鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

耐暑対策

2015年07月27日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 学生時代に教生で神奈川県内にある職業訓練校へ1ヶ月間行っていたことがあり、当時はまだ養成訓練を実施していた時期で、訓練生は中卒と高卒が混在していた。雇用保険受給者や在職者を対象としたのはその後である。当時でも一部在職者を対象とした受託生訓練が行われていて、日産から若手の技術者が在籍していた。職業訓練は当時年間1800時間を訓練していたため、夏休みはわずか2週間足らずであった。勿論土曜日も午前中の訓練があった。

 

 大学は休みであったが、3年次には教生として全国の職業訓練校へ派遣される。実務実習という名で呼ばれていたが、行き先は学務課からの一方的な指示であった。丁度真夏の時期で、耐暑訓練が計画されていて、大山の雨降神社までの往復であった。多分、最寄り駅までは交通機関を利用したと思うが、若かったせいもあり、無事登山を終えた。当時は装備など無く、実習服に安全靴のいで立ちであったが、男坂が結構急勾配であったことを思い出す。さすが山頂は涼しく、一時の清涼感を満喫した。

 

 現在ではそのような行事の実施は行われていないが、日頃の訓練とは異なる体験は、暑さも耐暑対策として行われていたのだろう。現在ほど暑くなかったのかも知れない。熱中症などという言葉もなく、日射病と呼んでいた。水も極力飲まない方が疲れないなどと誠しやかにいわれていた。水筒は持っていたと思うが、飲料を買うなど無かった時代である。握り飯を山頂で食べたと思う。

 

 職業訓練校は、現在では雇用能力開発促進センターなど名称の変更はあったが、当時から文部科学省の管轄ではなく、厚生労働省であるので、知らない方も多いと思うが、労働省の特殊法人であった、雇用促進事業団が全国に100施設を運営していた時代である。都道府県においても対象は異なっていたが、専修職業訓練校という名で実施されていた。現在も継続していて、地域の技術者養成をメインにして実施されている。

 

 地域の小中学校の冷房設備は殆どが完備されていて、快適な環境の様に見えるが、当時のことを考えれば、夏には夏の対応があり、ことさら快適環境がベストではない。古い考えといわれそうであるが、環境の状態を十分考えた中での経験は将来に多いに役立つ。地域の早朝ラジオ体操が消えて久しいが、真夏を適切に乗り切ることの大切さを改めて思った次第である。