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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

漆工作業その9

2015年07月07日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 最近ふと思うことに、簡単な作業や単純化、合理化による生産工程は、効率化と採算性をベースに一大革命を起こし、誰でも、どこでも可能と思われるユビキタス社会を構築してきた。情報社会は究極に向かおうとしているが、このことは、便利さを追求するベクトルは必然であるとの認識はあるものの、反面、おもしろくなくなってきた。未解決なことを探し、解決方法を模索し、挑戦するという、人間にとって、本来持っている探求心を求めることを否定する世の中となり、その行動が見つからなくなってきたからである。

 

 自分が、昔取った杵柄に心が向かうことについては、上述したことと無関係ではない。仕事等に拘束されることが無くなった現在、残っている時間はそう多くはないと思うが、便利さとは逆行するかも知れないが、簡単でなく、複雑で、忍耐力がいる作業に回帰する渇望の様な思いが湧き起こってきた。漆工は日々のちょっとした作業の積み重ねが大作を生む。

 

 漆工作業は将に自然が生んだ技巧であり、人の手による作業の連続である。自分にとっては丁度あっているように思える。時間を無駄にするなといっても、無駄な時間をどのように過ごすかは、それぞれによって異なっても良い。個人に任された自由に使える贅沢でもある。趣味に使う、感性を高める、知らない土地や、行ったことがない観光地を旅行する、人によってはグルメに向かう者もいるであろう、家庭菜園も魅力的である。対象は何でも良いのである。時間を過ごす方法は、誰にも強制されず、また、束縛されず、迷惑をかけない究極の自己実現だと思う様になってきた。

 

 漆工は芸術作品を作る事だけが目的ではない。芸術作品かどうかを評価するのは他人であるが、自分が満足出来ればよいのである。自己の至福の時間は己でなければ体験し、実感出来ないことである。最近、紙上を騒がしている話に3Dプリンターがある。ドローンの使い道以上に、多方面の新製品開発に無限の可能性を持つといわれている。

 

 3Dプリンターの発明は、確かに凄いことである(強度は兎も角として、拳銃を3Dプリンターで作製し、実射したという者が現れた。銃砲刀剣類不法所持で捕まった)と思えるが、そこには、複写するべき物があって始めて制作が可能となる。拡大も縮小も可能である。メカニズムは、多方向から多くの写真を撮り、ディメンジョン毎の位置情報をデータとして記憶し、それを樹脂等で再現する物であり、コピーを取ることの延長に過ぎない。自分のオリジナルではないのである。