鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

大工頭領宅に訪問

2015年07月08日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 暫くご無沙汰していたが、大工棟梁が亡くなって、はや2年半が過ぎてしまった。今年は3回忌であろう。既に済ませたのかも知れないが、遺影を見るとまだ健在の様に感じ、気さくな人柄が偲ばれる。今日は七夕、あいにく曇りで、梅雨前線は停滞したままである。天の川をはさんで、牽牛星と織り姫星が出会うという天空に広げられるドラマである。

 

 元気な奥様は未亡人となり、少々痩せた様であった。ご自宅の近所に農耕地を借りて、家庭菜園ならず、市場へ出荷しているという。野菜に巻いた帯はそれを物語っていた。農家出身と聞くとなおさらであり、日焼けした顔を見ると連日精を出していることが分かる。以前も棟梁が健在だった頃自宅に野菜を山ほど持ってきてくれた。ご自宅の周りは個人の住宅地であり、畑は50メートルぐらい離れていて、小高い丘の上にあり、十分な陽が当たるのであろうか、どれも立派に育った野菜である。

 

 経験者なならではの技で、適切な時期に与える肥料や野菜の生育には慣れているのであろう。健康にも良いし、畑にはグラジョウラスが満開であった。花卉も楽しみ、平素お一人の生活であるが、楽しんで畑仕事に精を出している姿には、ご主人を亡くされた未亡人の淋しさはなかった。

 

 棟梁が使用していた大工道具は、倉庫に山積みであったが、工務店の若い衆に処分をお願いしたそうで、多忙の中トラックで取りに来て貰ったとのこと。職人は自分の道具には拘りがあり、長年使い込んだ鉋や電動工具は、特殊な物が多く、故人にとっては思い出深い物であっても、残された家族にはその想いは伝り難い。今になって、ハンマーやのこぎりなどが必要になることもあり、少しは残しておくべきだったと悔やまれていた様であった。

 

 引き取った若い衆は、見繕って大工道具を遺品として持ってきてくれるとの話があったが実現していないそうである。若い衆は忙しいからだろうと奥様は呟いていたが、身近に置きたかった様である。道具への思いは、誰しも特別な思いを持つものである。日本人に限らないと思うが、毎日使う道具は、持ち主の魂が乗り移るとの精神性がある様だ。物を大切に使うことだけでなく、物にしてみれば、大切に取り扱われることによって、そこには人格の様な感情移入がなされるのかも知れない。