鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

釜石三陸博(3回シリーズその1)

2013年10月24日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 岩手県は、新幹線、空港、高速道などが整備され、21世紀へ向けて一層の飛躍を図る絶好の機会を迎え、地場産業の育成、観光の振興、海洋開発や国際交流など、岩手県の特性や活力を広く内外に紹介するため、「光る海・輝く未来」をテーマに、釜石市を主会場に、共催会場を宮古市・山田町にして、世界の海の歴史、文化、自然環境、科学、技術を体験する機会として構成し、併せて岩手の未来像を示した。釜石会場は海と未来のワンダーランドとし、世界の海の歴史、文化、自然環境、科学、技術を体験する場として、海のワンダーランド館と、リアスシアター映像館をテーマ館に、未来の東北館、岩手ふるさと館、さんりく魚ふれあい館などと、企業が趣向を凝らしてパビリオンを建てて参加したほか、プレイランドやイベントステージなども設けられた。宮古会場はマリンリゾートランドと名付け岩手、三陸の海、太陽、味やマリンリゾートを体験、山田会場は遊コミュニケーションランドとし、鯨と海の科学館をつくり、遊びやふれあいを通じて対話をする空間を創造した。(当時のパンフレットから引用)

 三陸・海の博覧会は、平成4年7月4日~9月15日までの74日間、岩手県釜石市平田地区、宮古市藤原地区、山田町船越地区の3会場に分かれて開催された。もう20年も前のことである。当時、自分は単身赴任で盛岡にいた頃である。岩手県には、雇用促進事業団の関連施設が3施設あり、花巻市にある岩手技能開発センター、釜石市ににあった釜石技能開発センター及び岩手雇用促進センターである。三陸博の開催前に、このイベントに参加し、来場者に組織の広報活動を行うことにしてはどうかという声が挙がり、3施設の労使が定期的に集まって、実行可能な広報活動を絞り込み、体制を構築することになった。

 会議の場所としては盛岡と釜石の中間地点である、柳田国男の遠野物語で有名になった遠野が選ばれた。幸い、遠野には雇用促進住宅があり、そこの共有スペースである会議室を利用することが出来た。各施設から労使2名で6名、地域協議会のオブザーバー2名の計8名で数回の会議が開かれ、基本方針が決定された。テントを一張り借りることが出来、来場者に、仕事選びの参考となる職業適性検査(パソコン画面から操作し、100問の職業を好きか嫌いかで答えるごく簡単なものである。一応の答えが出て、グラフ解析される)を行うこととした。(次回へ続きます)

盛岡さんさ踊り(3回シリーズその3)

2013年10月23日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 青森ねぶた祭りや秋田の竿灯祭りにもどこか似ていると感じていたが、勿論、イベントが持つ華やかさや意外性が、祭りという行事に同質性を見るのは、さほど間違っているとはいえないであろう。一年間で半分に近い冬場の生活は、重く覆い被さる雪雲の暗さ、静寂で、底冷えする寒い生活に代弁されやすいが、被害妄想ともいうべき辺境といったイメージに対抗する本音を、代償として行っているようにしか自分には見えない。

 北海道函館の生活と単純に比較することは出来ないが、道南と呼ばれる函館よりはるか南に位置する岩手へのイメージが違っていることは、生活してみて判ることであるが、大変便利であるし、冷暖房も良く完備されている。生活に不自由することは全くないといって良い。

 確かに本州で最も気温が低く、盆地であるため、冬場の水道管等の凍結(毎晩水を落とすことは必要)や、路面の凍結、積雪への対応には相応の対策が必要である。関東の生活と同じではないが、ケーブルテレビや衛星放送の受信によって、全国的に均質化していることと同歩調であるのは間違いないところで、情報格差はないに等しい。更には、多くの福祉施設を持ち、岩手大学病院を筆頭に、医療・介護施設の充実は他県の追従を見ない。

 むしろ、さんさ踊りのイベントが、盂蘭盆会という仏教行事では包含できない次元に押し上げられ、本来持っていた素朴さ(民謡さんさしぐれが奏でる旋律のイメージ)が消失し、さんさ踊りの観光化が全面に出過ぎ、先祖・死者を弔(ともら)うといった感情が霧散しているように思えてならない。(このシリーズ最終回です)

