって、また、時代背景によっても変わってくる。道徳は社会生活の秩序を保つために一人一人が守るべき行動の規準のことである。
学生時代に担当の教授から、「教養がないなー、そんなことでは娑婆では許してくれないぞ!」などと叱られたものであるが、今になって言わんとしたことがよく分かるようになった。要は倫理感に乏しかったのかも知れない。社会の規範は、その社会にはいることによって、自ずと理解できるのであるが、最近の世相は倫理に欠ける凶悪な犯罪が止むことを知らずで、政治家の政治資金規制法を逸脱する行為、高齢者を狙うオレオレ詐欺や振り込み詐欺、ストーカーやDV(ドメスティックバイオレンス)、誘拐、薬物依存による交通災害等々、数えるときりがない犯罪は、何れも社会常識からかけ離れ、利己的な行為であり、全く倫理に欠ける社会人として恥ずべき行為である。
倫理と良く混同されるのが論理である。論理学では、正しい判断や認識を得るためにものの考え方のパターンを研究する学問で、与えられた条件から正しい結論が得られるための考え方の筋道、すなわち論理を展開することである。永田町の論理、論理の飛躍等と使われる。また、現象を合理的・統一的に解釈する上で認められる因果関係のことも言う。
論理的に物事を考える方法を論法と言うが、よく使われる三段論法に代表される。論理的と言えば、前提とそれから導き出される結論との間に筋道が認められて、納得がいく様子のことである。日頃から文章に接することが多いが、物事を直感的に捉えることは大変大事であり、その通りなのであるが、果たして発信する側の意図まで十分にくみ取っているかは疑問である。
時間が許せば、論理的に考えてみると良いと思う。目的は何であるか、誰に向けての発信か、前後の文脈から論理の飛躍がないか等4W1Hで検証する必要がある。更に全体を通じて起承転結が明確で有れば申し分ない。