一時の濁流からだいぶ澄んできた水流を撮りました。
数日前の日経新聞教育欄に、「大学改革は学生側の視点で」「国の過剰介入が問題」と題して新潟国際情報大学学長平山征夫氏の提言が載っていた。編集者の視点は平山氏の主張が過激であると指摘している。国側の矢継ぎ早の改革攻勢に大学側が疲弊しているとも述べているが、立場上中庸を取っていて、ポイントを突いていない気がした。編集者の社としての記事掲載基準なるものがあると思うが、掲載前にもっと精査すべきであろう。
自らは実務を行う大学側の詳細な実態を十分把握している立場ではないが、新潟県知事をも経験した平山氏の論は行政経験をした者の発言としてはいささか場違いな気がし、改革に取り組まざるを得ない状況認識の甘さは批判の矛先が間違っているといいたい。問題の根底は、何度となくブログで取り上げてきた背景があることで、大学ばかりではなく学校教育全体に及ぶ制度改革が、喫緊の課題となっているからである。
大学専攻コースの問題、少子化の問題、就職のマッチングの問題、教員の指導力不足、企業ニーズとの遊離等、どの問題も根が深く、所管の文部科学省も現状を改善するかの模索が続いている。国民の税金を使っての国立大学への運営費交付金、私立大学への経常費助成の補助金が投入されているので、それに見合う成果は要求されるのは当然である。教育の目的が大学の自治だけではないこともいわずと知れた事実であり、今までに改善への自助努力が形となって現れない以上、所管である行政府の改革指示は攻勢を期すのは至極当たり前のことで、反論の余地はないと思われる。
大学は企業と同じとまではいわないが、採算が取れなければ、倒産せざるを得ない。国立大学も法人化されているし、私学に至っては、原則、学校経営が立ち行かなければ、店をたたむしかないであろう。一般企業においては特別の分野でなければ助成金や補助金は支給されないし、支給額も規模によって助成率が異なっている。要はニーズに合わなければ、利益は得られないのは世の常である。
学生の視点を無視することは出来ないのは、従来も同様で、今の段階で、それを表に出すことも説得力に欠けるのではないであろうか、また、定員を削減することで、生き残りを図る算段を述べられているが、これについても、大学生の受け入れ側が世の中のニーズに対して敏感でなければならないのは、学生側の視点を無視することではない。学生側が企業を選ぶのではなく、企業側が自社に必要な学生を採用するのである。
基本的な認識に欠ける暴論は、過激ではなく、百害有って一利無しの提言に他ならない。