盛岡さんさ踊り(3回シリーズその2)

2013年10月22日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 茶畑の隣町は鉈屋町(なたやちょう)といって古い家屋が残されており、第19代首相の原敬の墓所でもある黄檗宗大慈寺(禅寺で、曹洞宗の一派、おうばく宗)がある。ここには北上川の伏流水と思われる清水が枯れることなく湧き出しおり、古くは木管で、大慈寺から引かれていて、公共の水場が作られている。三段階に分かれていて、第一の枡は飲料用、二段目の枡は米や野菜の洗い場、第三の枡は洗濯用になっている。茶畑にはあさ開き酒造があり、この清水を使っていると聞いた。

 なかなか上品なコクと香りを持つ清酒に「あさ開き」があり、常温のままポットに入れて、この酒を飲みながら羅漢寺公園で、さんさ踊りの練習風景を見学させて貰った。

 盆踊りが何故にこれほどまでに勇壮になれるのか大変不思議で、浮世離れしている違和感がぬぐい去れないまま、岩手を離れた後、時間の経過と共に忘れ去ってしまったが、未だに納得いく答えはつかめていない。想像するに、岩手にも東北の秘めたる情熱を発散するといったことが無意識のうちに、これらの行事に反映されて行ったのではないかと思う。(次回へ続きます)

盛岡さんさ踊り(3回シリーズその1)

2013年10月21日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 盛岡のJR駅から商店街への道沿いに、下を北上川が流れる開運橋が架かっており、商店街の入り口付近に七十七銀行ビルがある。その三・四階に岩手雇用促進センターがあった。そこの調査役として二年間お世話になった。主な業務は、移転就職者用住宅(以下雇用促進住宅という)の建設から入居者管理全般に亘る業務であった。岩手県は全国から見てもこの住宅の設置箇所や棟数が多く、入居世帯数も多かった。更には、各種助成金の執行管理の仕事も任されていた。中でも建設業に対する雇用改善助成金、業界団体が行う事業内訓練に対する訓練助成や監査の仕事もあった。比較的外回りの仕事が多かったため、係長等と県内各地を回った。

 仕事が終わると本町の商店街を通り抜け、第二の繁華街である八幡町に入る。ここからは新興住宅街の茶畑である。住居は繁華街から少し離れた盛岡八幡神社がある近くのアパートを借りていた。隣接する地区に羅漢寺があったが火災で消失してしまい、大きな樹木と羅漢像が残され、公園となっていた。さんさ踊りが行われる前には、ここで踊りの練習が始まる。地域の長老が手取り足取りで、地元の小学生から高校生まで20名ぐらいの集団を教えている情景を見た。夜遅くまで、何度も何度も練習をする。カセットテープで太鼓のリズムが流れるが、踊りは三種類あるようで、何かの合図で踊りが切り替わる。多くの踊り手は子供の頃から行っていると見え、誰しも様になっている。着物を着るのは祭りが近づく数日前で、このときは太鼓も準備される。

 盛岡さんさ踊りは東北三大祭りには入っていないが、東北5大祭りには仙台の七夕祭りと共に入っているという。毎年8月にはいるとメインストリート(岩手県庁が面する通り)である中央通りで、さんさ踊りが繰り広げられる。独特のかけ声と太鼓と笛のリズム、それに若い女性がたすき掛けの和服姿で大きな太鼓を胸に抱きかかえ、軽妙なバチさばきを伴い、はねる動作を含め、左右に身体を変化させる動き、男性顔負けの勇壮な踊りである。地区ごとや、企業、商店会等団体が一団となって踊りながら行進する。(次回へ続きます)

北海道の職業訓練(3回シリーズその3)

