鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

お返し

2015年03月16日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 バレンタインデーに孫から貰ったお手製のクッキーやチョコレート、そのお返しの日が14日という。そのいわれはよく分からないでいるが、女房の意見では「小遣いでよいのでは」といっていたが、昨日孫を連れ出して、映画鑑賞に出かけてくれた。そこで孫の意見を聞いてチョコレートをプレゼント用に購入してくれた。自分はメッセージカードに一言書いて孫に手渡した。

 

 いつも思うのであるが、お返しは意外と気を使うものである。頂き物はありがたいが、そのお返しは、世間相場なるものがあっても、相場自体が示されているわけではなく、双方の関係が関係するので、その都度悩むことになる。誕生祝いや、結婚式のご祝儀は一方通行なのでさほど気を使わなくても済むが、毎年欠かさず送っているお中元やお歳暮は同じものというわけにはいかず、大量に送ってくる分厚いカタログを見て、選ぶのも億劫になってきた。

 

 欠礼の葉書も送られてきても、時間が過ぎ、その時期になると忘れてしまい、同じ事が繰り返される。上司などでは、退職後3~5年は続けることにしているが、ご健在であれば、先立たれてしまうまでと思うところである。親類も多くが無くなり、それを機に欠礼することにしているが、これも双方の関係の深さであろう。

 

 プレゼントはいくつになっても嬉しいもので、頂いたときの感動を大切にしている。送る側であっても、受け取って頂く相手にとって、意外性や、必要な物等を考える余裕は人生を豊かにしてくれる。余り律儀に考える必要はないのであろう。プレゼントは、本来、お返しを期待するものではないのであろう。宗教性が裏にあり、喜捨することは仏教、イスラム教やキリスト教世界では日常行為として定着している。

 

 プレゼントが形を変えて、災害義援金や、ボランティア活動に通じることは、人類の知恵を凝縮した行為である。東日本大震災時には生活必需品に至るまで被災地に送られた方が多い。そこには宗教的な意味ではなく、自然発生的に我が国が誇る相手の身になって出来ることをするという相互扶助の考え方であった。

 

 戦後、70年を迎えようとしている。戦争による被災地で被害に遭われた民間人への戦後補償という考え方が新たに発生している。戦争がもたらした国難から脱した今、生き残った者の意識がそこへ至ったことは大変意義深く、「お陰様で」という想いは生存者の被災者へのお返しであり、美徳といっても良いであろう。