居ないとなると寂しいのですが、残念ながら今年は雪上の写真が撮れませんでした。
季節を表すのに地中の虫が冬眠から覚め、地上に這い出してくる日のことを啓蟄(けいちつ)といっている。何とも微笑ましい。地域によっては積雪が多かったために、雪下ろしや雪崩など、雪国ならではの対策に始終していて、それどころではないのかも知れないが、春の気配を感じることは出来る。
啓蟄は二十四節気の一つで、1年間を春夏秋冬の季節に分け、それを3月に分ける。更に一月を半分(15日)に節気と中気を割り当てている。中国伝来の陰暦で、季節を区分するために用いていた。我が国でも季節に関する天気予報等で使われている。啓蟄は、太陽暦で今年は3月6日であり、年によって数日前後する。
二十四節気の始めの節気は正月節で、二月は二月節啓蟄、三月節清明などと名前が付いている。中気は正月中雨水、二月中春分、三月中穀雨である。この二十四節気は太陽の位置を地球の定点から見た場合に、春分を0度とし、黄道上を15度ずつ24等分すると360度で一周するため、1年を二十四節気とするのは合理性がある。
ノンビリしていると感じるが、啓蟄を眠りから覚め、活動開始の契機として、仕事を始めるという意味もあるようで、それは兎も角、我が国の会計年度や学校制度の春に新学期が始まり、3月末学期を終える3学期制は、正月を新学期としなかったのは、何か意味があるのであろう。四季と人間の活動サイクルが関係しているようで、新学期を啓蟄から受け入れ準備を始めると丁度4月が新学期としたのは偶然だけではないようである。
自然界の1年のサイクルは体調にも影響し、時計がない時代においても、体内時計があり、生誕や死亡、恋愛、日々の睡眠や生活リズムなど、人類誕生から太陽の日の出、日の入り、月の満ち欠けと多いに関係があるようである。陰暦がそのリズムに合っているといわれ、現在でも例えば、魚種による捕獲時期、樹木の伐採、種まきの時期や刈り取りなど漁業や農業には欠くことが出来ない。
病は気からというが、精神的な意味と捉えがちであるが、自然のリズムを基にした二十四節気が中国で誕生し、長い歴史を持っていたことを考えると自然のリズムに戻すことが病から逃れ、健康を取り戻す秘訣のように感じている。あながち、二十四節気は現代に使えないと排除する必要はないのかも知れない。