2013年10月20日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 専科としては受付業務と接客業務の2コースに分けることにした。学科と実技は3:7とし、総時間は1日6時間3ヶ月間で400時間を最低限の履修時間とした。応募の状況もあるが、定員は20名とすることとした。職安にも同様な日程とカリキュラムを提示し、面接時に積極的な勧誘をお願いしたところ約700名について、面談を行っていただいたが、希望者は殆ど居らず、更に倍の人数をお願いし、漸く、定員20名を集めることが出来た。年齢制限は行っていなかったが、多くの希望者は、経理事務員希望が殆どであったためのミスマッチの理由によると後日、上席の弁があった。

 入校式を湯の川温泉ホテルの会議室をお借りし、関係者の臨席の中で行うことができた。
 約半年の準備期間を要し、難産の船出であった。3ヶ月後に約半数が途中で脱落し、就職の結びついたのは更に半数を割っていた。継続は困難との判断をせざるを得ず、記憶では第1回の実施で終了となり、多くの反省点と共に、関係者に多大のご迷惑をおかけしてしまった苦い思い出がある。幸い、能力開発セミナーとして、訓練対象・コース内容等は異なるが、現在、道立の札幌・旭川・釧路、函館等、高等技術専門学院では観光ビジネス科やビジネスマナー科があり、英会話や中国語も教えている。胸をなで下ろしているところである。

 委託訓練ではないが、成功した事業内援助として、函館管工事組合との間で、二級の水道工事士資格取得できるレベルに設定し、向上訓練を受講させることとして、管工事組合に所属する組合員に対して募集し、10名の定員で約1ヶ月の受講期間とした。函館の職業訓練校には、住宅設備科が既設されており、訓練課長にも担当の指導員にも支援と協力をお願いし、訓練校で実施することが出来た。管工事組合員は、日中は仕事があるため、夜間の訓練であった。

 また、管工事組合の事務局長から、兼ねてより、自宅兼事務所にいる奥方を是非、参加させたいとの意向があり、結果的には全員が女性であったが、初めての研修が実施された。

 研修後、水道工事士の試験が水道局で行われ、見事3名が合格した。事務局長の話では、公的機関が実施する公開入札において、資格取得によって応札する物件が拡がるため、継続を要望されたが、その後、自分は転勤したため、引き継ぎは行ったが、どのようになったかは承知していない。(このシリーズ最終回です)

北海道の職業訓練(3回シリーズその2)

2013年10月19日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 従業員の定着は思ったより芳しいとはいえず、函館在住の人より、東北・道内の地域からの人が多いという。相当出入りが激しいようであった。訓練を契機に継続的な雇用体制がとれれば組合傘下の事業主にとっては大変ありがたいことであると前向きの意向を得た。

 当方は詳細について、訓練計画の概要を作り、持参することとし、専務理事の方は組合の理事会へ図り、同意を執ることになった。旅館やホテルの業務は、断続業務が多く、忙しい時期では訓練を行うどころではなく、猫の手も借りたい多忙さもあるとのことであった。従って閑忙期に訓練を設定することにしたが、日程的には大変難しい設定であった。
 一方、女性をターゲットに職安の窓口で上席を中心に、面接体制を執って貰うことをお願いした。

 カリキュラムの内容としては、ホテルビジネス科の履修科目及び単位表やホテル・旅館関連業務調査によって、必要とされる職務内容を参考に組み立てた。

 経営戦略や、営業、マーケティングについては概論にとどめ、予約と接客実務、客室管理、フロントサービスに重点を置いた。語学についても外国人客の接待には英会話の基礎を組み入れることとし、最近多くなっている宿泊クレーム処理についても危機管理の一環として組み込むことにした。特に、実技はOJTが可能であるため、実習場となる場所については理事が経営するホテルや旅館を提供していただくことにし、それぞれの学科・実技については、現在職務を担当している温泉組合の管理職にお願いすることとした。(次回へ続きます)

北海道の職業訓練(3回シリーズその1)

2013年10月18日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 基本的には北海道が他の都府県と異なる訓練を行っているわけではない。職業訓練は都道府県が行うものと国が高齢・障害・求職者支援機構(前身は雇用促進事業団→雇用能力開発機構)に業務を担当させる二本立てとなっているが、事業主等に業務を委託して実施する委託訓練がある。
 北海道では冬季間に離職に追い込まれる出稼ぎ者等、失業者に対し、機動職業訓練と呼んでいた一種の委託訓練が実施されている。多くは建設業組合等が実施する短期の職業訓練を公共職業安定所(以下職安と記す)が把握している出稼ぎ者等に対し、訓練受講を促し、当時雇用促進事業団の事業内援助課や開発援助課が受け皿となって、委託先との契約により、訓練施設として委託訓練を実施していた。

