今日も尾長の泣き声で、カメラを取り出し写真を撮りましたがブッシュの中や雨が降っていたので画像が悪いのはご勘弁ください。幼鳥が来ていました。
文部科学省の中央教育審議会(中教審)大学院部会は7月2日、世界最高水準の教育力と研究力を備えた「卓越大学院」(仮称)の創設などを盛り込んだ審議まとめの素案を示した。
上記は本日3日に日経朝刊に載った記事である。この構想は6月に政府が示した日本再興戦略の改訂版として大学改革がある。その大まかな内容は人工知能やビッグデータなどを研究し、新産業の創出に繋げることが期待されているという。
それにしても奇抜といえる名称であり、現在は仮称で、変更される余地はあるものの、従来の大学院名称とはイメージ的にも突出して、違和感を覚え得ない。紙面に戻って、この提案の背景は、従来、何度か取り上げた、大学、大学院の現状の問題として捉えられる。
すなわち、素案では近年の我が国の大学院教育について、「優秀な若者が博士課程に進学せず、国際競争力の地盤沈下に繋がりかねない懸念がある」と指摘している。そして、「高度な専門性や倫理観を元に新たな価値観を産み出してグローバルに活躍出来る人材を育成することが喫緊の課題だ」としている。
こうした認識の上で、大学院改革について、(1)体系的・組織的な教育の推進と学生の質の保証(2)産学官民の連携や社会人の学び直しの促進(3)法科大学院など専門職大学院の質の向上・・・・といった7項目の方向性を提示した。筆者は総ての内容を把握していない。
以上は記事に沿って書き出したもので、内容を触れたが、違和感は否めない。現状の打開に直接結びつくとは思えず、付け焼き刃的な発想は、法科大学院の失敗が何よりも端的に表している。机上での空論は、仕方ないにしても、現状分析の多角的な検討が成されていたとは思えないお粗末な内容ではないであろうか。
アカデミックな頂点に位置する大学院が、果たして現在の世界の技術動向にどれだけ役に立つ成果を生んできたかを考えれば、このような牙城は不要の長物で、権威ばかりを強調してきた砂上の楼閣に過ぎない。勿論、数パーセントは評価に値する場合もある。しかし大多数の傾向であることは間違いないであろう。博士やドクターを否定はしないが、一度得た資格が一生役に立つ時代ではなく、技術士においても他の国家試験においても同様である。それの資格取得が契機となって、専門分野において、深まり、高まる保証はどこにもなく、むしろこのような制度自体が崩壊の危機に瀕しているのである。