いつ見ても神秘的です。
誕生日をお祝いする風習は多くの国で実施されている。習慣となっているのであろう。年齢は1年経つと1歳増えるわけで、何もせずとも時は経過する。誕生日に限らず、人生の節目というか、自らは60歳の最後の誕生日を迎えることにとなってしまったが、いよいよ高齢期に入ることになると思っている。同じ1年間の起点を元旦に求める生活のリズムや在職時は会計年度である4月1日が仕事のサイクルの始めと考えていた。
子供の頃は誕生日が待ち遠しく、家族から祝福され、プレゼントを貰うのが楽しみで、ハレの日であった。食事も普段とは異なり、豪華であったし、おめでとうといわれるとそれなりに嬉しかった記憶がある。健康で1年間を過ごせたのは決して自らの精進ではなく、親であり、学校であり、周りが生活のリズムを作ってくれていた。
しかし、退職し、両親はいなくなり、兄弟も別々の生活で、親戚も遠のくと、自らの生活ペースは自らが作っていかなければならず、強制されないが、何故か心許ない生活となる。むしろ自分のことはどうでもよく、子供や孫に心が移る。幸い、この時期に、孫や、子供の誕生日が重なる。もはや子供や孫にプレゼントして喜んでもらえるのか、欲しい物など聞いてみないと分からない。思いの糸は既に離れていっているのであろう。
特段の感激が無くなったのは誕生日の意味がハレではなくケに変わってきているのではないであろうか、冥土への1里塚では無いが、能動的な生きる楽しみが失せ、生かされているという受動性に考えが変わってきたことに気づく。後、何回の誕生日を迎えるかと消極的な思いが強くなるのは自分だけではないかも知れない。夫婦揃っての断捨離は、不要なモノの整理は、生活の便利さに享受した証でもあるが、世代が変わることへの一抹の不安と使えるモノであっても、頭に浮かぶのは残しても誰が使うのかという、使う相手探しを思ってみるが、誰もいないことへの寂しさが同居する。いつも中途半端になり、断捨離を止めてしまう。
一方では、年を経るに従い、自分がこの世に生まれた証とまで言わないが、生き様について残したいと思う衝動に駆られる。ブログを始めたのもその前兆があったのかも知れない。ブログは勝手な発言といえばそれまでであるが、自分が経験した事柄が、不特定多数の方にとって、何らかの役に立つかも知れないという思いがあるのも事実である。誕生日を迎え、つぶやきにも値しないことは分かっていても、生きているから出来ることと思っている。