 最近の北海道庁のホームページでは、機動職業訓練と速成訓練等の計画や実施要項が掲載されており、道立の職業訓練施設(○○高等技術専門学院)で実施されている。機動職業訓練については冬季間ばかりではなく年間を通じて実施されている。雇用状況によってこの訓練が年間を通じ、それこそ機動的に実施されることについては理にかなっているといえよう。

 函館の職業訓練校(函館職業能力開発促進センター)では、委託訓練として長年、経理事務科の訓練を私塾に頼んでいた。
 3ヶ月間の訓練期間で、対象は失業保険の被保険者(受給者)である。職安で募集し、訓練校に入校させる形を取る。母子世帯については道からの訓練手当が支給されるため、少数であったが寡婦も含まれていた。

 函館は湯ノ川に代表されるホテル・温泉旅館が多数あり、接客サービスや、外国人客等に対する英会話等、宿泊管理でパソコンの操作などの技量を身につけた従業員が必要とされており、在職時、函館職安と相談の上、委託訓練を考えていた。初めに、委託先として可能かどうか、あたりをつけておかないと募集を開始してからでは遅いので、湯の川温泉組合の専務理事の所へ出向き、実施可能性を含め、状況をお聞きした。(次回へ続きます)

函館散策その2

2013年10月17日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 立待岬から海岸線を東に向かい途中湯の川温泉・トラピスチヌ修道院を過ぎ、50キロ近く走行すると恵山という場所に到着する。恵山は活火山で、蝦夷ツツジの原生林があり、山麓には温泉がある。モンテローザが経営する温泉旅館には涅槃仏や様々な彫像等があり公園となっている。温泉だけ浸かり、日帰りで利用することも出来る。ここから川汲(かっくみ)温泉を抜け椴法華(とどほっけ)を経由して函館に戻れる。

 秋に当たる今の時期は函館湾の対岸に当たる上磯(かみいそ)で鮭の遡上が橋の欄干から見られる。上磯川と呼んでいたが正式名称は定かではない。さほど大きな川ではないが、函館湾内に注いでいる。海から川へ4年ぶりに戻った雄雌の鮭が海水から真水に魚体を慣らすために、河口付近を回遊する。河口を挟む左右500メートルの範囲は鮭釣りが禁止されているが、それより先の海岸には多くの釣り人が何本もの竿で海に向かって投げ釣りをしている。えさは疑似餌で、鮭は遡上を始めると餌を採らないようであるが、最後の餌となる疑似餌に食いつく鮭もいる。考えようでは惨い話ではあるが、うまく釣れることもあり、2~3キロもある大物釣りが楽しめる。
 また、海岸から大波の中に大量の鮭の黒い魚影を見ることが出来る。函館湾は昭和29年9月26日、青函連絡船の洞爺丸が台風の高波・暴風によって転覆・沈没し、死者・行方不明者合わせて1,155人を出した海難事故の場所でもあり、比較的浅く、砂浜が続いている。上磯には太平洋セメントの工場があり、船で物資を搬送するための桟橋が相当沖まで続いている。

 漁協が河口付近を堰き止め、遡上する鮭を捕獲して、人工ふ化の作業を行っている。産卵間近の鮭の卵(イクラ)を取り出し、精子をかける。暫く人工飼育をして、上流で放流するそうである。取り出された鮭は「ホッチャレ」と呼ばれ廉価で販売している。何匹も買い取り、寒風にさらし、トバ(鮭を乾燥させビーフジャーキのようにしたもの)にするそうである。河口付近の浅瀬には産卵を始める鮭もいて、その卵をねらうウグイが鮭の周りを取り囲んでいる情景は浅ましいと思う反面、自然の生態が人間によって替えられた、歪(いびつ)な世界を垣間見た。(このシリーズ最終回です)